100 天才(天災)少女アイギス
暗い室内で、男は一人手紙を読み返していた。
何度も、何度も。
カサリ、カサリと微かに響く紙の音が物悲しく耳を撫でていく。
小さな手元の蝋燭が手紙と少年の横顔を照らしている。無表情のままで文面を見つめる男の頬を涙が一筋ツーっと伝っていく。
所々が擦りきれている手紙。もう何度目か分からない位に読んだそれを閉じると共に瞼も静かに下ろした。
「アニス」
耳に入る自分の口から溢れた名前、小さな泣き顔が脳裏に焼き付いて離れて消えない。その後悔は今でも彼の心の中に呪いのように苛み続けている。
幼い頃、馬車に乗せられ離れていく自分が見える
視界から少しずつ小さくなっていくあの日の人影
拙い足取りで必死に自分を追いかけてくる少女
追い付けるはずなどないのに
ただ、ただ
遠くから必死に自分を呼ぶ声
お兄ちゃん!!
思わず耳を塞ぐも記憶の中で叫ばれたその声に胸が張り裂けそうになる
罪の意識に苛まれて唇を思わず噛み締めると血の味が口の中に拡がっていく
人間は、後悔する生き物だ
それが例え、その時の自分にはどうしようもなかった事だったとしても
それでも自身が望まず起きた出来事の数々にいつまでも苛まれ続けるのだ
あの日こうしていれば
あの時こうしていれば
時が経っても薄れる事なく、心のどこかにそれは残り続ける
降り積もった年月があの日に見たあの盛り土のように積み重なる
墓標とはとてもいえないような、ただ盛られただけの土
墓地の隅にひっそりと誰にもきっと知られずに今もあり続けているのだろう
汚い小さなただの木片が刺さっているだけの場所
木片に刻まれたその名前を目にしたあの日から、全て変わってしまった。
「俺はミレディア・エタニスを絶対に許さない」
手紙を大事そうにしまい込み、箱を閉じた。
机から立ち上がり、室内の壁に立て掛けている槍を掴み取り目を閉じる。
「命を奪う為にあなたからの教えをこうして使う事、どうか許してください……ベルア先生」
男は何か覚悟を決めたように部屋からゆっくりと出ていった。
広い室内では多くの者が息を切らせ、倒れ込んでいる。
最後まで立ち上がっていた者は二人のみ。
一人は腕を組んで仁王立ちとなり笑みを浮かべながら肩で息をし、もう一人は膝をつかないよう踏ん張って息を荒げてかろうじて立っている。
「へへ……お前がこの『本気でやりあおう部』に来てから、このアタシの息も多少は上がるようになっていい感じだ。ガレオンやスカーレットとやる時と変わらない負荷を毎回かけられるのは楽しいもんだ。最近は意識も飛ばさねぇで終わった後もこうして喋れてるオマエはマジですげぇ、それに」
アイギスが周りをチラリと窺うと倒れていた者達もまだ立っているミレディアに負けじと踏ん張って立ち上がろうとした。
「このボンクラ共が意地になって気張りやがるのもお前に影響されてだし、いいことずくめだぜェ」
嬉しそうにアイギスは部員たちを見渡して高らかに叫ぶ!!
