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Seventh memory 12

「……何? この音……」

 ぽつり思わず口をついて零れ出たその言葉を聞いてイアードは瞳孔を開いてアカネを見つめたあと目を細め唇を引き絞った。
 それは同情のようにも、共感のようにも思える表情であった。

「……そっか、アカネにも聞こえるんだね声が……」
「声? これは声なの?」

 アカネのその返答を聞き、再びアカネからイアードは顔を背け、アカネの顔を見ずに言葉を続ける。

「声、うん、少なくともみんなそう思ってる」
「みん……な?」

 イアードは改めてゆっくりとアカネの方を向いた。
 だが、その遠くを見る瞳は自分を映してはおらずどこか悲しそうにも嬉しそうにもアカネは思えた。

 彼女が誰かに本当の自分のことを話すのはこれが初めてだった。
 自分が記憶を消したはずなのに、その記憶がまだ残っている人がいるという事象は初めての出来事だったからだ。

 ここ最近の彼女にとって今起きている事象は初めての事の連続であった。
 
 ……自分の始まりはどこであったのだろうか? 天蓋に選人として選ばれ長い時間を過ごした記憶も自分の中に確かにある……だがそれが彼女の始まりだったのかどうかに関してはイアード自身にも不明瞭なことだった。

 自分はどこで生まれ、どこで育ちそしてどのように生きていたのかイアードはその全ての始まりがどこであったのかということが、いつしかわからなくなってしまっていた。

「そう……あっちでは、さいわいをよぶものって言うんだけどね」

 自分が見てきた世界。自分が知ってしまった世界。
 イアードが見たその世界は初めて見るはずの光景であったはずなのだがそれは新鮮さというよりもむしろ懐かしさを感じるような光景であった。

「さいわいをよぶもの?」
「あっちの世界では、毎日が生きるか死ぬかの日々で、男も女も子供も老人もみんなみんな何かに抗う為に戦っていた……」

 イアードが袖をまくり緑色に変化した腕をアカネへと見せつけた。
 アカネは一度目を見開き、驚いた表情を浮かべたがやがてイアードの目をまっすぐ見つめ口を開いた。

「……いきなりそんなこと聞かされてもあたしには全然わからないよイアード」
「そりゃそうだろうね。なんせ、あたしたちも選人となって初めて知ったんだから……役割も代償も全てその時に」

 本当はそれより前に彼女がイアードでなかった頃に既に知っていたことではあった。
 しかし、彼女はそのことすらも忘れていた。
 いや、忘れていたからこそ選人として天蓋に選ばれたのかもしれない。

 しかし、その事実を今アカネに伝えれば更に混乱させてしまう。
 なら今はそういうことにしておいた方がまだ混乱は防げるとイアードは考えた。

「……イアード……あなたは本当は何者なの?」
「本当のところはあたしにもわからないさ。ただ今のあたしが知ること……天蓋の仕組み……そしてその中にある……いっしっしっ、でもまさか正体がーー」
ギ、ギギギ、ガ、ザザ、キィ、ギギィ、ィアァァァ、ガ、チャ、リ、リリ、ギィイ

 イアードの語る途中でアカネに聞こえていた声が一際大きくなり、更に風や波のようなザーザーという頭に直接響くすごい雑音で、一瞬イアードの声がまるで聞こえなくなった。
 時間にして僅かな間の出来事だった。

 しかし、そんな中でイアードの声が微かにアカネに届く『天秤』と『支柱』という2つの単語を聞き取ることができた。

「っと、と、ネタバラしはまだ許されないか……どうやら機嫌を損ねてしまったようだいっしっしっし」

 そう言ってイアードは自身の変わり果てた腕を見て苦笑いを浮かべる。
 それと同時に緑色に変化していた腕が紫色へと変化し、一瞬槍のような鋭い形に変わったかと思えばすぐに元の腕へと戻る。

「イアード!? あなたの腕!!」
「大丈夫心配はいらない。結晶化がこの程度で済んでるうちは、たぶん、まだね。いっしっしっ」
「結晶化って……まだって……どういうーー」
「アカネ!!!?? イアード!!!!!」

 そうアカネが問いただそうとしたその瞬間、ナールが2人の方へと駆け込んできたのだった。

 そして、今。ナールはイアードの話に何も言えずに立ちすくんでいた。 

 「時間はそんなに残されていない……か……」

 そうぽつりと呟くと、またいつの間にか紫色に変化していたイアードの腕が綺麗な緑色へと変化していく。
 そして、時間をかけてゆっくりゆっくりと元の腕へと戻っていくが、完璧な元の腕には戻らずに完全に一部が鉱石に変化した状態のままとなった。

