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106 救護室の老婆
鼻にツンと来るような独特の香りに刺激され瞼を開いたミレディアが天井を仰ぎ見る。
ぼやける視界に焦点が徐々に合ってきて目覚めるまでの記憶を手繰り寄せる。
「う、ん。あれ?」
かけられたシーツの布ずれの音が耳に届く、と同時に声がした。
「気が付いたか?」
記憶にあるその声のする方へと目を向けると傍に一人の見慣れた生徒が座っている。と同時に場所の景色が視界に入ってきて、ここが救護室であることを知る。
ずらりと並ぶベッドはミレディアが寝ている場所以外には誰もいない。
「シュレイド?」
声を掛けると俯いていたシュレイドは顔を上げてミレディアの顔を覗き込むようにして目を見た。
自分と視線がズレていない事を無意識に確認して小さく安堵の息を吐く。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫」
「そっか」
「アンタが助けてくれたの?」
僅かに視線を宙に運んだ後、一言。
「俺はここまで運んできただけだよ」
と返答した。だがそれで十分だった。
「そう、ありがと」
「なにか、あったのか?」
「うん」
「そっか」
だが、それ以上、深くは何も聞かない。
身体中に包帯が巻かれており、痛々しさが残る。
彼女の生き方にはこれまでどこか危うさがあった。それはシュレイドも昔から感じていた事だった。
自分の鍛錬に必死に付いて来ようと無茶ばかりしていた過去の姿を思い出して、目の前の彼女の佇まいの変化に気付く。
以前とは異なる事がハッキリと分かった。
彼女もこの学園の中で成長しているのだと実感した。
昔とは少しずつ周りも何かが変わっていく。
変わらないのは、自分だけなのかもしれない。
これからも周りの環境が自分の気持ちとは裏腹にどんどん変わっていくのだろう。
そう思うと未だに終わりの見えないこの闇の向こう側へと進むことが怖くなっていく。
「起きたのならもう大丈夫、後は先生が見といてあげるからあなたは部屋に戻りなさいねぇ」
二人の様子を見ながら声を掛けてきたのはシワシワのおばあちゃん先生だった。
柔らかい笑みを浮かべて湯気の立つお茶をのんびりと啜っている。
「ああ、あめちゃん、舐める?」
返事も聞かず、シュレイドに自然な動作で飴菓子を1つ握らせた。
「あ、ありがとうございます。それじゃ、俺はこれで」
シュレイドは立ち上がり、部屋を後にしようとした。
「シュレイド、その」
「ん?」
ミレディアは一瞬口ごもる。でも、前に進むためにきゅっと唇を噛みしめてシュレイドへ伝える。
「その、フェレーロが部屋にいたら、なんだけど」
「おう」
「今度、ゆっくり話そうって、そう言っておいてもらえる?」
「……わかった」
先ほどと変わらず、理由は聞かずにシュレイドは答えるとゆっくりとミレディアに背を向ける。
今のやりとりによって彼の中ではこれほどまでにミレディアを傷つけた人物の検討が付いた。が、何も言わずに部屋を出る。
不思議と驚きはしなかった。寧ろ腑に落ちたくらいだった。フェレーロが実力を隠している事には気付いていたからだ。
度々、授業でふざけていた意図は今でも分からないがそれだけの力があるという事は何も不思議な事ではなかった。
ただ、不可解な事があるとすればミレディアも相当に力があるという事。ここまで一方的にやられるというのはシュレイドもあまり想像がつかなかった。
しかし、全ては彼女の穏やかな表情が物語っており、シュレイドは口元の端を僅かに緩めて笑むとドアを閉めた。
僅かな静寂に先生がお茶を啜る音だけが聞こえている。
ほんのりと優しいその茶葉の香りが鼻をくすぐる。
「ふふ、これはね。ここよりも更に東の遠い高度の高い僻地でしか栽培されていない貴重なものなのよ。いい香りでしょう?」
「はい、なんだか落ち着きます」
「そうだ、貴女にも淹れてあげましょうねぇ。喉が渇いたでしょう?」
既に夜も更けており、先生が手当てをしてくれたことはすぐにわかった。
これ以上の迷惑はかけられないと断ろうとした。
「え、そんな悪いです」
そうしている間にも焼き物のような材質の高級そうな容器にちゃぷぷぷと注いでいた。
「いいのよ。少し、体を起こすわね」
ミレディアの背中に手を差し入れて抱き起こす。その手の柔らかさと思っている以上の力強さに驚く。
明らかに年老いているはずなのにその動きには衰えは感じない。
