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174 くらやみぜつぼう

 声の出ない女性と動けない自分が隣り合わせに天井をみつめている。

 わたしのなまえはリニア。

 身体が動かず、このベッドで隣にいるメリアさんと一日の大半を過ごしている。
 
「あ、う、あ」
「メリアさん? どうかしたんですか?」

 声を聴く事しかできないリニアがきいても、喋れないメリアさんはただ小さく呻くことしかいつもできない。

 意思疎通が出来ないはずのリニア達。
 
 けど、虫の知らせ。胸騒ぎ。
 
 そういう言葉がある。

 胸の中でもやもやする不安を感じているのだろう。
 
 共に学園に行った肉親の事を思い出している事は間違いなかった。


 
 偶然リニアと名前の似ている二人と初めて話したのはいつだったか。

 あれはお兄ちゃんがおしごとに出てしばらく顔を出せない時期だった。

 一人真っ暗な中で静かにジッとしているだけの日々。

 何が出来るわけでもない。

 ただこうして、お兄ちゃんが来るのを待つことしか出来ない時間。

 リニアはどうして、生きているんだろう。

 いっそいない方がよかったんじゃないか。

 お兄ちゃんにこんな迷惑をかける続けていることを自覚できるほどに成長してしまっている自分。

 何もできないのにこれは本当に成長しているだなんて言えるのだろうか。

 リニアは何のために、生きているんだろう。

 身体が動かない自分は自分の命の行く末を決める事すらも叶わない。

 お兄ちゃんの為にただ言葉をかけることしかできない。

 リニアの日々が少しずつ変わったのは昔リリアちゃんと話した日。

 いつもは隣でメリアさんと文字を書く音が聞こえてくるだけだった。

 お見舞いに来ていたリリアちゃんが初めて話しかけてくれた。

 その日、リニアは生まれて初めてお兄ちゃん以外の人とおはなししたんだ。

「あなた、リニアちゃんっていうんだ?」
「うん」
「私はね、リリア。私たち凄く名前が似てるよね」
「うん」

 視線の合わない私に首を傾げている様子が雰囲気で分かる。

「……リニアちゃんは、その」
「うん、なんにも見えないの」
「そっか……ねぇ、お母さん」
「う、あ」

 隣にいる自分と似たような境遇の女性メリアさん。彼女は私と似ていて、足を動かせず出歩くことなどが出来ない。そして、話すことが出来ない。

 でも、リニアと違って目が見えているんだって。

 いいな。いつも真っ暗、何にも見えない。

 リニアは喋れるけど、目が見えない。

 メリアさんの娘さんであるリリアちゃんはリニアよりもちょっとだけお姉ちゃんらしい。

 リニアのお兄ちゃんとおんなじくらいかなぁ?

 じゃぁリリアおねえちゃんだ。

「うん、そうだよね。やってみる」

 紙にペンが走る音がサラサラしたかと思うとリリアさんが呟いた。
 
 この音はメリアさんのペンの音。

 優しく耳に届く音で分かる。

 メリアさんはとてもやさしい人。

「リニアちゃん。その、良かったら、私の歌、聞いててね」

「う、た?? ってなぁに?」

「あ、えーと、んーと、説明するの難しいから、ちょっと耳を澄ませてもらえる?」

「う、うん?」

 リリアさんが何をしようとしているのか分からず戸惑う。

「~ラ~♪」

 途端にリリアさんの声が優しく耳を撫でるように通り抜けてリニアはそのまま静かに黙り込んだ。

 不思議な声がゆっくりと響き静寂が室内を包み込んでいった。

 リリアさんの声が聞こえなくなると再び静寂が病室を包み込む。

 リニアの心はぽかぽかと温かい気持ちに包まれていた。

 こんなことは初めてだった。

「すごい、なぁにこれ~」

「おうただよ」

「おうた?」

「そう」

 この時、初めて思った。これならお兄ちゃんに何かしてあげられるかもしれない。
 リニアにも何かができるかもしれない。

 今思えばきっとそんなことが出来たくらいではお兄ちゃんにとって何の助けにもならない。それでもこの時のリニアは、これが一筋の光だと思い込んでいた。

「リニアにも、出来るかなぁ」

「え、リニアちゃんおうた、気になるの?」

「うん、リニアもやってみたいな」

 声があればできる事。他に何もできないリニアの興味を引いた、うた。

 それから私はリリアさんに病室で歌を教えてもらった。リニアたち二人の様子をメリアさんはきっと微笑ましく眺めてくれていたのだろうと見守る雰囲気から汲み取って思っていた。

 練習したのはリリアちゃんが教えてくれたうた。

「おいわい、のおうた?」

「そう、今のは誰かのお誕生日をお祝いするうたなんだよ」

「ふぅん、ねぇリリアおねぇちゃん。おたんじょうびってなぁに?」

「えっ」

 戸惑う空気が傍にいる二人から流れてくるのが分かる。何かリニアはいけない事でも言ってしまったのかな。
 小さくペンを走らせる音が聞こえる。メリアさんが何かリリアちゃんに伝えているみたいだった。

