171 五の剣と六の剣の心
その男もまた孤高に生きる人間だった。不自由のない街で生まれ育ち、何の不満もなく生きて、いつしか理想を追い求めた。自分の心を魅了した剣へと捧げる時間。
既に剣を振るう騎士が大幅に少なくなり始めていた時代。その到来。
その中において自らの意思で剣を手にした一人。
幼きあの日、初めて見たプーラートン・エニュラウスの剣舞の美しさに魅せられ、憧れと共に剣を握り始めた。
しかし、その男は学園へと自らの才能を自覚する。
自分は非凡な才能であると。
日々、その現実を突きつけられる。
上には上がいるという現実。
「ゼナワルド。剣は、というよりアンタは戦う事に向いてないよ」
憧れの人から直接言われたその一言が学生だった時代の彼の心を抉る。
「それでも……俺は貴女のように」
「残念だけど、お前の剣はどれだけ鍛錬を積み重ねてもこれ以上、腕が向上することはないよ。憧れだけしかない剣では騎士にはなれないんだよ」
そう、彼には夢があった。けれど、それは憧れであっていつまでも目標とは成り得なかった。
男には夢と目標の違いが理解できなかった。
いや、というよりそもそも夢や目標に線引きなどして生きては来なかったのだ。
ただ自分の将来の姿だけが鮮明に彼の脳裏に存在し続けていた、だたそれだけ。
そのイメージは確かに彼を高みへと昇らせていく。しかし、いつしかその成長を自身では感じられなくなっていく。
孤高の存在として学園内で過ごしていた男はプーラートンの言うとおりになっていく日々に苛立ちを覚え、自身の不甲斐なさに嘆き、ひたすらに水たまりを足元に作り続けた。
浅い水たまりを幾つも幾つも。それが深くなることはないと知りつつも彼はその水たまりを日々作り続けた。
そうやっていつも出来る水たまりに映る自分を決して見ようとしていなかった彼に笑顔で声を掛けたのは同級生の一人、ミリー。後にゼナワルドと共に九剣騎士となる女性。
心優しき彼女の強い意思に触れ彼は少しずつ感化されていった。
「私ね、皆が笑顔になれる国にしていきたいんだ。力を貸してくれる?」
自分と同じく決して戦いの才能が突出してあるわけじゃない。それでも彼女はその類稀なる知識と知見でありとあらゆる困難な戦況を覆してきた。
彼女の願う無血で戦いを終わらせる勝利。彼はいつしかその為に剣を振るっていきたいと、彼女の理想の為の剣となろうと思うようになっていた。
「ゼナワルドくん、いこう!」
最初は彼女から孤独だった自分へと手を伸ばしてくれた、そんな関係。
孤高を目指して1人で高台に昇ろうとし続けた男は、誰もが立てる平野に立ったままミリーの隣で理想を叶える事こそを目標としていった。
「ミリー、いくぞ」
いつしかそれは、騎士としての信頼、そして、人としての愛情となっていった。しかし、彼はその気持ちをどうすればいいのか分からないまま過ごしていく。
彼女との関係の変え方を全く知らなかった。
不器用に生き続けた男はその想いを伝える術など知る人生を送ってはいなかったから。
それは九剣騎士となった後も昔と変わらない学園で過ごしていた時代の距離のまま。
「国の英雄、グラノ・テラフォール様が……」
転機となったのは、かの英雄の報せ。あれほどの人物でさえ簡単にこの世を去ってしまうのだとゼナワルドは知る。誰もが未だにその亡骸を見てはいないという中にあって、彼を知る者達の中にはこの時、大きな衝撃が走った。
「ゼナワルド。お前の剣は優しすぎるのう。プーラートンが向いてないと言っておったのはそのこと、だろう」
「俺の剣が優しい?」
「聞けばこれまで誰一人としてお前は戦った相手の命を奪わずに九剣騎士へと至ったそうじゃな」
「はい」
「その道が何を意味するか、分かっておるか?」
「意味? そんなものはない」
「ならどうしてお主はその道を選んだ」
「目の前の誰かにも大事な人がいる。そうやって悲しむ人がいるかもしれない相手の命ならば、奪わずに戦いが終わらせられるなら、その方がずっといいはずだ」
「そうか、それがあの頑固娘ミリーとの理想の道ということか。悪くない。それを目標とするだけの事が可能な力も付き始めている。が、それでもお前の剣は優しすぎる。だから、忠告はしておく。お前の弱みにつけ込む輩がもし現れた時には何があっても、絶対に躊躇するな」