淹れてもらったものを断るのも気が引けるミレディアはおずおずとその容器を受け取った
「ありがとうございます」
「どうぞ、湯呑が少し熱いから気を付けてねぇ」
「これ、湯呑っていうんですね。不思議な形、デコボコしてる」
ミレディアは受け取った容器の水面をフーフーと冷まして口を付けゴクリと少量を飲み込んだ。
「あ、おいしい」
でしょう? とでも言いたげな優しい笑みのまま、静かにその先生は佇んでいた。
「それにしても、このコスモシュトリカでオースリー以外の時に決闘をする生徒がまだいるなんて、珍しいわねぇ」
「決闘?」
「うふふ、救護室に運ばれるのって、本気でやりあおう部の子達とかバイソン君のとこのお友達の皆くらいで。普段は怪我してここに来るような生徒って少ないの。いつも一人でお茶を飲むしかしてなかったのよねぇ」
ズズーッとお茶を啜りながら久しぶりの来訪者に喜んでいる? というのはおかしいかもしれないがそのように見えた。
加えて彼女の見知った部の名前が出て思わずつられて苦笑いをしていた。アイギスにみんなボコボコにされているその情景が明確に浮かんだからだ。
もう一人のバイソンという名前は聞き慣れなかったが、アイギスの部と並んで怪我を良くするような事をしているのなら荒くれ者の集まりであることは容易に想像できた。
「そうか、あれは決闘……だったんだ」
「相手の獲物は槍ね? 傷のつき方をみるとエナリアちゃんの槍よりも技術が高いかも、もしかしたら今の九剣騎士、学園にいた頃のディアナちゃんやクーリャちゃんよりも腕前が上かも知れないわ。びっくりねぇ」
救護の先生は治療時の様子を思い出すように顎に指を添えて考え込む。エナリアが現在の学園内でも屈指の槍の使い手である事は知っていたが、かつて自分たちのように学園で過ごしていた現九剣騎士の二人と比較しても引けを取らないという話に今さらながら良く生きていたなという感想がミレディアの頭をよぎる。がそれよりも驚くべきことがあった。
「ええ!? 傷のつき方でそんなことまで分かるんですか?」
明らかに情報はミレディアの受けた身体の傷のみだ。普通はどんな武器で傷がついたかなんて目視だけで判断するのは至難の業だ。
「結果的に傷口が綺麗すぎたのが幸いしているの。攻撃位置は基本に忠実、突きによる攻めが主体であることから十中八九トラスト槍術の使い手でしょうね。もし未熟な技術の人間につけられた突きによる裂傷だったら貴女、死んでたかもしれないんだから」
そう言われた瞬間に冷や汗をかいていた。あの時はミレディアも覚悟していた事だが、第三者に改めて告げられる自分の状態を聞くと不思議と恐怖感が生まれてくる。
「そうですか」
「応急の手当ても適切、その処置からここに運ばれるまでの時間もあまり経ってないみたいだから本当に運が良かったのよ」
「フェレーロの手当て、あとはシュレイドがあそこからここまで全力で走ってくれたってことか」
フェレーロも自分の事で気が動転していたから後の事まで考えていなかったのだろう。そもそも命を奪うつもりでいたのだから応急手当をしてくれたことも偶然とはいえ紙一重の出来事であったと言える。
「あとは貴女自身の体力かしらねぇ、随分と鍛えているでしょう? 先生そういうのわかっちゃうのよ~」
「いや、普通位だと思います。もっとすごい人が身近に居たんでまだまだ足りないです」
「あらぁ、謙遜しなくていいのよぉ。そういうのストイックっていうんでしょう? すごいわね。でも、自分の身体は大切にしないとだめよ。自分に合った方法で身体は鍛えなくちゃ」
「はい……その、先生は、ここにきて長いんですか?」
先ほど現在の九剣騎士の二人をちゃん付けで呼んだくらいの先生だ。相当長い間、ここにいる人であることがミレディアにも分かった。穏やかで静かに佇む姿にまるでグラノと話していた時のような安心感を彼女は覚えていた。
「そうねぇ、知ってるか分からないけど、西部学園都市にいらっしゃるプーラートン先生よりも年上なのよ私。東西の学園にいる先生達の中では最高齢かもしれないわねぇ、50年は少なくともいるんじゃないかしら?」
騎士を目指す者なら誰もが知っている人間の一人、プーラートンの名前を聞いて驚き、先生の在籍の長さにも驚く。ミレディア自身の人生を三倍ほどしても越えないような途方もない年月だったからだ。
「50年……すごい。あ、確か、プーラートンさんはエニュラウス流の始祖と言われる新しい流派を比較的、近代に生み出した方ですよね? 今は西部学園都市にいらっしゃるんですか?」
