95 恋の暴走サリィ列車
ガラガラガラ
ゆっくりと戸を開ける音が鳴り響く。
救護室には独特の匂いが充満していて誰かがいる気配はない。
棚には怪我の消毒に使う薬などが多く置かれている為、病院にも近い雰囲気がこの部屋の中を異質な環境へと変える。
国民達は病院という場所に関わる者がほとんどいない。商人や貴族など財のある者しか利用する事は難しいのが一般的だ。
その為、このような香りが記憶にない者がほとんど。例に漏れずシュレイドの胸元に抱かれて運ばれてきた少女も吸い込んだ息から嗅覚に広がるその香りに思わず口が開く。
「くっさっ~い。何ぃこの匂い」
女の子がシュレイドの胸元でしかめっ面をして鼻を抑えた。おおよそ美少女がするような行動ではないが、そこには若干の違和感があった。
染みついた動作ではないようなごくごくわずかな違和感。
だが、その違和感が何なのかシュレイドには分かるはずもなく。
「俺もこの間、初めて嗅いだんだけど、その時は匂いを気にする余裕なんかなかったかも。確かに独特な匂いだな」
「だよね!」
胸元からニッコリとした笑顔が向けられて目がパチリと合う。気恥ずかしくなってさりげなさを装って顔を背ける。
シュレイドはオースリーでの怪我の治療の際に初めてここを訪れていた。あの時は呆然自失といった様子で、ほとんどの事は覚えていなかった。
あの時の感覚が明滅と共に閃光のような記憶を脳内に移す。彼女を抱きかかえる手が震えそうになり、そそくさとベッドへと寝かせる。
「あ、ありがと」
ポスッと救護室のベッドの上に女の子を乗せて少し距離を取る。彼女はその動き全てに目を奪われており、シュレイドにされるがままだった。
終始、彼女が目を奪われていたのはシュレイドの一つ一つの所作だった。
動きの一つ一つに神経を張り巡らせて指先まで気を使っているのが分かる。本当に丁寧で、その優しさにの笑顔に綻ぶ。
「やっぱり、どこか悪い所でも打ったんじゃないのか? って何だその顔、、、」
シュレイドは苦笑いを浮かべる。
「う、ううん。大丈夫だよ!! ちょっと嬉しい事があっただけ!!」
隠すことなく彼女は胸の中のその気持ちが口から出ていた。その様子を見て安心したのかシュレイドは救護室から出るように歩き出した。
「そうか、じゃ、いくな。お大事に」
その背中を見て、慌てて女生徒はシュレイドを引き留める。
「ま、まって!」
ゆっくりとシュレイドが振り返るが何かを考えていた訳じゃなく咄嗟にもう少し話をしたいと思っただけの彼女は狼狽する。
「まだ何かあるのか?」
「え、ええと、ああと、その、んーと」
なんとか話題を捻り出そうとして唸り続ける。ふと、そういえば自分の名前を伝えていなかったことに気付く。
「サリィ!!!!」
急すぎた。あまりにも急すぎてシュレイドはきょとんとしている。そんな表情も今の彼女には愛おしかった。
「ん?」
「私の名前!! サリィ!!!!」
大事な事なのでもう一度、強く相手の瞳を見つめてそう言った。
「そうか、君の名前」
突然の事にシュレイドもどうしていいかわからないのだろう。
「シュレイド君に覚えて欲しい!!」
どこまでも素直な女の子だった。
『あれ、そういえば私、いま力を使ってない。これまで初対面の人とこの距離で見つめれば嫌でも発動していたのに、どうして?』
「わかった、サリィ。覚えとく。そんじゃな」
再び背を向けて歩き出したシュレイドにもう一度声を掛ける。
「待って!……ってわわわわっ」
身を乗り出しすぎてベッドから前のめりになるサリィをそっと受け止める影があった。
「……まだ、何かあんのか? つか、もしかしてサリィ。さっきもそういう感じでもしかして屋上から落ちたのか?」
名前を呼ばれるだけで頬が火照る。おかしい。こんなはずではなかった。と彼女の胸は早鐘を打つ。寧ろ相手をどぎまぎさせて自分の虜にしちゃうぞ~みたいなつもりでいた。
冷静な思考ではない中でサリィはどうにか次に繋げる事に頭をフル回転させる。
「こ、こここ、このあと、あああ、遊ぼうよ。その、えと、あの、そう! 助けてくれたお礼!! そう、お礼!! 大事!! うん、お礼って大事だから! そう、だいじ」
あまりにどもりすぎて自分で引いていた。そして、言ってから僅かな後悔が顔を出す。
「え、いや、別にいいよ。あんくらいで悪いし。それにこれから、ちょっとやらなきゃいけない事もあるから、ごめんな」
心がシュンとなるのを感じる。こんなこと起きるなんて彼女は知らなかった。自分の心なのに自分がそれに翻弄されているような。
これまでの自分の生き方では絶対に起きなかった胸の高鳴り。
謝るシュレイドの表情が気になったサリィは聞いてみる事にした。このまま引き下がるわけにはいかない。
「や、やらなきゃいけないことって?」
「ああ」
そういってシュレイドは腰に吊り下げていた剣に視線を落とす。
「えと、なにするの?」
シュレイドの視線を追ってサリィも剣を視界に入れた。
「え? あ、いや。ちょっとこの剣を、鞘から抜けないようにしたいなって、武器扱えるとこかどっか探しに行こうかなって」
「どうして?」
