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サザンオールスターズについて

好きなものシリーズ、その2である。
いまや、名前を聞いたことのない人はいないであろう、サザンオールスターズ。そしてそのボーカルは桑田佳祐である。4文字目を「にんべん」とするミスが多発するが「しめすへん」である。

1978年6月25日に『勝手にシンドバッド』でデビュー。なんと今年で結成44年。生み出したヒット曲は数知れず。そんな僕も「全曲」を知っているほどのマニアの一人、と言っても過言ではないかもしれない(ただ、案外 最近の曲のほうが うろ覚えだったりする)。

霜降り明星の漫才で、「ものまね」というネタがある。
(せいや)「♪夜ごと彼女のテレフォンナンバー~」
(粗品)「いや、似てるけど その曲知らん!!」
というやつだ。このネタを初めて見たサザンファンの全員が『逢いたさ見たさ病める MY MIND』という曲名が頭に浮かんだことだろうが、僕もその一人だ(野暮だから絶対に口には出さないが)。

さて、1977年生まれの僕が、初めて本物のサザンオールスターズを見て、本物の桑田佳祐の歌声を聞いたのはいつのことだっただろうか。これがなんと、下手したら1998年なのだ(結成20周年)。

僕が初めて、いわゆる「サザンの歌」を聞いたのは、実はテレビではない。何を隠そう、「カーステレオのカセットテープ」であった。時は1988年。上のセンテンスにあえて「本物のサザン」「本物の桑田」と書いたが、当時を生きた人ならピンと来ただろう。そう、あの頃のカセットテープは『サザン・オールヒットベスト』とか『サザン・ヒット全曲集』とか銘打たれており、大体、A面とB面を合わせて8曲入りか12曲入り。大体、サザンの全曲を「8曲」としている時点でそんなわけがないのだが、それでも父親に、浜松のレコード店の店頭でねだった末に買ってもらった。

早速、帰りの車の中で、ワクワクしながらカセットを開けて、車のステレオにテープを挿入する。1曲目は、当時サザンの再結成で話題となっていた『みんなのうた』だ。一体どんな曲なんだろう。タイトルから想像すると童謡っぽいのかな? 再結成だからみんなで盛り上がる曲なのかな? いろんな妄想が浮かんでは消える。おお!思ったよりもロックなイントロが聞こえてきた。なるほど!これがサザンの音楽か!!桑田佳祐の独特のしゃがれた歌声を早く聴きたい!!

次の瞬間だ。

「♪あーいを止めないでー、きーみよあるがままー」

知らんオッサンの、抑揚のない歌声が聞こえてきた。カセットテープのパッケージをアレコレ見回す。写真は思いっきり桑田佳祐だ。原由子もいる。

「お父さん、これ、誰??」
「桑田だ。俺は、桑田と大学の同級生だったんだよ」
「お父さん、これ、本当に桑田佳祐?」
「桑田だ。」

妹にこっそり聞いてみる。
「(こっそり)おい、これ、だれだ?」
「(こっそり)パチモンじゃないの?」

妹が正解だった。

『みんなのうた』。そう、「みんな」の歌だ。誰が歌ってもよいのだ。ただ、このオッサンの「愛を止めないで、君よあるがまま」の歌詞は、子供心に受け入れられなかった。出来ることなら、「歌」を止めて「君」を交代させたかった。
サザンの歌詞にはよく「with you」という詞が登場するが、このカセットの「you」とは「with」したくないものだ。

とはいえ、せっかく買ってもらったカセットテープである。声だけではなく、歌詞やメロディを重点的に聴く。『みんなのうた』のサビのメロディの何ともいえない高揚感が印象的だった。特に「♪この胸に、抱いてた」の半音を交えたメロディを初めて聴いたときは衝撃だった。

しかし、そんな感傷を、2曲目の『スキップ・ビート』がぶち壊す。後に知ったが、そもそも、これは「サザン」の曲ではない。KUWATA BANDの曲である。そしてもちろん1曲目から連投中のオッサンが「割れたパーツのマニア~、おー、腰をからめすんげェ~、スッケベー、スッケベー、スッケベー、スッケベー~」と熱唱している。車の中の4人家族に、「気まずい」どころではない雰囲気が蔓延している。この歌はあれだ、自分の部屋でコッソリと聞くやつだ。