「?? 意味が分からん」
かつてのグラノの言葉の真意がわかったのは自らの命尽きる前の最後の瞬間だった。
「ミリー。この任務が終わったら、伝えたいことがある」
「なに突然? 今伝えてくれてもいいけど?」
「それは、その、出来ない」
「なんで?」
「な、なんでもだ」
「ま、いいけど。じゃ、王都に戻ってきたときに聞かせてね。約束よ」
「ああ、約束だ」
しかし、その時が訪れる事はなかった。
ポタリ、ポタリと滴る血だまりを作る彼女の身体。動かなくなった彼女の頭を掴む男へと初めて男は憎しみを抱く。
それほど感情豊かではなかった彼が人生で初めて激昂したのだ。
「ミリィイイイイイ!!!!!!!」
「く、ハハ。なんだゼナワルドよぉ、お前そんな顔も出来んじゃねぇかよ。やっぱりミリーだけはバラバラにせずにここに持ってきて正解だったぜぇ」
「ヴェルゴ!! 貴様ァアアアア!!!!」
「さぁこいよ、一度お前とも本気で殺し合って見たかったんだよなぁ!!!」
ポタリ、ポタリと滴る血だまりがもう一つ出来上がる頃にはヴェルゴは既に彼への興味を失い、この場を去っていた。
静かにただ風が平野を吹き抜けていく。
かつて努力という汗で生み出された水たまりが今は凶刃により真っ赤に染まったまま、静かに空を映して波打つ。
「あ、う、ミリ、ぃ」
ズルズルと這いずって彼女の元へと向かう。既に動かなくなった彼女、そして彼ももう自分が長くはない事を悟る。
息も絶え絶えに彼女の元へとたどり着いて手を伸ばすも腕の感覚はもうない。
「ミリー、かえ、ろう……っ、ミリー、俺は、俺はお前の事が……」
しかし、最後に伸ばした指先は彼女の手に届くことなく地へとパタリと落ちた。
羽をもがれた鳥は空を仰ぎ見て遠いあの日を想い続ける。
ゆっくりと二人に近づく影が現れ、二人の手を無造作に掴むと彼らの指をそっと絡ませた。
「ハァ、なんて美しい物語の結末なのかしらぁ。安心しなさい。貴方達二人の幸せは私が永遠に終わらせない。私が貴方達の物語も新たな神話へと連れて行ってあげる」
恍惚な表情で二人の身体がズブズブと自分が発した黒い霧に包まれていく様子を眺めている女の顔はまるで赤面した初心な少女のように赤らみ高揚していた。
「終わらない物語、その登場人物に貴方達も加えてあげましょうねぇ。私がここを偶然にも通りかかったのもまた運命、そう、運命なのよ」
うっとりとしたまま二人の血だまりを掬い取ってその舌で舐め飲み干す女の心はこの時、確かに満たされていた。
ガキンッと洞窟内に甲高い金属音が激しく耳を突き刺す。避けた剣が洞窟の壁へと打ち付けられる音。
ウェルジアがゼナワルドと剣戟を交わす様子を見つめていたリリアの瞳から不思議と涙が自然と零れてくる。
「ウェルジアくん!!」
リリアの叫びが響き渡り、視線の先には膝をついたウェルジアがいる。
「さぁ、貴女の力を見せてごらんなさい。そうすれば彼は助かるかもしれないわよ?」
女がそう言うと、もう一人の人物が姿を現した。フェリシアはリリアを守ろうとするがダメージで身体が言う事を聞かない。
「リリア!! 早く離れろ!! その人も九剣騎士だ! 何でこんなとこに居るんだよ、訳が分かんねぇ!!」
フェリシアも声を上げる事しか出来ない。
「さぁ、ミリー。貴女の相手はその子よ!!」
ゆっくりと瞳を開けるミリーとリリアが見つめ合う形となる。僅かな逡巡の隙をついてミリーがリリアへと襲い掛かる。
「チッ」
ウェルジアも視線を一瞬向けるものの目の前の相手は意識を逸らして戦える相手ではなかった。
手は凡庸だが練度が高く、二の手、三の手の隙が小さく反撃の糸口を掴めず先ほど武器も取り落としており、避け続けるだけの防戦一方となっている。
剣筋を見る度に分かる。彼もまた、積み重ねた人間なのだと。そして、先日のシュレイドよりも更に自分に近い性質を持つ剣である事が窺える。
「アハハハ、九剣騎士ゼナワルドを相手にしても尚、これほど生きながらえている貴方は一体何者なのかしらねぇ? 本当にただの生徒?」
二人の九剣騎士を怪しげな黒い霧、靄のような何かから出したその女は場の様子を見守りつつ楽し気に様子を眺めている。
何が目的なのか分からない状態でただ、その存在の不気味さだけが増していく。洞窟の中の暗がりよりも深くその笑みは周りの温度を下げていく。
