75 仄かな香り
「ありがとう。助かったわ」
そう言ってティルスはゆっくりと鞘へと剣を納めた。
「これほどの剣となると流石に自分で手入れをするのは怖くて、色々と教えてもらえて助かったわ」
「いえ、そんな!! まさかティルス様を並ばせてしまっていたなんて……」
行列が出来ている事はセシリーも周知だったが、そもそも一人で切り盛りしている店の為、外にまで手が回るはずもなかった。
「私だけが特別扱いされるわけにはいかないもの。それは気にしないで」
「は、はい」
そう言ってセシリーはペコペコと頭を下げる。
「そういえば、騒乱の時の活躍を聞いていたのを忘れていたわ。またぜひ貴女と一度手合わせをしてみたいものね」
ティルスはニコリとしながらセシリーへと挑発的な視線を向けた。
「ひえええ、そんな私なんかではティルス様のお相手は務まりませんよ~」
セシリーは手と首をブンブンと大きく振った。その様子を見てクスリと笑うがその動きから彼女が相当な手練れであるという事は分かった。
「ふふ、謙遜しないで、貴方のような力のある生徒が西部に居て心強いわ」
そういうとセシリーは破顔してへにゃりとした笑顔になった。
「えへへ、が、がんばります!……でも、その剣がティルス様の元にあったということは……やっぱりプーラートン先生が剣をもう振れないという噂って」
セシリーは途端にしょんぼりと沈んだ表情になる。
「……ええ、事実よ」
「そうですか、それでティルス様が特級剣ミラサフィスを……」
「ええ、恐れ多い事ですけれど」
「なんかこう、うまく言えませんけど、その剣はティルス様にもすごく似合っていると思います!」
セシリーは鼻息を荒くしながら力強く頷いた。
「ありがとう。必ず使いこなして見せるわ。それじゃ、私は行くわね。また、お願いねセシリー、今日はありがとう」
「はい、お気をつけて」
ティルスが店のドアを開けて外へと向かうと、先ほどまで自分の後ろにあったはずの長蛇の列が左右に散開していた。
生徒達が散っている合間をとてとて歩いてくる者達が目に入る。
どういう組み合わせなのかがよく分からない四人組だ。
一人は長身の男子生徒に抱きかかえられている。
歩いてくる内の一人に見知った顔をみつけたティルスは声を掛ける。
「ごきげんよう。ショコリー、元気そうね。もう身体は大丈夫なの?」
「あらティルス、ごきげんよう。おかげさまで」
スカートを軽く広げて形式的にお辞儀をする二人の脇をウェルジアが通り抜ける。
「こいつ意外と重い、先に入るぞ」
ビクッとリリアが身体を震わせたような、、、気配がした。
リリアを抱きかかえるウェルジアはそう言うと店の中へとスタスタ入っていく。
通り過ぎる瞬間、ウェルジアの群青の瞳とティルスの深緋の瞳の視線が僅かに交差する。
ふわりとウェルジアが通り過ぎる時の香りが、なぜだか妙にティルスの鼻孔をついた。
けど、それが一体なぜなのか、彼女にはどうしても分からなかった。
「どうかしたの、ティルス?」
「い、いえ、何でもないわ」
声を掛けられたティルスはショコリーへと視線を戻す。
「ところで、ティルスはこんな所で何してるの?」
「剣の手入れの方法をセシリーに聞いていたのよ」
「ふぅん、貴方も贔屓にしているなんて、やはりいい店なのね」
「いえ、今回が初めてよ。プーラートン先生に勧められたの。けど、いい店なのは確かでしょうね」
そう言って店の入り口にあるラグナレグニと書かれた看板へとティルスは視線を向ける。
「……にしても随分と立派な剣ね、それ」
ショコリーにそう言われたティルスは視線を戻して腰に差した剣を撫でながら苦笑いを浮かべる。
「ええ、まだ少し私には分不相応な気がしてソワソワするわ」
ショコリーは僅かに口元を釣り上げた笑みを浮かべる。
「へぇ、西部学園都市ディナカメオス入学から歴代最速で会長にまで上り詰めたような人でも、そんな気持ちになるの?」
「……私だって普通の人間よ。貴女は一体どんなイメージを私に持っているのかしら」
「うーん……堅物そう」
即答するショコリーに僅かに口が開くティルス。不思議と嫌な会話ではなく思わず笑みが浮かぶ。
「何それ、歯に衣着せない物言いね」
「というか、そう、頑固そう」
「ふふ、随分な言われようね。まぁ否定はしないわ」
それはおそらくショコリーが自分と対等で居てくれているような気がしたからだろう。
ふとティルスはそういえばと今の状況。店の扉を開けた直後の事を思い出して、問い詰めた。
「……で、ショコリー。あなたもしかして、並んでいた列に何かしたんじゃないでしょうね?」
ビクリとショコリーは身体を震わせたあと、ごまかすように真面目な顔のまま耐えようとしている。ぎこちなく口元がひくひくと震えたまま無表情を装うようにしている。誰が見てもこの反応では何かしたのはバレバレだった。
「ィヒュ~、え、何の事かしら、知らないわ。みんな急に別の用事でも出来たんじゃないかしら」
ショコリーは真顔でへたくそな口笛をぷひゅーっとならして棒読みで喋りつつ視線を逸らす。
「……もう、あんまりズルはしちゃだめよ」
「……今回は、見逃してもらえると助かるわ」
ティルスは小さく一つ息を吐きながら隣にいた先ほどから無言で佇む【紫色の髪】の少女を見て何があったか予想を立てる。
おそらく彼女を先頭にして列に近づくことで、彼女を避けるようにして列が散開したのだろう。