 『抗えない……か、いや、このままでは終わらせない』という誰にも聞こえない声でぽそりと呟くとアカネとナールの方を見ていつものような無邪気な笑顔をイアードは浮かべた。

「いっしっしっでも、驚いたなぁ……あたしがイアードとして過ごした記憶は全部きれいさっぱりみんなから消したはずだったのになぁ。まさか2人も記憶に残ってしまうなんていっしっしっ」

 その笑い声はいつもなら彼女らしいとても心が落ち着く声だったはずだった。
 しかし、今の彼女のその笑い声はナールの不安を煽りどこか恐怖に似た感情すらも生み出していた。

 目の前にいる昨日までは友人であったはずの少女。
 彼女が冗談でなく真実を語っているとするなら、おとぎ話だと信じていた天蓋に閉じ込められているという選人は実在している人達であるという事だ。

 いやそれよりも選人として彼女が選ばれているなら何故今、天蓋でなくここにいるのか。

「イアード、君は本当は何者なんだ? 君が選人だと言うのなら何故今ここにーー」
「あたしは、天の皿(てんのさら)としてもっとも純度の高くなった選人なんだ」

 イアードの口から告げられたまたも聞いたことがない言葉。
 天の皿……そんなものは文献や資料にすらどこにも出てこなかった言葉であった。

 しかし、おとぎ話というものは時が経つにつれて都合の悪い部分は自然と消えていくということが起きるのをナールは知識として知っていた。

 もし仮にイアードがいう天の皿。
 それが誰かにとって都合の悪い事として情報の一切が誰かによって抹消されたのだとするのなら……。

「天の……皿?」
「でもダメだった。所詮あたしは紛い物。皿としての役割を担えなかった……あたし1人じゃ天秤の両方の均衡を保つことなどできなかった……ごめんね」

 イアードのいう言葉を理解することはできない。
 しかし、ナールの中で彼女のいうことが嘘だとも思えなかった。
 彼女の何がそうさせるのかはわからないが、それはナールの中に疑いようのない事実として体の内側へと染み込んでいく。
 
 父が守人として今も守り続けている天蓋。

 その天蓋を守るために本来は作られたと聞かされている自警団。

 そしてその自警団によって本当にイアードのような人が天蓋に閉じ込められていた。

 天蓋にいるとされる『わざわいをよぶもの』の他に『さいわいをよぶもの』という存在がいるかもしれないということ。

 ……天蓋の中にいるとされる『わざわいをよぶもの』という存在自体が未だ夢物語の存在だ……彼女の口から新たに語られた天の皿という言葉……これが『わざわいをよぶもの』と自分たちが呼んでいる何かの正体に大きく関わるものなのではないかとナールは推測する。

「皿……天秤……イアード……天蓋には……天蓋には本当は何があるというんだ!!」
「それは……言えない。いや、伝えられない。あたしがいくら言いたくても邪魔されちまうのさ……大いなる意思によって、ね……」

 イアードの言う大いなる意志……きっとこれが彼女が語れる上での唯一の答え、なのだろう。
 だから結局のところ何一つとしてわかることはない。
 憶測であればいくらでも立てることはできる。推測できる情報すらも足りてないただ妄想と変わらない。

 その中で確かなことは一つ……イアードは、自分たちとは本当は違う存在であって何らかの目的があってナールたちに接触し、こうして今を迎えている。

 そしてきっとそれは本来は許されざる行為であり、彼女の謎の鉱石のようなものに体が変わる事象はいわゆるその行動による罰なのではないかとさえも思える。

 となればこれまでの話からの憶測で組み上げるなら天蓋に入ることこそが何よりもまず必要なことで、選人として天蓋の中へ閉じ込め続けることによりイアードのように人では起こしえない何かが出来る存在を生む。

 そして、結晶化とイアードが言う状態。その事象を必要とする誰か、いやこの場合は存在と言った方が良いのだろうか? がいる、いやある? とにかくそういうことじゃないだろうか?

 その人ではない何かとなった人のことを天の皿と呼ぶのでは……と、そこで疑問が生まれた。
 天の皿は、天蓋の中にある天秤を動かすことはできない?

 では選人が天の皿になる意味とは……。

 選人とは……天の皿とは……天秤とは……?

 イアードから話を聞き、今までわからなかった謎や自分のしてきたことが繋がりそうになっていたナールはその真実にこれまでの誰よりも近い所に至ろうとしていた。



つづく

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