「お前らもミレディアみたいにもっともっとしつこくかかってきやがれ!! 強くなりてぇからこの部にきたんだろうがよ!」
檄を飛ばすアイギスの声に部員達は全員が必死に返事をするが、誰もが限界のようで一度立ち上がるも再び倒れ込む。ミレディアも遂に片膝をついて息を整え始めた。
「ふー、ふー、持久力には自信があったはずなんだけどなーあたし。にしてもアイギス先輩くっそつよすぎ、悔し~今日も負けた~」
天井を仰いでジタバタするのをみてアイギスがニヤニヤしていた。
「だろぉ~~~~~フヒヒ♪ アイギス様は最強だかんな」
とアイギスがニコニコと機嫌をよくしている。
「なんていうか自分の動きとか行動パターンがすぐに読まれていってる感じがします」
アイギスがぽかんと口を開けて首を傾げる。
「ああ、それは昔からだな。動きなんか一発見れば見切れるし真似するくらい訳ねぇだろ普通」
「すご。え、見ただけでとか天才じゃないですか」
「生まれつき天才だから仕方ねぇ。さって、お前ら、今日の反省点だ。耳かっぽじって良く聞けよ~」
そう言った途端、部員全員が立ち上がりふらふらになりながらも整列していく。
まだこの部活に参加して長くないミレディアは彼らに倣って最後尾へと並び立つ、アイギスは歩いて一人目の前に立った。
手を後ろ手に組んだ部員たちに向かって先ほどまでの機嫌の良さが嘘のように厳しい顔で大声を張り上げる。
「マルコ!! お前は筋力がまだまだ足りねぇ。前よかマシだが、頭が使えねぇお前は体力バカ目指さねぇといつまでも役立たずだ!」
「はい!!」
「ミント!! いつまでもアタシにビビってんな!! 距離を取っていても出来る事を探しやがれバカ!! 周りを利用する事そろそろ覚えろ!!」
「ハイっ!!」
「シンバル!! 足をもっと使え!! あと、攻撃する時は躊躇するな!! アタシを怪我させないように立ち回ろうとするなんざ100年はえぇ!! お前が全力でもかすりもしねぇよ! 優しさなんぞいらん! もっと遠慮なく来いバカ!!」
「はいッ!!!」
こうして部員全員に対して今の戦いについてのアドバイスをしていく。今の戦いと言ってもこの部活はアイギス対全員で戦うだけの部活。
部員である面々は全員が本気で騎士を目指しているらしく、必死にアイギスに食らいついていく日々だった。
「最後はミレディア!! 自分の癖を把握しとけ!! 何をするにも予備動作にパターンが存在してる!! 癖は熟練すりゃ技術に昇華するが、お前のはまだまだそんな域にはない。お前はこん中じゃまぁまぁ強いけど過信すんな!! 周りよりちょっと出来るくらいで満足しかかってんじゃねぇ、ほんとにこのままでいいのかもっぺん考えろ」
「はい!!!!!!」
心の中の慢心を取り除くように響くアイギスの声に背筋が伸びるのを感じる。ここまで厳しい言葉を掛けられたのは久しぶりだった。
ミレディアはシュレイドと共に過ごしていた時期に英雄グラノ・テラフォールより厳しい訓練を付けられていた。
学園に来ることで多くの同世代を授業内でこれまで凌駕する成績で過ごしてきていた。
知らないうちにそんな弱い周りを見下してしまっていたことに気付く、アイギスはそんな己の心の中の甘えを取り除いてくれる。
この日、部活の終わりに片づけをしながら気になっていたことを聞いてみようとミレディアはアイギスに近づいた。着替えていたアイギスの背中が視界に入り驚くほどに綺麗だったミレディアは思わず目を奪われていた。
「どうした?」
「アイギス先輩、背中めっちゃくちゃ綺麗!!」
「背中に傷なんか受けた事ねぇからそのせいかもな」
「へぇ、そうなんですね……じゃなくてぇ!!!」
ミレディアは自分の頬を両手で挟み込んで叩くとパチンと小気味のいい音が鳴った。
「おお、どうした突然!?」
「その、ちょっと気になってたんですけど、アイギス先輩の家ってもしかして四盾騎士のうちの一つなんでしょうか?」
「あ? それどこで聞いた?」
「いえ、聞いたってわけではないんですけど、以前に授業で四盾騎士の話があったんですよ。で、フェリオン家って名前聞いてなんとなくあれ? って思いまして」
「そうか、まぁ隠すことでもない。アタシはフェリオン家であることは間違いねぇ。ただ、もうあそことは何の関係もねぇ人間だ」
「え、どういうことですか?」
ミレディアはよく分からない様子で眉間に皺を寄せた。
「クソくだらねぇ家だから小さい頃に縁を切って捨ててやったんだよ」
