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EP08 幸せへの交響曲(シンフォニー)4

「サローー」 

 しかしヤチヨは間近で彼を見たことで感じてしまう。
 サロスだったものの目は血走り、緑色に充血していた。
 それは明らかに人のものとは異なる【化け物】であるという現実を彼女に突き付けた。
 
「うっがっ……あァァァァァァァァ!!!!!」

 その声は、目の前のヤチヨに対して、何か危機的なものを感じたかのような激しい咆哮をあげる。

 ONE[ワン]となったこの最強の化け物が唯一恐れるもの……それを持っているヤチヨの存在を無視できない。
 目の前に近づいてきたヤチヨに向け、ONE[ワン]はその大きくその鋭くとがった爪をむき出しにし、腕を振り上げる。
 
「ねぇ……サロス!! あたしだよ!! わかんないの!! ねぇ!! サロス!!」
 
 その声が届くことはない。今、ヤチヨの目の前にいるのはサロスではないのだから。
 自身の核を失い、そこに心喰という化け物が入り込んだことで生み出された悲しき生き物ONE[ワン]。
 その悲しき獣の右腕が、無情にヤチヨの頭上へと振り下ろされる。

「「ヤチヨォオオオッ!!!」」

 ヒナタとフィリアの声が重なる。
 白い冷気による氷の壁も間に合わないという焦りと短時間での力の使い過ぎで使う事が出来ず、フィリアの頬に嫌な汗が滴る。

 成す術もなく目の前に迫る恐ろしい獣の拳に思わず目を閉じた。

『何してやがんだ!!!』
「えっ!?」

 振り下ろされた右腕の爪がヤチヨに触れようとしたその瞬間。
 頭上にあたたかみを感じる橙色の炎の薄い壁が現れ、その拳を受け止めていた。

「……サロ……ス……?」
 
 ヤチヨを攻撃した獣としての意思、ヤチヨを守ろうとした何らかの意思が同時に、一つの体の中で行われたことで、ONE[ワン]はひどく混乱していた。
 自分にとっての未知の力の介入にONE[ワン]の意思は、何かに抵抗するように、暴れるように体を悶えさせる。
 
 もがいた後、動きが止まったかと思えばゆっくりとした動作で天を仰ぎ見ていた首を降ろし、ヤチヨの方を向くと意思を持たない目に少しだけ光が灯っている。
 
「ヤチヨ……おレは……もウ……ダメだ……ダかラ……アイツら、ヲ連れて、逃げローー」

 消えかけていた。いや、既に消えていたはずだったサロスの意思がヤチヨの言葉によって呼び起された事象。心喰が恐れていた事態が起こったのだ。
 
 コニスの一件により、ゼロの中の心喰たちに情報は共有されていた。
 人間の持つ何らかの不思議な感情が自分たちにとって害でしかないこと。
 心喰にとって最も未知なるもの……それが人間の感情。

「逃げない!!!」
「…………」

 また、ぞわりと自分たちの中に生み出される未知の感覚。
 強者として、喰らいつくしたはずの魂と呼ばれるその根源が逆に自分たちを喰らいつくそうとする感覚。
 
 現に、今、この体を支配しているのは心喰ではない。
 喰い消したはずのサロスの意思が、自分よりも強い意思のこもったヤチヨの一言を受けその瞳に光を宿し、驚きの表情を浮かべている。

『ヤチヨはこんな強くて頼もしいやつだったっけ……昔は俺とフィリアが守ってやんなきゃって思ってたのによ……』

 真っすぐに自分を見つめるその瞳を見つめて感慨深く呟く。でも、だからこそ。

「逃げない! 絶対に。フィリアと、あたしの二人でサロスの部屋の外側から呼びかけたあの日からあたしはそう決めたの!!!」

 このままここに留めていてダメだ。俺が意識を取り戻せたのは奇跡に違いねぇ。
 だから、もうきっと、二度目はない。みんなの命をこの手で奪いたくなんかねぇよ……。
 大事なダチをーー。

