Seventh memory 05
「あの……後づけ用のソースはとっても美味しかったです!!」
ほっぺの膨らんだ彼女へのそれは、ナールなりの精一杯のフォローの言葉だった。
とはいえそれは彼のお世辞抜きでの感想で、絶品と言える大変美味しいソースだった。
そもそも彼と言う男は、嘘がつけない。誰もが認めるバカがつくほど正直な人間。
でなければ、初対面の人間に仮に真実だったとしても、間違っても味はしないけど食べられますなんていう感想を口にするはずがない。
彼が口にしたぼそぼそのパンに付け合わせのソースをつけることでその味は天地ほどに変わった。
そもそもこのソースをつけて初めて完成するものなのではないかとすら感じていた。
だとするなら、自分が発した感想はあまりにも軽率であったと言える。
それほどまでにその後づけのソースは、ナールがこれまで食べた中でも一二を争う美味しさだった。
「後づけのソース?」
しかし、そのナールのフォローの一言に対して、アカネは眉間に皺を寄せる。
どうやら、彼はまた無意識の中で、アカネに対しての地雷を踏み抜き、大爆発を起こしたようだった。
「はい! ソースは本当にお世辞抜きでーー」
しかし、そんなことにも気づかず、ナールはそのソースをひたすらにほめちぎった。
そして、アカネはある程度の、ナールのソースに対する賛辞を聞き終わると、一言ぽそりと言葉を零した。
そのほっぺは再び膨らみ、目には涙を溜めていた。
「そのソースは、私でなく、シスターが作ったので……」
「ぅえええっ!?」
その一言を聞き、再度自分のやらかした事に気づき、表情が凍って固まる。
墓穴を掘った。これ以上は何も言うまいと脂汗が出る。
良かれと思って、発した言葉で余計に彼女を悲しませる結果となり、これ以上余計なことを言うのはもうよそうと思えたまでは良かったのだが……。
言葉とは難儀なもので、一度口にしてしまえばもうどうやっても取り消すことはできない。
時よ戻れと何度祈ったところで、進みゆく時間の中で現実は無情にも失言した未来へと向かう。
どうにか先ほどまでの失態を挽回しようと、頭を精一杯捻るが、何も良い案は浮かばず、ただ、頭の中を真っ白にし、遂には下を向いた。
アカネはそんなナールからそっぽを向きそのまま言葉を続ける。
彼女の怒りは落ち込むナールに対してヒートアップしていた。
「あたしは、一切、製作には関わっていないので!! ソースに関しては!!」
「あっ……あの……」
何と言えば良いのかわからずしどろもどろになるナールに対して、アカネはずんずんとひたすら前に進み、やがてナールの前に立ち塞がり、キッと睨んで、口を開いたかと思うと更なる文句を矢継ぎ早にナールへと浴びせていく。
「……責任とってください!」
「せっ、責任!?」
そのアカネの言葉の真意を理解できず、さらにあたふたした様子を浮かべる。ナールの頭の中はどうしたらこの怒りを沈めてくれるのだろうかということで一杯だった。
対してのアカネだが、言いたいことを言って、ある程度落ち着いてきたためだろう。小さくなり、怯えるナールを見て、アカネは少しだけ口角を上げた。
この時、彼女すら知り得なかった。アカネの中に眠る何かが目覚めた瞬間でもあった。
この出来事以降、ナールはアカネが機嫌を損ねた時には全く歯向かえないという関係の構図が出来上がっていたのである。
「あたし、深く傷つきました」
「すっ、すいまーー」
「アカネです」
予想外の少女の言葉にナールはふっと顔を上げる。
その怒りの中にあってどこか楽しんでいるようにも見えたその少女の表情の奥の何かにナールはただ見惚れていた。
同時に彼はまた一つ、彼女のことを知れた瞬間でもあった。そう、アカネと言う彼女の名前を。
「……」
「それで? あなたの名前は?」
「なっ、ナールと言いますけど!! あの責任ってーー!!」
「ナールさん、あたし、あなたに美味しいって必ず言わせてみせます」
「はっ? はぃぃぃぃ!?」
「だから」
その時、アカネの中で先ほどまで怒りの対象であったはずのナールが動揺した様子を見ることでその印象は変わっていた。
アカネにとってナールという存在は、とにかくおかしくて、可愛くて、そして愛しい……そんな気持ちとは裏腹の好意的なものになっていた。
そして気づけば、怒りを忘れて自然と笑みを零してケラケラと笑う。胸の鼓動がどこか小気味よくトクトクとなっていたことにもこの時のアカネ自身は気付いてはいなかった。
最悪の出会い方をしたと思った相手、ナール。
アカネはいつのまにか、その真っ正直な彼の事が気になり始めていたのだった。
「明日もここで会えませんか?」
「あっ、明日? 明日ですか!?」
自分でも信じられないくらいに積極的に、ナールへのアタックを続ける。
当のナールはひたすら戸惑い、あたふたするだけだった。
「明日だけじゃないです、明後日もその次の日も、ずっとずっとあなたが美味しいと言うまであたしはあなたに会いたいです!!」
今、冷静になってみれば恥ずかしさで死にたくなるであろう言葉を、この時のアカネはスラスラと自然に口にしていた。