「え、小さい頃?? 子供が家を捨てる? 捨てられたじゃなく? 縁を切る?? 切られたんじゃなく?? え、え?」
ミレディアは徐々に混乱していく。
「今ある地位や名誉にしがみつき続けるだけのつまんねぇ家の考え方が性に合わなかったから親父と兄貴たちをぶっ飛ばして、家出した」
アイギスが昔から普通ではなかったことが分かる。フェリオン家である彼女の父という事は四盾騎士である現フェリオン家の当主ということになる。
つまり子供の頃にその当主である父をアイギスはぶっ飛ばしたということだ。
「子供なのに一人でそんなことが出来る強さがあったなんて、本当に、うらやましい……です」
アイギスはミレディアの表情の変化に気付いた。
「昔、なんかあったのか?」
「あ、いえ、そのあたしには家族もいないんですけど」
「そうか、お前、家族居ないのか?」
「血の繋がらない妹や弟たちがいました。でも、両親の顔は知りません。戦災孤児で孤児院にいたので」
「ふーん、でも家族がいるのが必ずしもいいとは限らねぇよ。血が繋がろうが他人は他人だ。血なんか繋がってなくても大事なやつは大事だし、そうじゃないやつも当然いるだろ」
「そう、ですね。それはとても分かります」
アイギスは言葉の裏にあるミレディアの心を読んで話しかけた。
「そういう自分の境遇に悲観してるわけじゃ、ないんだろ?」
ミレディアは微かに目を見開き驚いた顔をしていた。
「はい、孤児院で過ごしてよかったと、思っています」
「ならそれでいいんだよ。今弱いなら、明日、強くなればいい」
「ありがとう、ございます」
珍しく空気を読んで話題を変えようとアイギスは道化を演じてみせようとした。
「ところで話は変わるが、お前が言ってた勝ちたいやつってのは誰なんだ? ずっとアタシ、気になっててよ」
「ああ、シュレイドです。生徒会で一回お会いしたと思うんですけど」
「エナリアの誘いを断ったあの英雄の孫か、あいつなんかキラーイ」
「あはは、もしかしたらあいつ、アイギス先輩よりも強いかもしれないです」
その言葉にアイギスはピクリと反応する。聞き捨てならない言葉で空気が変わる。
「確かにエナリアを圧倒したらしいという噂はカレッツから聞いたけど、あんまり信じらんねぇんだよな」
「間違いなくあたしよりは遥かに強いですね」
「あのウジウジウジ虫野郎がねぇ~?? あいつからは強者の香りが全然しねぇんだよナ」
腕組みをしてう~んとうなるアイギスは納得がいかないようだった。確かにミレディアから見ても普段のシュレイドを知っていなければそうは思わなかっただろう。
「あいつに追いつきたいと頑張ってきたから、今こうしてアイギス先輩みたいに強い人となんとか戦えているのは確かです!」
ぐっと拳を握り込んでアイギスを真っすぐに見るとアイギスはニカッとしてくれる。
「へぇ、お前がそこまで言うなら相当なんだろうな。アタシとも本気で遊んでくれんかな~」
「シュレイドが前みたいに戻った時には、私が頼んでみますよ」
「本当か!? お前いい奴だな!! ミレディア!!」
「なので、また今後も引き続き私とも手合わせお願いできますか?」
「おお、いいぞ。お前ならいつでも歓迎だ!」
「ありがとうございます!」
そのタイミングでアイギスのお腹がきゅーっと悲痛な叫びを上げる。
「日も落ちてきそうだし、今日はこんなところにしとくか、腹も減ったしな」
アイギスにしごかれて周りでくたばっていた部活の仲間たちも片付けなどが終わり、のそりと帰り支度を始めていた。
「ミレディアも飯、行くか?」
「ああ、いえ、今日はちょっと」
見せる笑顔に微かに陰りが見え、バツが悪そうにそう答える顔を見て、アイギスは何も言わない。
今日何かあるのは間違いないと気づきつつも自分が踏み込むべき話でもないと判断していた。
「……そか、んじゃ、また明日な」
「はい! お疲れ様でした!」
自分の荷物を片付けながら汗を軽くふき取りミレディアは寮へと戻る為に駆け出していた。
「お、あんだけ動いてまだ走れんのか? 見込みがあるやつだよ全く」
アイギスはケタケタと笑いながら室内に残る他の部員に声を掛けた。
「おーし、おまえら、食堂に飯食いに行くぞ~」
部員たちの大きな返答がこだました。
続く
新野創■――――――――――――――――――――――――――――――■
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