といいつつサリィは咄嗟に口を手で押さえた。なんとなく想像が付いたからだ。シュレイド君は剣を見るのが、怖いんだ。
「……剣身を見るのが、怖いんだ」
やっぱりそうだ。
でも、だというなら、アンヘルには仲良くなる口実にして悪いけど、教えてあげようとサリィは思う。
「……それが、やらなきゃいけないことなら」
「ん?」
「その、私の知り合いが剣とかに詳しくて」
「え、ほんとか?」
といって自分の肩に手を置かれ、サリィは真っ赤になる。
「ひぃいああ、ああああ、ああ、うん、そう!! そうなのぉ、娯楽・商業区画の辺境にある小さな森の中にある小屋にその人は普段いるんだけど」
顔近い顔近い顔近い。と彼女は脳内でパニックを起こしている。
サリィは目を逸らした。逸らさざるを得なかった。
「こないだ行ったときに金属をカンカン打ってるとこ見せてもらったし、相談してみたらどうかな」
と言いながら顔を縦にブンブンブンブンと頷くように振り続ける。
「そうだな、アテもなかったわけだし」
「私の名前を出せば話くらいはきっと聞いてもらえると思うし、ちょっと、いや? すごく気難しい所がある人みたいなんだけど、多分大丈夫」
目の前の暗かった表情が少しだけ晴れて微笑むシュレイドに少しまた胸が痛む。
そんな風にしたのは私達がしてきた行動の結果だというのに。
こんな気持ちになると知っていたら最初からこんなこと反対していた。あの頃の自分のミーハーさに嫌気がさす。
学園に来て自由な生活に浮ついていた自分が心底嫌になる。今日、ああやって助けられるまではただ、なんとなくいいかも。くらいだっただけなのに。
『何ぁがシュレイド君とゼア君どっちにしようかな~だよあの頃の私のばかぁ』
「ありがとう。助かったよ」
シュレイドがニヘラと笑いかけてくる。サリィは歯を食いしばって平然を装うが周りから見ればすぐにサリィの好意は分かっただろう。
残念ながらシュレイドはその辺りに疎く、幸か不幸か今のサリィから向けられている好意には気付いていない。
「あ、いいのいいの! 私達のせいでもたぶんあるし」
そんなことを考えていたからか、素直な口が災いしてかポロっとそんなことまでを口にしてしまう。
「え?」
「ひゃ、なんでもないよ! なんでもない!」
シュレイドは少し思案するように天井を仰いだ後。
「……じゃ、その、寧ろ、今の情報のお礼をしなきゃ、だよな」
義理深い人間である。シュレイドも素直な人間だ。祖父の教えを大事にしている。彼女の助けにただ報いようとしてくれただけだろう。
それでも今の彼女にとっては欲しかった一言だった。
「え」
「さっきの話、今日じゃなかったら、その、いいぞ」
「ッッ!! それいい!! お互いに!! お礼のしあいっこ!! いい、そうしよ、そうしよ!! そうしちゃおうよ!!」
ベッドをキラキラした目でバンバンと手で叩くサリィは心底嬉しそうだった。
「じゃぁ、とりあえず、今から行ってくる。ほんとありがとな」
「き、気を付けてね!!!」
ガラガラガラと部屋から出ていく背中を見送って少女は頭から布団を大きくばさりと被った。
「くーーーーーーーーーっぃぃぃぃやったあああああああああ」
ガラガラガラ
余韻に浸ろうとしたのも束の間、反対側の校舎からの入り口である背後のドアが空いて誰かが入ってくる。
「ぃいい!?」
「だ、だいじょうぶですか?? 凄い叫び声がしましたけど」
入ってきたのは緑色の髪のおさげの女の子と太っちょな男の子だった。
「へ? ん、ああ、うん。大丈夫」
サリィはひらひらと手を振りながら答える。火照りは静まらないままだがおかげで少し頭が冷ませた。
「あ、カレッツさんほら座って下さい。先ほどの怪我、手当てしますから」
「なんだか悪いねぇ、えへえへえへ。こんなかわいい子に手当してもらえるなら身体を張った甲斐があるってもんだよぉ」
ふとっちょはにやにやしながら椅子に座ろうとして私を目が合う。考えられない位に制服がボロボロだ。いじめにでもあっているのだろうか??
そうサリィが思った途端に太っちょの顔が青ざめる
「ちょっとアンタ、なんでそんなにボロボロなの?」
素直なサリィはやはりそのまま思ったことを口にした。質問に返答はない。
「あ、君は……め、メルティナちゃん。出よう」
「え、ちょ、カレッツさん!? 急にどうしたんですか?」
ふとっちょがおさげの手を引いて慌てて救護室を後にしようとする。
「その、急にバタバタとごめんなさい」
ドアから出ていく前におさげの女の子はぺこりと頭を下げた。
「いや、別にいいけど」
ガラガラガラ
「なんなの一体? ま、いっかぁ……」
ぽつんと一人残されたサリィは再び先ほどの出来事を反芻して、体温を上げる。
「そんなことより、シュレイド君とデートォオオオ、、、おおん? あれ、そういえばいつ行くとか! どこ行くとかさ決めてなくない!!!!!???? しまったぁああああ、このままじゃただの社交辞令ってやつになっちゃう!!! あああんんん、私のばかぁああああああ」
サリィは布団を被ってジタバタとしばらく悶え続けていた。
続く
作 新野創
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