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110 蜃気楼の人影

「なんで俺が……こんなこと」

「……」

 双校祭に向けた学園内の準備の最中、シュレイドはぶつくさと言いながら頼まれた作業をしていた。
 生徒会室の隣にある部屋で双校祭の準備は進められるようになっている。これまでの双校祭の資料を参考にしながら、それらが保管されているこの部屋で黙々と地道な仕事が続く。

 人手が足りないので助けて欲しいというメルティナの頼みにシュレイドは断り切れずここに来たのだが役に立てる気がしない。

 カレッツの案で進められているというミス、ミスターコンテストなるイベントのルール整理の手伝いだが正直、一般的な頭脳労働の得意ではなかったシュレイドは何をどうすればいいのか分からない。

「ふふ、前に生徒会室に来た時、生徒会に入らない代わりに困ったことがあれば協力するって言っていたのは誰かしら?」

「……」

 独り言を拾われて、びくりとする。
 隣で一緒に作業しているのはエル。最初に生徒会室で会った時にはそこまで気にしていなかったが、こうして常に近くで作業をしている姿を見ていると本当に同世代なのかと見紛うような顔立ちをしているのが分かる。

 声を掛けられるだけでドキリとしてしまう。だが、これはきっと他の誰もが自分と同じようにそうなってしまうような気もしていた。

「いや、でもそれは、ええ、まぁ、言いましたけど」

 シュレイドはなるべく視線を相手に向けないように返事をする。

「こういう協力はご不満? どうせなら戦いの方が良かったかしら?」

 エルはそっと背けた視線の側へとひょっこりと顔を出して微笑む。流石にここから視線を外すのも失礼なのではないかと思い一度大きくため息をついた。

「いや、別に不満というほどではないんですけど、役に立てる気がしないというか」
 
「うふふ、メルティナちゃんがこういう協力だったら貴方がしてくれるはずって言ってた通りで助かるってるわ。特に肉体労働は私もカレッツ君も苦手だから」

 そう言いながらポンと両の手を合わせてニッコリ喜ぶ姿に違和感を感じる。こういう所は見た目に反してとても幼い印象すらあり、先ほどまでの印象がシュレイド中で大きく変わりつつあった。

「そうですか」

「メルティナちゃん。あなたの気晴らしになると考えたんじゃないかしら」

 顔の前で組む手の指先が妙に艶めかしい。どうにも大人と子供を同時に相手にしているような不思議な感覚になっていく。

「気晴らし、ですか」

「ええ、彼女なりに貴方の事を心配しているんじゃないの」

 おそらく生徒会の面々も自分の身に起きた事を何らかの形で知っているのだろうとシュレイドは今の一言で察する。だが、直接的に話をしてこない辺り、エルも気を遣ってくれているのだろう。

「……」

「ね、シュレイド君」

「はい?」

「……」

 エルはじーッとシュレイドを見つめた。目を見開いたままその視線を外すことが出来ない。だが、不思議な事にシュレイドはその瞳がぼんやりと淡い光を放っている事に気付く。
 エルからは敵意などは感じないが、大きな違和感が身体に走る。自分以外の誰かに行動を指示されるように自我の合間に差し込まれてくるようなその感覚に首を傾げる。

