Third memory 10(Yachiyo)
そして、数週間後……
「サロス、あたし、今日帰るね」
「……」
「その……元気、でね」
室内から返事はない。でも、仕方ない……そう思いあたしは、思い出のたくさん詰まったこの場所から離れる朝を迎えた。
サロスはあの日以来、部屋に閉じこもって出てこなくなってしまった……。
シスターやあたしやフィリアが部屋の中に声をかけてもサロスは返事一つしてくれなくなっていた。
最後の日までにはきっと……そんな淡い期待も簡単に打ち砕かれてドアの前に立ち尽くしていた。
そんなサロスが心配だった……でも、これ以上あたしがいればシスターの迷惑にもなってしまう。それだけはイヤだった。
自警団の人たちに連れられて教会を後にするあたしの背中に、シスターはいつまでも手を振って見送ってくれた。
ふと、サロスのいる部屋の窓に視線を向けた。
カーテンはいつものように閉め切られたままで開くことはなかった。
けど、その時のあたしにはどうすればいいのか分からなかった。
パパのいる自分の家に戻ってから、しばらくの月日が流れた。
あたしの日常も変わり、学園での生活が中心になっていく。
フィリアとは学園で出会い、昔のように仲良くなれているけど……。
サロスとは別れの朝に、扉越しに声をかけたのが最後だった。会話はもう何年もしていない。
サロスのことは心配だったけど……どうしたら良いのかが未だにあたしには思い浮かばなかった。そんなことを考えながら家の窓から外を眺めたあたしの視界に雨粒が映る。
アカネさんの消えたあの日と同じような雨が降っていた……。
雨音の中に小さな水を弾くような音と共に足音が混じる。
それは、あたしにとって突然の来訪だった。
コンコンと小さくノックされたドアをゆっくりと開けるとそこには一人の男性が立っていた。
「やぁ、久しぶりだね」
「はい。そう、ですね……あなたは、確か、ナール、さん?」
ナールさんは、ただでさえ細身な印象だったのに、更に痩せた、というかやつれているようだった。
きっちりとした服装に、見たことのないコートを羽織り、トレードマークだったであろう眼鏡も、なくなっていた。
その瞳の奥に光はなく。まるで死んでいるみたいだった。
「君に、これを」
ナールさんは、そう言ってあたしに一枚の手紙を渡してきた。
「なん、ですか?」
「身辺整理をしていたら出てきたものだ。…渡すのがこんなにも遅くなって本当にすまない。君宛の手紙だ……アカネ、からの」
「えっ!?」
ナールさんから受け取った手紙の裏には、確かにアカネさんの字で、あたしの名前が書かれていた。
「君は……いや…………なんでもない」
「あのっ!!」
「来るべき時が来たらまた会おう。ヤチヨ」
ナールさんは、そう言って夕日の道を寂しそうな背中で去っていった。
「手紙……か。何が書いてあるんだろう?」
封を丁寧に開け、手紙を読み始めるとあたしの脳裏にはあの日の出来事が甦る。
あの夜、アカネさんがあたしに言ったこと……あたしが言ったこと。
あたしは、手紙をポケットにねじ込み、無我夢中で駆け出していた。
びしょ濡れになることも気にせずに、ただ走った。
向かう先は決まっている。でも、その前に……
こんな時間に非常識だとわかりつつも、あたしはフィリアの家のドアを激しく叩いた。
「はーい……って、ヤチヨ!? どうしたんだい? 傘もささずにこんな遅く——」
「一緒に来て!! フィリア!!」
「……ああ、わかった」
フィリアの手を取りサロスの家へと向かう。
フィリアは何も聞いてこなかったけど、きっと言葉にしなくても、今のあたしのしようとしていることが伝わったんだと思う。
教会に着いた頃には、雨もあがり、綺麗な満月が出ていた。
「シスター!!!」
鍵をかけて、施錠をしようとしていたシスターの後ろ姿に声をかける。
「ヤチヨ!? どうしたんですか? こんな遅くに、それにずぶ濡れじゃないですか、いったいど——」
「サロスは! はぁ……サロス、はいます、か!!??」
息も絶え絶えにあたしは、叫ぶ。シスターは何かを察したように穏やかな表情を浮かべた
「部屋にいると思いますよ。でも、それよりそのままでは風邪を——」
それを聞いたあたしはまた一目散に部屋に向かって走りだす。
ぜいぜいと肩で息をしながら、サロスの部屋の前へとたどり着いた。
その部屋の扉は、最後に見たあの時よりも、とても小さく感じられた。
こんな小さな部屋にサロスは一人で今も閉じこもっているんだと考えると胸が締め付けられる。
あたしは、ごくりと唾を飲み込んで控えめに扉を二回、コンコンと優しくノックした。
続く
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