「ふふ、そうよ~、凄いわよねぇ。あたしは騎士になってすぐに病気で前線にいられなくなっちゃって。戦う事はからっきしダメだからすごく尊敬しちゃう」
年齢からは考えられない程にチャーミングな目の前の先生は本当に精神的なものが若かった。
「でも、こうしてあたしのような生徒達の傷を何十年も診てくれているんですよね。それだってすごい事です」
「あら、ありがとうね。自慢じゃないけど古くは、、、アレクサンドロくん、グラノくん達も私がまだ新任だった頃に治療したことがあるのよぉ」
自分を助けてくれた英雄であるグラノや、九剣騎士アレクサンドロの名前を聞いてミレディアは身の乗り出した。
「ええ!? すご、、いったァ」
「あら興奮しちゃダメよぉ、あなたしばらく安静が必要なんだから」
「すみません、つい」
お茶を飲むのに上半身を起こしていたミレディアの肩をゆっくりと押して寝かせ直してくれるその手はやはり優しかった。湯呑もさりげなくテーブルへと戻してくれていた。
ポンポンとミレディアの頭を手で叩いて椅子にゆっくりと座り遠くを眺める。
「けど、いつまでもずっと戦えていた人達ってみぃんな私より早く死んでいっちゃうのよねぇ」
そう言って、寂しそうな顔をした先生。
「先生」
「なぁに?」
「その、グラノさんの事を聞いても、いいですか?」
「あら、一番新しい国の英雄さんのお話が聞きたいの?」
「実はあたし、昔、グラノさんに命を救われた事があって、でも考えてみたら騎士だったグラノさんの事何も知らないなぁって思って」
「あらまぁ」
「あ、そういえばさっきあたしを助けてここに運んでくれたのが……」
言葉を遮るようなタイミングで先生がぽつりと呟く。
「シュレイド君よね。話はカレンちゃんから聞いていたけど」
「そうですか」
その直後、唐突に彼女の発した言葉がよくわからなかったミレディアの思考が停止する。
「本当にあの子はグラノくんのお孫さんなの?」
「え」
瞬間、頭が空白になる。これまでのミレディアの人生に当たり前のようにいて過ごしてきた少年との出来事に入り込んできた先生の突然の言葉。が、これまで彼と過ごした時間と記憶を思い出して返答する。
「はい」
「あら、生きていたのねぇ」
再び、何を言っているのか分からない言葉が飛び出し、ミレディアはますます混乱した。
「いきて、いた? えーと、あ、その、どういうこと、でしょうか」
先生が首を傾げて、あら? というような表情で目をぱちくりさせ口元に人差し指を当てるようにして考えた。
「グラノくんのお孫さんは亡くなったって風の噂で昔、聞いたことがあったものだから、記憶違いだったのかしら」
お歳を召している先生の言葉の真偽は確認する術はなかった。それ以上にミレディアが共に過ごしてきた彼との時間はちゃんと彼女の中に残っている。
「少なくともあたしはそんな話、聞いたことないです」
そう答えられるほどに確信は十分にある。怪我のせいかまだ本調子でない事も関係しているのかもしれないとミレディアは一旦、深呼吸をした。
彼はシュレイド・テラフォール。
紛れもなく自分と共に小さい頃から共に育った人物で、ミレディアをかつて助けてくれたグラノ・テラフォールの孫。
「なら私の記憶違いかもしれないわ。私ももういい歳のおばあちゃんだから記憶がどうにも曖昧なのよね。ふふ、生きているのならそれで十分。理由なんてどうでもいいの。少なくとも私よりは生徒の皆に長生きしてもらわなきゃ寂しいものねぇ」
その言葉の重みの全てを受け止められるという訳ではない。ただ、アニスの死に直面した過去を持つ今のミレディアの胸の中に先生の言葉がじんわりと胸に沁みた。
そう、きっとミレディアよりも多くの知人、友人、大切な人たちを彼女は長い人生の中で見送ってきたのだろうという事は想像に難くない。
「……」
「さぁ、もう休みなさい。シュレイド君にもあげたけど、疲労効果のあるハーブを練り込んである飴を舐めて、あとはゆっくりと回復するまでここでおやすみなさい。幸い授業もしばらくはないですからね。グラノくんのお話はまた今度しましょうねぇ」
「ありがとう、ございます」
疲労が予想以上にあったのか、その状態で思考し続けてしまったからか、それとも頂いたお茶や今舐め終わった飴の甘さによる効果か、ミレディアは瞼を閉じるとすぅーっとあっという間に再び眠りへと落ちていった。
つづく
新野創■――――――――――――――――――――――――――――――■
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