 するとエルも同じように首を傾げて人差し指を下唇に当てて少し拗ねた顔をした。今度はまた幼い表情に思える。

「……ん。最近多いわね」

 聞こえない位の声で吐息交じりに呟いたエルに気になったシュレイドは問いかける。

「あの、今の何をしたんですか?」

「えっ、今の?」

 途端にエルの身体から緊張した空気が生まれ、これまでの弛緩していた空気から一気に室内が息苦しくなる。

「いえ、今エルさんの瞳、光ってたんですが」

「……私の瞳が、光る?」

「ええ、見間違いじゃないですよね」

 これまで見たことがないような鋭い視線で値踏みするようにシュレイドの様子を見ている。

「……そんなことを言われたの、二人目。あの人と同じ、だわ」

「……」

 エルは思案しつつ言葉を選びながらシュレイドを見つめる視線が柔らかくなる。

「はい?」

「もしかして、シュレイド君も盤上に立っている側の人間なのかしら」

「盤上? それってどういう……」

「……」

 そこへカレッツが意気揚々と入ってくる。
 ガラガラガラというドアの大きな開閉音が二人の耳と視線を奪った。

「優勝者への特典!! 決まったよぉ~エルちゃ……ん!?」

 意気揚々と入り込んできたがゆえに部屋の空気が少しばかり、出ていった時と異なりおかしい事にカレッツは気付き鼻息を荒くした。

「シュレイド君、あの、エルちゃんに、その、へへへ、変な事してないよね?」

 カレッツは何か言いたいことがあるのかどうにも歯切れの悪い言い方をした。

「変な事? というか寧ろ俺がされたような気がしま……んんっ」

 バッとエルはシュレイドの口元を背後から覆い隠した。

「ふがふが」

 ぎゅーっとエルは後ろからシュレイドの背中に密着しながら羽交い絞めしつつ小声で呟く。

「……お願い、さっきの事は黙っていてくれる?」

 シュレイドはコクコクと頭を上下に振った。思いの外エルの力が強い。

「なら特別にもう少しだけ♪ ぎゅ~っ」

「ちょ、カレッツさん達が見てますって……」

 密着してこられた際に鼻孔をくすぐる香りに何故だか安心感を覚えた。
 懐かしい? とも形容できるエルの匂いに混じるその香り。

 それがどうしてなのかシュレイドにはわからず、無意識に身を任せてしまっていた。ここ数日、夜眠れていなかった事もあり、唐突な眠気がシュレイドを襲ってくる。

「……エルちゃぁん、もしかしてシュレイド君の事を!?」

 カレッツは脂汗を飛び散らしながら顔面蒼白になってほっぺたを両の手で押さえていた。

「うふふ、可愛い後輩くんよねぇ。ね、シュレイド君♪」

 エルは何かに気付き更に強くシュレイドを抱き締める。

(この子の核、、、これは、、、なに? 私の力に気付いたのももしかしてこのせい?)

「おああああああああああーーーーノォオオオオ」

「……」

 カレッツの頭は前後にブンブンと揺れていた。腹筋と背筋が鍛えられそうなその前後の激しい動きにブルンブルンとカレッツのおにくが揺れる。

「でも、シュレイド君はカレッツ君とは違って密着しても全然緊張とか照れたりしてくれないのねぇ?」

 エルはシュレイドの力を探るように密着していたが気が付けばスー、スーという寝息が聞こえてきていた。

「……あれ? シュレイド君、寝てるよエルちゃん」

 まさかの寝落ちにエルもびっくりして顔を覗き込む。

「うそ?」

 そこには安心しきった顔で寝息を立てるシュレイドの姿があった。

「どゆこと? エルちゃん何したの!?」

 まるで手品のように眠りに落ちたシュレイドにカレッツも困惑してわたわたしている。先ほどまでの嫉妬は途端に消え失せて、心配の顔へと変わる。

「え、え、え、私にもわからないわ」

 エルの困惑も未だに続いていた。意識的に使った自分の力にはこんな効果はないと知っている。こんなことは初めてでどうしていいのか分からない。
 ただただ寝息を立てるシュレイドを見つめ続けているとカレッツの様子が視界の端に入る。

「エルちゃんのおっぱいに安眠効果があるという事!?」

 カレッツは真顔で顎に手を当てながらそう推理した。

「そんなことってあるのかしら?」

「十分あり得ると思う」

 そう即答したカレッツは室内にあったソファから資料をどかして場所を作っていた。

「まだまだ作業があるのになぁ」

 とはいいつつ、カレッツはエルに目線で促した。

「……一旦、このまま休ませてあげましょう、か」

 エルの言葉にカレッツは優しい笑みを浮かべる。

「そうだね。この時期は慣れない学園生活を過ごしてきて一番疲れが来る時期だもん。僕もそうだったし、無理もないよ」

 カレッツも一連の出来事は把握しているようで自分が同じ状況だったらどうなっていたかを想像し、恐ろしくなっていた。
 元々、自分は騎士になるというよりも将来の人脈作りでここへと入れられたクチだ。当然、他の生徒の命を奪うということは経験がない。

 ゼアは生徒会のメンバーではなかったけれど、良く生徒会室には顔を出してくれていた人物だ。カレッツも少なからずショックを受けていた。

 もし自分が知り合いを手にかけてしまう。なんてことが起きたとしたら、その精神的負担は推し量れないほどにきっと大きいはずだ。

 考えるだけで胸が詰まる。

「ええ」

 カレッツはエルの元からシュレイドを抱え上げるとソファに寝かせて自分の上着を被せた。その様子をエルは優し気な瞳で見つめる。

 しかし、直後に話題を切り替えるように大きく手を広げたままエルにアピールするように全力で振り向き、即座にシュバッと右手を握手するように差し出した。

「という訳でエルちゃん、次は僕もお願いします」

 エルはクスクスと笑いながらその手を払ってさりげなく断りを入れた。

「だーめ、カレッツ君には壮大な目的があるでしょう? 準備を進めましょ」

 そう言ってウインクした。

 眠るシュレイドに恨みがましい視線を向け下唇を噛むが頬は緩んでいる複雑な表情を浮かべていた。

「う、うぐぐ、うらやまけしからんぞシュレイド君、けど、ウインクでもOKでぇえええええす!!!!!」

 カレッツは舌をぺろりと出しながら親指を突き出した。

「さ、張り切って作業の続きを進めようかエルちゃん!!!」

「了解! 双校祭の実行委員長さん♪」

 その様子を窓際で眺める一人の男子生徒がいた。二人にも気付かれていないのかまるで空気のように佇む彼は視線を窓の外へと向けた。

「これは、サンダールさまへ報告が必要かな」

 部屋に漏れた呟きすらも誰にも気付かれないまま、カレッツのうおおおお
という作業の掛け声に彼の声は掻き消されていく。

 彼はゆっくりと二人が作業している席の近くに腰掛ける。

「カレッツ君、僕も手伝うよ」

 その声にエルとカレッツは頷き、まるで何事もなかったかのように作業は再開されていくのだった。



つづく


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