それほどまでにアカネの中で、あの当時のナールに自分の作ったサンドイッチを『美味しい』と言わせることは重要なことだった。
これが仮にナールでなければ、初めて食べさせたのが別の誰かであったのなら、ここまでムキになることも、もしかしたらなかったのかも知れない。
もっとオブラートに包んで感想を伝えるのが上手な人物だったなら、ここまで必死になることもなかったのかも知れない。
ただ、全てはナールの素直過ぎる性格が故に起きた出会い、縁だった。
「えっ……あの……」
「返事は!!」
「はっ、はい!!」
「じゃあ、また明日、待ってますからねナール」
そう言って、アカネは踵を返し、ナールの下を去ったのだった。
対して取り残されたナールは、どこか呆けたままで訓練へと戻り、その日はいつもなら圧勝できるはずのツヴァイにすら、一本を取られるほどにどこか気持ちが抜けてしまっていた。
師である、父も今日ばかりは叱るのではなく、その様子に心配するほどに……結局、その日の訓練はナールの休息のためにいつもより早く切り上げることになった。
周りの皆がナールの体調を心配するなか、アインだけは終始、どこかにやけた表情とムスッとした感情を含んだ複雑な顔でナールを見つめていた。
こうして、その日をきっかけにナールとアカネ、二人だけの秘密の逢瀬が始まった。
毎回、訓練の途中、ナールは休憩の隙を見つけては、毎日、アカネの待つ、あの巨大な木の下へと向かう。
「ナールさん! 今日もサンドイッチを作って来ました!」
そう言って、大きめのバスケットから一つアカネは大きなサンドイッチを取り出し、ナールの前へと差し出した。
「こっ、これは、またずいぶんと大きいですね……」
「……何か問題、ありますか?」
文句は言わせないと言いたげな目をして、アカネがそのまま巨大なサンドイッチを持ったままで静止する。
「いいえ!! うっ、嬉しいです!!」
「良かった、ではどうぞ! 今日は卵サンドと、りんごのフルーツサンドです。どうぞ、まずは卵サンドから召し上がってください」
「うわぁ~美味しそうだ!! いただきます!! はむっ!」
拒否権はないとばかりに差し出された、卵サンドをナールは頬張った。
一口、二口とただただ食べ進める。
それは、まるで真剣勝負のような空気が漂っていた。
「……どう、でしょうか?」
ごくりと喉を鳴らし、半分ほど食べ進め、ナールは精一杯の笑顔を浮かべる。
「うっ、うまーい!!! 美味すぎる!!! これはおいしいですよー」
「……そういう言葉が欲しいわけではないといつも言っていますよね? ナールさん」
一瞬で、嘘がばれ、ナールはごほんとひとつ咳込む。
「……そうですね……少し、しょっぱ過ぎるのと……後、たまごの茹で具合がバラバラで統一感がないというかーーたまごサンドなのにここまで美味しくないのはある意味才能かなとーー」
ナールの感想を聞くたびに、徐々にアカネ表情がだんだんと曇っていく。
これはいつものことではあるのだが、彼女にお世辞を言えば直ぐに見破られ、怒られ、かといって、正直に言えばへこんでしまう。
まさにナールにとって八方ふさがりな状況でもあった。
「ありがとうございます……では、こちらもーー」
「はっ、はい! いただきます。はむっ、んー!? このりんごのフルーツサンドは美味しいです!! 甘さの中にほんのり酸っぱさがあって、それだけでない、大きさも均一化していてパンもーー」
アカネが、じぃーとナールの顔を凝視する。
「あっ、あの……アカネ……さん?」
「……やっぱり、シスターはすごいな……」
「えっ!?」
「そのフルーツサンドは、シスターが最後に一言アドバイスをくれたんです。果物は収穫してからすぐに使わずに追熟っていうのをしたり、一度冷やした方が甘さが増すって……」
「なっ、なるほど……」
ナールはその一言を聞き、いつも食べる、りんごのフルーツサンドと違うと感じた部分に納得していた。
だが、こうは言っているがアカネの料理の腕は日に日に成長していき、始めて食べた時のボソボソして味のないサンドイッチからは考えられないものになっていた。
「もう一歩……かな」
「はい?」
「うん! 美味しいとは言わせられたけど、シスターの力を借りた上での勝利だから……次は勝ちますからね!」
アカネは、そう言ってナールに向けて満面の笑みを浮かべ、その笑顔がとても眩しくて、ナールは思わず目をそらした。
「んっ? どうしたんですか?」
「あっ、あー美味しいなこのフルーツサンドは!!」
「そうですか……まだ、ありますので食べて大丈夫ですよ。いまいちだった私の卵サンドも含めて」
「ハッハハ……」
アカネを真っ直ぐ見られず、誤魔化すように、ひたすらサンドイッチを食べ続ける。
しかし、この時のナールはまだ気づいてはいなかった、いや、想像すらしていなかったのだった……この二人だけの秘密の時間をまさか、第三者に見られていたとは、知る由もなかったのだった……。
つづく
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