「……自分が生まれた日のこと、だよ」

「そうなんだ。リニアはいつ、うまれたの?」

「それは……」

 それきり黙ったままそっと自分の頭にそっと手が置かれる。
 この手はメリアさん。隣り合わせのベッドにいる大人の女性の手がリニアの頭を撫でてくれた。

 いつからか居なくなったお父さんとお母さん。どうしていなくなったのか。そのことをよく覚えていない。

 気が付いたらお兄ちゃんと一緒に二人ぼっちで生きていた。

「……おにいちゃんに聞いてみる」

「リニアちゃん、お兄ちゃんがいるんだ」

「うん、いつも働いてて時々しかここに来ることができないの、でも」

「リニアちゃん、お兄ちゃんのこと大好きなんだ?」

「どうしてわかるの」

「お兄ちゃんの話をしている時、とってもにっこりしてるから」

「うん、リニアね。おにいちゃんのこと大好きなの」

「そっか」

「さっきのおうた、お兄ちゃんにうたったらよろこんでくれる?」

「うん、きっと。じゃぁ、一緒に練習して喜んでもらおうね」

「うん!」

 拙いわたしのうた声

 か細くて、震えていて、自分でもさっき聞いたリリアちゃんのうたとは全然違うへたくそなうた。

 いや、うたともいえないただの発音がひともじずつならんでいくだけの声。

 でもこの時は、自分にもできるかもしれない新しい何かに心が躍っていた。

 パチパチパチと二人の手を叩く音が聞こえる。

「どう?」
「リニアちゃんとっても上手になったね!」
「えへへ、ねぇリリアおねえちゃん。おにいちゃんにおうたきいてもらうとき、いっしょにうたってほしいなぁ」
「一緒に? そのお兄ちゃんって今日来るんだっけ?」
「うん!」

 誰かに褒められた事なんて久しぶりだったから嬉しくてその日はニコニコしておにいちゃんの到着を待っていた。

 けれど、その日もおにいちゃんは病室に一瞬顔を出しただけでまたおしごとというものをしに出て行ってしまう。

 約束したのに、どうして。

「先生ごめんなさい。これだけで」
「ウェルジア君。いいんだ、いいんだよ」
「また、働いてくる」
「待ちなさい。リニアちゃんに会っていかないのかい」
「顔は見ていく。ここに居られなくなったら困るんだ」
「それは構わないとずっと言ってるだろう?」
「俺は誰にも頼れない。これはリニアの為にしているだけだから」

 そう言って先生の制止を振り切ってウェルジアは退室した。

 ガチャリとドアが開く音が聞こえてリニアはその方向へ嬉しそうに声をかけた。

「あ、お兄ちゃん?? あ、あのねリニアね!」
「リニアすまない。俺はまたこれから仕事に行く。大人しくしているんだよ」
「えっ、あ、おにっ……」

 そそくさと出ていったことが分かる足音とドアが閉まる音。姿の見えないお兄ちゃんの後ろ姿へ声を掛けようとするもその我儘を呑み込んだ。
 他の誰でもない自分の為にお兄ちゃんがここまでしてくれている事を知っていたから。

 ガチャリと再びドアが開く音がしてリリアさんが買い出しから戻ってきたらしい。
 その足音がお兄ちゃんでない事は音で分かるから。

「リニアちゃん。なにかあったの?」

 隣でさらさらとペンが走る音が聞こえる。一部始終を見ていたメリアさんがどうやら説明してくれたようだった。

「……そんな」

「いいの。しょうがない、こと、だから。リニアの、せいだから。全部リニアがいるから、お兄ちゃんは」

 もしかしたら自分はお荷物なんじゃないだろうか。
 おにいちゃんが全てを投げうってリニアの為に時間を使っている事を知っている。
 自分さえ居なければお兄ちゃんはきっともっと自由になれるはずなのに。

 おたんじょうびをおいわいするうた

 じぶんのものも

 おにいちゃんのものも

 わからない

 だから、それをおいわいすることなんか

 できない

 さいしょからできるはずなんか、なかったんだ





 そんなお兄ちゃんが学園へといく事になった。

 それも全てはリニアの為。

 分かっている。

 けれど、寂しい。

 とっても寂しいんだよ。

 おにいちゃん。

 でも、それを伝える事は決してしない。

 だってお兄ちゃんは、私の為に考えてくれたことなんだから。

 でも、本当にこれで、いいの?

 いいわけない。

 リニアだって、おにいちゃんのためになにかしたい。

 したいんだもの?

 おにいちゃん。

 昔と全然違う雰囲気になってしまったおにいちゃんの事は見えなくても分かっていた。

 きっと無理をしている。

 無茶をしている。

 ずっと辛いに決まっている。

 身体も心もボロボロなのが伝わってくるんだよ。

 どうして、リニアの身体は動いてくれないんだろう。
 
 どうして、リニアの目は見えないんだろう。


 胸騒ぎが収まってくれないその夜。

 学園に行ったおにいちゃんと昔遊んだ時の事を。

 遠く夢に見ていた。

「こっちだよ、リニア! あははっ」

 追いかけても追いかけても近づかない後ろ姿。
 昔、笑顔でいっぱいだった頃の明るいおにいちゃん。
 リニアは必死に追いかける、息が切れても、足が痛くても。

 身体が動いていた頃の感覚がふいに思い出される。

 けれど、動くことを長く忘れていたその身体は夢の中でさえも自由にならず、その姿はどんどん遠くなっていく。

 不安と恐怖がリニアの心に滲み出て、ただただ一人になりたくない衝動に支配される。

 どんどん離れていくおにいちゃんの姿に向かって叫ぶ。

「置いていかないで! おにいちゃん!!」

 けれどその声は届かず、おにいちゃんの後ろ姿はずっと遠くの暗闇の中へと消えていった。

 まぶたを勢い良く開けるように目が覚めると動かない身体は何も変わることはなく、ただいつもの暗闇だけが拡がっているだけ。

『な……うつ…し…ものがたり…………らぁ』
 誰かの囁くような声が聞こえたような気がした。

 現実に生きるリニアは景色の消えた世界に一人、その絶望の中で横になっている事しか出来なかった。




 つづく


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