『……違うな。かあちゃんが消えた後、部屋に閉じこもってた俺に訴えかけてくれたあの日から。変わったんだ。守んなきゃいけないやつから、一緒にいたいって思うやつに、なってたんだ。でも、俺はもう……』

「ヤチヨ……」
「そうだ……サロス……」

 ヤチヨの言葉に続くように、静観していたフィリア、そしてヒナタも歩み寄る。 
 睨みをきかせた目でサロスをじっとフィリアが見つめる。
 
「ヤチヨだけじゃない……僕も、ヒナタも、君を倒したり、逃げるためにここに来たんじゃない……君を、迎えにきたんだ!!」
「そうよ! サロス!! 負けないで!! あなたは今、戦っているの!! あなた自身のあなたではない何かと!! だから、負けないで!! あなたには私たちがついているから!!」
 
 二人に続くように。ヤチヨを追いかけ目の前まで来ていた、ヒナタが更に言葉を続ける。
 だが、その声が届いても尚、サロスの心に潜む闇は強かった。
 
 伸ばされた手を振り払うように、想いをサロスは叫んだ。

「だけど、俺は、人間なんかじゃ、なかった!! 母ちゃんの息子でも、ヤチヨの幼馴染でも、フィリアの相棒でも、ヒナタの友達でも、なかった。そんな俺が、皆の元に戻るなんて、出来るわけがねぇ!! 一緒になんか、いる資格はねぇんだ」

 互いに本音でのやりとりをする者達を前に心喰はひどく焦っていた。
 これほどまでにたくさんの人間の感情をぶつけられることなど経験したことがない。

 全身が震え、恐怖する。
 凄まじいスピードで喰らいつくしたその存在が姿を成していく。

 喰らい尽くせてなどいなかった。
 否、喰らえるはずなどなかったのだ。

 自分よりも遥か大きなその存在を。

「サロス!! 手を……手を伸ばすから!! あたしは、サロスがいくら拒んでも、嫌がってもあたしは手を伸ばし続けるから!!! だからーー」
 「……うっ……うルさイ……ウルサイィィィィィィ!!!!!」
 
 ONE[ワン]は三人の言葉を拒むように、全身から赤黒い炎を吹き出しながら、更にその体を大きくしていく。

 なんでもいい。
 今後どうなろうとこの体が朽ち果てたとしても、今、この場を切り抜けなければならない。
 
 皮肉にも今までゼロの意思として、自らの意思を持たなかった心喰が初めて意思を持った瞬間でもあった。

 生存本能。

 生き物であれば誰もが持つ、原始的なその思考が新たな進化をONE[ワン]にもたらせた。

 みるみる内にその姿は五メートルを超える巨大な生物へと変わっていき、サロスの意識を尚も飲み込もうと炎の柱が捻じり、蛇のようにうねり天へと立ち昇って荒れ狂う。
 そのまま巨大化が終わると、全身から吹き出した赤黒い炎を身にまとい、火だるまのようになって、ヤチヨたちに向けて全力で体当たりをするように突っ込んでくる。
 
 そのどこかやけになっているような行動を起こしたワンの瞳には、先ほどまでのサロスの意思が灯った光はなく、再び一匹の獣になっていた。
 
「サロスぅぅぅぅぅぅ!!!!!」

 フィリアの巨大な青く光る氷の盾が、二人を守る。
 盾にぶつかり、のけ反った瞬間を見るや否やフィリアはその壁を足に氷をまとわせ、盾に吸いつかせるようにして、垂直に登っていく。
 盾の天頂部から飛び降り、上空から落下する勢いも加えてONE[ワン]へと踵を振り下ろした。

 しかし、その空中からの蹴りに対しても、巨大化したONE[ワン]は吹き飛ばされることはなく、その両腕をクロスさせて防いでいた。
 
 その腕は巨大な熊のように太く、人間の攻撃では効果のないようにさえ思える。

「ぐ、くっそぉぉおお、サロス! サロス!!!」

 そのまま左手を大きく振るい、虫を追い払う様にフィリアを薙ぎ払う。 
 今のONE[ワン]にとって小細工など不要な相手。
 フィリアが今まで対峙していたのは、まだ彼でも対抗しうる存在だった。
 