「SKIPPED BEAT」を発音すると「スッケベ」に聞こえる、桑田佳祐の十八番でもある言葉遊び。そういう作詞の知識は後になって知るが、この時は、ただただ、カセットの中のオッサンが、2曲目になってノッてきている。
俺は心の底から叫んだ。
「オマエ、誰やねん!!!!!」(笑)

これ以外の6曲は、『C調言葉に御用心』『チャコの海岸物語』『ミス・ブランニュー・デイ』『ボディ・スペシャルⅡ』『EMANON』『ONE DAY』(←これもKUWATA BANDだ)というメジャーどころなのか、通好みなのか、よく分からない選曲だったが、A面B面とにかく何度も聴いた。特にB面のラストを飾る『ボディ・スペシャルⅡ』では、例の知らんオッサンが(もはやこの時には「愛着のあるオッサン」になっていたが)『スキップビート』以上の超ハイテンションで「踊ろよ!ボディ・ファクション!!おー、イエーー!!悲しい気分じゃ、オー、ノー!!」と車の中で熱唱していた。嗚呼、あの時代(とき)を忘れない。

その後、僕の歴史的には『ものまね王座決定戦』ブームに入っていくが、この番組で初めて聞いたサザンの曲は、1989年1月3日、『新春特番!オールスターものまね紅白歌合戦』の中盤で聞いた、栗田貫一さんによる「桑田佳祐のまねで『YaYa~あの時(とき)を忘れない~』」だった。なぜみんなが読める「時」にカッコ書きでルビが付いているのか小学5年生の頭には謎だったが、単なる「時代(とき)」のテロップミスであった。

僕はこの頃、まだ桑田佳祐の声を聴いたことがないが(まだインターネットはおろか、CDも普及していない時代だった)、これは本当に素晴らしい出し物だった。もともと大好きなクリカンさんが歌っているというのもあるが、こんな素敵なメロディーに乗せた、素晴らしい歌詞は初めてだった。桑田本人の歌声は聴いたことがなかったが、なんというか、メチャクチャ似ている気がした。
あまりにもこの歌が好きすぎて、僕は小学校5年生の3学期、僕はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)で、この『YaYa』ばかりを演奏していた。

★参考 栗田貫一 桑田佳祐ものまね史
1985年夏 田原俊彦と桑田佳祐で『堕ちないでマドンナ』
1987年春 郷ひろみと桑田佳祐で『哀愁のカサブランカ』
1988年春 桑田佳祐・五木ひろし・尾形大作・工藤静香で『メロディ』
1989年春 細川たかし・尾形大作・桑田佳祐・福井敏夫で『大都会』
1990年冬 桑田佳祐で『真夏の果実』
1991年秋 桑田佳祐で『愛の讃歌』(初優勝!)
1997年冬 桑田佳祐で『みんなのうた』
2000年秋 サザンオールスターズで『TSUNAMI』
(※8勝2敗、『大都会』『真夏の果実』はいずれも1回戦でコロッケに負けている。なお、1997年新年会のLIVEのラストにて、アルバム曲の『Oh!クラウディア』を披露している)


と、いま書いていて思い出した。初めて、本物のカセットで、桑田佳祐の歌声を聞いたのは、1990年3学期、浜松の佐鳴台中学校の授業の一環だった。
当時の英語の先生が、わざわざカセットデッキを教室に持ってきて、『真夏の果実』を聞かせてくれたのだ。そして、その歌詞を聴いてプリントに書き写しなさい、という課題が出されたのだ。なんで国語ではなく英語の授業でそんな課題が出されたのかは覚えていないが、当時としては珍しい授業で、とても印象に残っている。そして何より、この授業より遡ること1~2か月前、12月5日と翌1月5日にテレビで放送された栗田貫一さんの『真夏の果実』がメチャクチャ似ていることを知った。