「さぁ、歌いなさい! その力を私に見せて頂戴!」
女の一声でミリーの動きは止まる。短剣で身体中に切り傷のついたリリアは大きく乱れた息を整えようと呼吸をする。
「あ、また……」
リリアの目尻から再び涙が零れ落ちる。どうしてかは分からない。分からないけど、止まらないのだ。
これまで会ったこともない九剣騎士、六の剣ミリー。どんな人なのか知らない。分かるはずもない。
ただ、その視線が時折、ゼナワルドへと向けられている事に気付いていた。感情を伴わないその瞳。であるにも関わらずリリアはどうしてもその想いを消しきれていない瞳に見えた。
「もしかしてミリーさんは、ゼナワルドさんのことを……」
言葉は要らなかった。彼らの歴史を知る必要すらもなかった。そんなものが無くてもその想いは確かにリリアの心へとその熱を伝えていた。
「ええ、貴女の想像通り」
そんな純粋な想いを汚染するような声がその答えを代弁する。
「九剣騎士ミリーはゼナワルドの事を愛していたみたいねぇ」
「違う、今もきっとまだ愛しているんです!!」
リリアは女の声を制止するように叫んだ。どうしてこれほどまでに胸の奥が掻き乱されるのか分からない。
「アハハ、もう死んでいるのに愛しているも何もないでしょう?」
「な、死んでる、だと!?」
フェリシアが目を見開いて硬直するほどの事実が突きつけられる。
「全ては終わった事、終わった物語の結末。人を愛したこともないような小娘には分からないでしょうけどねぇ」
「なら、貴女には分かるというんですか!?」
リリアは珍しく眉間に皺を寄せて睨みつけた。彼女にしては珍しく怒気の込められた表情と声だった。
「分かるわ」
と女はそれだけ冷たく呟くとミリーの身体を横から蹴とばすようにしてリリアの目の前に躍り出た。
「なんてことを!!」
起きている事の異常さよりも目の前で行われた行為にただただ怒りが込み上げる。こんなことは初めてだった。
誰かに向ける憎悪の感情がこんなにも不快なモノだったなんて知らなかった少女の目は充血し、赤に染まり始める。
「さぁ、その心のままに歌ってみてごらんなさい!」
怒りの捌け口が分からないリリアは女の言うままにこれまでにほとんど歌った事がない歌を頭に浮かべていた。その歌は恨みの歌。絶対に歌う事がないと思っていたはずの歌。
一族を根絶やしにされた者達の嘆きを歌にしたという神話の一節。
気付けばその声は鋭く力強く、女へと向けた怒りを内包して無意識に歌い出された。
リリアのこんな歌声は誰も聞いたことがない。そう、自分自身でさえも。
ルナエ ヴァリル、ナエン ソラ ディ ナレム!
ミラエ ヴァス、ニ トレア ノ ドラン!
エララ ミリ、セルナ ヴィ ノレイン!
ミラン セロ、ナラエル ヴォ サノル!
その嘆き叫ぶような歌声は笑みを浮かべる女の頬を切り裂き、その傷から血が流れ出た。
ヴィラン トラ、セラン ナ ミオラ!
リラエ ソラ、エティラエ タラノル!
ヴィラエ ノルン、ヴァレン コリン デラン!
ソラエ ダレン、リラ ナエリン ヴォラル!
「へぇ貴方の歌、物理干渉すらもしうるというの? 益々、興味深いわねぇ。もしかして貴方も新世代の魔女候補ということなのかしら」
頬から流れる血を舌で舐めとるようにして玩具を前にした子供のような眼でリリアの身体を見てもう一度舌なめずりをする。
その歌の影響か、フェリシアの身体が再び動き女へを肉薄した。
「この女、リリアから離れやがれ!!」
「まァまァまァ、なんてこと、傷を負った戦士が再び全力で戦えるようになるなんて素晴らしい力ねぇぇ」
ウェルジアもまた自らの身体に力強さが増していくのを感じるがそれと同時に嫌な予感が胸に去来する。
横目にリリアの様子を見るが、目の前のゼナワルドからは容易に意識を逸らすことが出来ない。
「チッ」
いつもとは違いすぎるリリアの様子にウェルジアは大きな不安を覚え始めていた。このままでは彼女は大切な何かを失ってしまうかもしれない、と。
そう思ったウェルジアは地面に落ちた剣を再び掴み取りゼナワルドを睨みつけた。
つづく
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