 しかし、自分の何倍も大きなその巨体から繰り出される力に任せた一撃はただの人間である彼には重すぎる一撃。 
 バチンという激しい音と共にその全身が自身の作り出した青い氷の壁に叩きつけられる。

「ガッ、あ、かは、ぁ……ぅ」

 今まで崩れることがなかった強固な氷の壁が、作り出した本人の気絶により、鏡のようにバラバラと崩れ。そのままその場に倒れこんだ。
 
「フィリアッッッ!!!」

 倒れこんだフィリアの下へとヒナタが一目散に駆けだしていく。
 抱き上げられたフィリアはまだ無事ではあるが痛みに顔を歪めていた。
  
 フィリアに一同の注意がひきつけられている間に、ONE[ワン]はヤチヨの目前まで迫っていた。
 
「サロ……ス……」
 
 ……今の、化け物の姿となったサロスが怖い。
 でも、それよりも、そんな姿になってしまったサロスをただ、見ていることのほうがあたしは耐えられなかった。
 
 すぐ近くまで来てはいるのにそれ以上は荒く息を吐くだけで、攻撃まではしてこないサロスに対して、あたしは恐怖を抑え込んで、一歩また一歩と震える足を前に出して近づいていく。
 
 目の前の獣は強くあたしを睨むけれど、その目に不思議と強さは感じなかった。
 口の中に赤黒い火球を作り出し、それをあたしに向けて放とうとするが直前に口元がブレて飛び出した。 
 
 見た目はとても恐ろしいその赤黒い炎は、あたしの頬をかすめて軽いやけどになる。
 でもその程度しかなかった。 
 本当はあたしなんかその場で、消し炭にして燃やし尽くす力を持っているはずなのに実際に向けられている攻撃は殺意じゃない、ただの拒絶だ。
  
 間違いない。サロスの意思がそうさせているんだ。
 サロスは強いから、そして、誰よりも優しいから。 
 
 その証拠に、無理な力の制御によって攻撃をする方が肉体の大きいように見えた。
 口元が焦げ付き、緑色の血のような液体が口元から垂れる。
 同時にプスプスと口の中から煙もあがっているようだった。

 でも、今、サロスはあたしを明確に拒絶している。
 それは、きっと、ううん、間違いなく。あたしを諦めさせるため……に。

 でもね……あたしの諦めの悪さはサロスも知っているはずでしょう?
 あの日、雨の中、フィリアと一緒に訪ねた教会でいくら拒んでも、無理矢理サロスの心の扉をこじ開けた時の事、まだ覚えてる?
 諦めないよ……あたしは。だってーー
 
 【やり直しが効かない。ただ一度のチャンスで後悔はしたくないから】

 今の全身全霊をここでぶつける。
 
「サロス……あたしだよ……ヤチヨだよ……わかる?」
 
 あたしの言葉、聞こえているかな? サロスにあたしの声は……届いているのかな?
 
「ねぇ、サロス、あたしね、サロスがいない間……ずっと考えてたんだよ」
 
 言葉が、想いがあふれ出てくる。
 ずっとずっと言いたかった言葉たちが止まることなく泉から湧き出すように溢れてくる。
 
「サロスとフィリアが帰ってきたら、やりたいこと、したいこと。たくさんたくさん、ヒナタと一緒に話してたんだよ……」
 
 瞳の奥から、自然に涙が溢れてくる。
 それは、ずっとずっと抑え込んでいた想いだった。
 
 サロスとやっと会えたのに……サロスは今、とんでもなく遠い場所にいる。
 もうそんなのは嫌だ。
 天蓋に居たあの時の時間。その時の想いをもう二度としたくなんかない。