「わかったわ。貴女にも何か事情があるんでしょうし、今回だけよ」
と言った。
「助かるわ」
というショコリーに続き
「…ありがとう」
プルーナもティルスへと自分の事に触れない対応に礼を述べる。
紫色の髪の少女の事は気がかりではあったが、この後の予定もあったティルスは
「それじゃ私は行くわね」
そう言って綺麗な後ろ姿で立ち去っていった。
周囲はティルスの姿に目を奪われている。
「何もかもがいちいちサマになるわね。ティルスは」
「……会長さんと知り合い?」
「まぁね」
とショコリーは答える。
「さ、ほら、私達も入りましょ」
二人は周りの視線などはお構いなしにセシリーの店へと入っていった。
店内へ向かうとリリアがプリプリと怒っている。
「ウェルジア君ひどい!! 私の事、重いだなんて!!」
「だから、何度も謝っただろう」
ぽこぽことウェルジアの背中を叩いている。
「あーあ、ウェルジアさん。女の子には言ってはいけないことって結構あるんですよ~、知らないんですか? 謝っても済まないんですよ」
セシリーがそれを見てケタケタと笑う。
「じゃあどうしろと、、、面倒だな」
ウェルジアはげんなりとした表情で背筋を曲げる。とても珍しい光景だった。リリアは収まらない様子でまだプリプリしている。
「……ウェルジア。さっきのは、だめ」
プルーナまでもがウェルジアを非難する。この場に彼の味方はいなかった。
「……それより、はじめまして店主さん」
ショコリーが、その流れを断ち切って話しかける。
「そうでした!! いらっしゃいませ!! ラグナレグニへようこそ!!」
長身のセシリーがハッとなって元気よく通る声を上げて四人を改めて迎える。
「……あれ? そういえばプルーナさんまで一緒に!? 何か先ほどの剣に問題でもありましたか?」
「別に、なりゆきで」
プルーナはチラリと三人に首を向けてセシリーにすぐさま戻した。
「付き添いってことですね!!」
「たぶん」
横からショコリーがずずいっとセシリーの前に出て彼女の顔を見上げた。
「店主、少し店内を見せてもらうわ」
「はい、どうぞ!!」
シュビッとセシリーは敬礼した。
直後、リリアに改めて向き直る。
「お団子の方とリボンのお二人はうちの店は初めましてですよね」
「はい! リリア・ミラーチェといいます!!」
剣を眺めながら顔だけこちらに一度向けて
「ショコリーよ、よろしく」
とセシリーに告げた。
「はい、この店の主、セシリーです!! 御贔屓によろしくお願いします! あ、ウェルジアさんは剣の手入れですか?」
「ああ、頼む」
そう言ってウェルジアは剣をセシリーに渡した。
「……にしてもウェルジアさんも無事でよかったです。まぁ、そんな気はしていたんですけど」
「ウェルジア君、凄かったんです!! なんかこうシュビッて動いてて」
リリアが思い出すようにして、実にアバウトな感想を口にしながら体で再現しようとしていた。
セシリーは心配した表情でウェルジアに確認した。以前に話した剣の使用後の経過が気になるのだろう。
「その、何か身体に変わった事はありましたか?」
「そうだな。戦いの高揚感のせいもあるだろうが、少し記憶が朧げな時があったくらいだ。だが、それがその剣の影響かどうかまではわからん」
「そうですか」
「ただ、剣自体の性能は申し分なかった。見事な剣だ」
「おお、それはよかったです。また何かあったら言ってください」
ぱちぱちと手を叩きながら喜ぶセシリーにウェルジアは先ほどの疑問を口にした。
「わかった。で、そういえば店を出てから剣を持ってない生徒を多く見たがアイツらは武器を買わなかったのか?」
セシリーはバツの悪そうな顔をして目を逸らした。
「ええとですね。基本的に合う子がいないと売っていないと言いますか、、、売れないと言いますか、こう、ええ、申し訳ないとは思うのですが」
「セシリーの剣は生きてる。人と同じ」
プルーナがぽつりと呟く。リリアはびっくりしているようだ。
「え、生きて、え??」
「確かに物質でありながらも生物に似た気配もあるわね。そういうことならこの空気も納得だわ。今までどうして気付かなかったのか不思議なくらい」
剣を眺めていたショコリーがうんうん頷いていた。
「……気難しい子や人見知りの子が多くて、行きたくないという子は売れなくて、、、ごめんなさいをするしかなくて」
「それ武器屋としてどうなのよ」
ショコリーはクスリとした。
「まったくです、、、でも、皆さんにはなんか剣達も好意的な感じがしているので、大丈夫だと思います。とりあえずは直感で選んでもらえればと思います」
「そういうのでいいんだ?」
武器などを持つのが初めてなリリアはキョロキョロと店内を見回し始める。
「……とはいえ、何がいいのかさっぱり、わ、わかんない」
「リリア。大丈夫。わたしもちょっかん。目に留まったのを幾つかみつければいい。手伝う」
「は、はい!! プルーナさん! ありがとうございます!」
プルーナに連れられてリリアは店内の武器を吟味し始める。
「そういえば、あの剣は調べられているのか?」
「ああ、国級剣ですね。はい、でもやはりというか、直すというのは難しいだろうと思います」
「そうか、、、」
ウェルジアは残念そうに視線を伏せた。
続く
作 新野創
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