時が流れるまま7年後。1997年2月。僕はセンター試験でパニック障害という病気で倒れてしまい、自宅の布団から出られない生活を送っていた。そんな折、パチンコ屋から自宅に電話があった。何やら、親父がパチンコで大勝したらしい。そのため「店内の景品棚から好きなものを持って帰ってよい」との内容だった。よっこらせ。布団から出て、マンションの隣りにあった「パチンコ楽園」に向かい、「おお、懐かしいなぁ」と思いながら、僕はサザンのアルバムを手に取った。心の中で、これ、本当に桑田佳祐が歌っているのかあ?という疑問はあったが(笑)、それは確かに桑田佳祐だった。
アルバムのタイトルは『バラッド2』といった。そう、僕は当時、よく分からない心の病気(=パニック障害)を患ってしまっていたので、穏やかなバラードのベストアルバムを買った(というか父親にプレゼントされた)のである。親父とはいろいろあったが、このときにパチンコで勝ってくれていなければ今の僕はいないかも知れず、このことは感謝している。

それにしても『バラッド2』。アルバムのジャケットから曲目から、渋いチョイスだった。このアルバムは2枚組で20曲入っているのだが、当時の僕が知っていたのは『メロディ』と『Bye Bye My Love』の2曲だけだった。

それでも、知らない曲であろうが何であろうが、僕は布団の中で、この『バラッド2』を何度も何度も聴いた。20曲とも、桑田佳祐本人が歌っていた。1曲くらい、あのときのカセットのオッサンが出てくるかな、と思ったが、1回も出てこなかった。元気でいるだろうか。
高校を卒業して、代ゼミでの浪人生活を不完全燃焼で終え、今や病床にいる、そんな僕は、アルバム1枚目ラストの『夕陽に別れを告げて』には何ともいえない切なさを覚えた。今でも、ライブでこの曲のイントロが流れると、無条件に涙が溢れてしまう。夕陽に照らされた、浜松北高校の校舎が目の裏に浮かび、病気で苦しんでいたこの頃のことを思い出してしまうのだ。

そしてもう1曲。ファンの間では神曲といわれるのが2枚目の9曲目にあった『旅姿六人衆』である。もう何度聴きこんだか分からない。余談だが、ラジオのイントロクイズ番組に出たとき、頭に一瞬だけ小さく入っている「ごめん、俺が悪かった」の声で早押しボタンを押し、『旅姿六人衆!!』と答えて、ちょっとしたトラブルになったことがある(まだイントロが鳴っていないのに答えた、と勘違いしたリスナーから「ヤラセだ!」と電話が来たらしい(笑))

1998年、今では伝説となっている「渚園」という20周年記念ライブをVHSで何度も観たが(途中でゲストの爆笑問題の漫才が入ったり、ラストにファンからのサプライズで「20周年おめでとう」の花火が灯ったりする)、そのアンコールのラストでこの『旅姿六人衆』のイントロがかかったときの高揚感を忘れられない。

これはミスチルもユーミンも中島みゆきも松田聖子もキョンキョンもSMAPも、ファンはみんな同じだろうが、「好きな曲は?」と問われると本当に困る。困るが、幸せな悩みだ。今こそ、90分の空っぽのカセットテープを入れて、あの頃みたいに曲の長さを60進法で計算したり、自分なりに曲調の緩急をつけたりして、「自分のサザンのベストカセット」を作ってみたい。今ならきっと、「サザン・バージョン」や「桑田ソロ・バージョン」の2つを作ってしまうことだろう。

「サザン・バージョン」には、『夕陽に別れを告げて』の他に、『C調言葉に御用心』『LOVE AFFAIR~秘密のデート~』『慕情』『お願いDJ』『茅ケ崎に背を向けて』『夕方HOLD ON ME』『別離』『逢いたくなった時に君はここにいない』・・・そして最後はもちろん『旅姿六人衆』だ。
「桑田ソロ・バージョン」には、ああ、もう全部入れたい。ただ、A面のラストは『明日晴れるかな』、B面のラストはもちろん『祭りのあと』だ。

祭りのあと。「♪情けない男でごめんよ、愚にもつかない俺だけど・・・」うん、そこは、願わくば、僕のサザンの原点でもある、あのカセットのオッサンの声で、もう一回だけ聞いてみたい。

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日高大介
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