 離れたくない。
 あたしは……サロスがどんな姿だってかまわない……だって、見た目は変わってもーー。

「……サロスがどんな存在だとしても、サロスはサロスだよ……あたしの、大好きなサロスなんだよ?……」
 
 目の前の存在の目が一瞬大きく見開き、あたしに向けてその大きな腕を振り上げる。
 そこには、サロスでない何かの意思からの確かな殺意があるように思えた。
 
「ヤチヨ!! ダメ! 逃げて!!」
「ヒナタ……ごめん……あたしは逃げない」
 
 目の前に大きな爪が振り下ろされる。
 
 あたしを斬りさくはずだったその左腕の攻撃は、振り上げた自身の右腕の爪によって引き留められていた。
 低く、恐ろしい声を上げながら痛みで吠えている。
 振り上げた腕に対してその止めることのできない凶行を無理矢理止めるためには少々無茶苦茶な行為をするしかない。 
 
 自分で自分の腕を突き刺すことで、その動きを止めたんだ。
 起こるはずのない奇跡が二度起こっていた。
 だから、もう一度、もう一度だけ。

「……サロス!! あたしは大丈夫だから!! だから、そんなに自分を傷つけないで!!」
「ヤ、チ、ヨ……」
 
 あたしは、ゆっくりとサロスへと近づき。
 力なくダランと垂れさがっていたサロスの大きな左腕をそっとゆっくりと抱きしめる。

 とてもあたたかかった。あたしの知る体温だった。
 
「離れロ……まタ、いツ……お前ヲ襲ウか……ワカンーー」
「いいよ」
 
 こんな小さなあたしに対して、何倍も大きな体をしているのに怯えた顔をした目の前の存在に、あたしは精一杯の笑顔を浮かべる。
 今、あたしは確かにサロスを感じている。
 
「大丈夫だよ。サロス、あたしは、大丈夫だから……」
 「っつ!! ダメだ! ヤチヨ!! ヨケーー」
 
 その叫びの後、サロスの体の肋骨の骨が飛び出し、急激に一本の骨が伸びると、蛇のような曲線的な動きをし、噛みつくようにあたしの左肩をかすめる。
 
「っつ!!!!!!」
「ヤチヨ!!!」

  肩にじわりと血が滲む。痛い。
 でも、あたしは抱きしめている左手を離すことはなかった。

 そのことに更に何かを思ったんだと思う。
 攻撃はそれだけでは終わらなかった。続けざまに他の骨もあたしを狙って迫ってくる。
 その攻撃に対し自分の右腕を前に出すことでは庇って塞いでくれたけど、その腕を細く尖らえることでかいくぐり骨があたしの右足を貫く。
 
 肩の時の非ではない。ずぶりと深く突き刺さったその骨による痛みでどうにかなりそうだった。
 見てはいないけどわかる。右足に赤いドクドクと血が流れている。
 
 その痛みに意識が飛びそうになる……。

 『負けないで』

 ふと、そんな声がどこかから聞こえたような気がして、あたしはまた顔を上げ前を向いてサロスに笑顔を向けつづける。
 だって今もきっと、あたしの何倍も何十倍も苦しんで、痛みに耐えているはずだから。 
 
「大丈夫……大丈夫だよ。サロス、あたしは……サロスのことーー」
「……ヤメ、ヤメロォォォォォォォォォ!!!」
 
 その瞬間わかった。あたしを拒んでいたのはサロスじゃない。
 サロスの中にいるサロスではない意思なんだと。

 断末魔のような悲鳴を上げた後、最後の抵抗とばかりに針のように細く、でも素早い攻撃があたしの喉を貫いた。

「ヤチヨ、イヤァアアアアア」
 
 ヒナタの絶叫がこだまする。

 あぁ……あたし死んじゃうんだ……。
 
 もう声も出せないけれどあたしは、サロスに向けてゆっくりと最後の力を振り絞り口元だけで伝えようとする……。

 今言わなかったら後悔する。
 
 ちょっぴり恥ずかしくて、そのたった一言が言えなかった。
 ずっと、ずっと、長い間、気付かなかった。気付けなかった。
 
 でも気付いてしまったら、すごく言いたくなって、伝えたくなって。
 意識が、途切れてしまう、その前に。

 『「【       あいしてる      】」』
 
 と……掠れた声にならない声が、血飛沫と共に世界へと溶けていった。



つづく

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