
両親への怒り
親へは感謝しないとならないのか。
「親へは感謝しないとならない。存在しなかったら、今のあなたは生まれていない」
という言葉に出会うと、苦しくなる。
親が存在しなかったら、私は生まれてこなかった。
でも、私の命を尊重してくれない親も、無条件に感謝しないとならないのか?
嫌っても良い
私は、親を嫌っても良いと思っている。
縁を切っても良いとも思ってる。
私という存在を大切に扱ってくれない、私の命へ危害を加えるような人がいたら、誰でも「離れた方がいいよ」と言ってくれると思うのです。
その”命へ危害を加えるような人”が親であったのなら、やはり離れた方が良いと思うのです。
嫌っても良い、恨んでも良い、縁を切っても良い。
私が私を一番大切にして、私が私の命を尊ぶ事ができないのなら、どんな人から離れても良いと思うのです。
私を守れるいちばんの存在が、私だから。
選択肢を持たないと…
親を嫌っても良い、離れても、縁を切っても良い。
その「選択肢」を持てないとどうなるか。
「親を嫌ってはならない。」
「親から離れてはならない。」
「親と縁を切ってはならない。」
……って、苦しくない?
自分の気持ちよりも、親を優先しないとならないの?
そんな苦しい気持ちになる。
無限の選択肢を私たちは持っている
親を嫌っても良いし、縁を切っても良いし、
極端だけれど、親を殺める選択肢も持っている。
無限の選択肢があった上で、どれを選んで、どれを捨てるかだ。
私は、今はその選択肢が無限にあるという事を、
ただ、眺めているのが『今』だ。
それは、今まで「親には感謝しないとならない」という選択肢のみしか、持っていなかったから。
選択肢がたくさんあって、どれを手にしても良い。
の可能性を見つめてる。
(もちろん、殺める可能性は手にしていない)
選ぶ事ができる=自由
選ぶ事ができるということは、自由という事。
私は、今、両親に対しての自由を、やっと手に入れた。
そこでやっと「フラット」に見る事ができるんだと思う。
それでも恨みの感情があるだけに、
・親と縁を切る60%
・親を恨む10%
・親を無視10%
・親に感謝して良いのかも…20%
割合はこんな感じで占めている。
目標は…
それでいながら、実は目標は、気持ちよく親へ感謝をしたい。
そんな目標もある。
それはきっと、私が私という存在を、気持ちよくスッキリと、
「お前、よくやったじゃん!」と言いたいという我欲が現状。
親ももう80歳前後。
私が感謝の気持ちをスッキリと持てる前に、もしかしたら亡くなる可能性もあるかもしれない。
でも今は、無理をしすぎずに、選ぶ事がある自由を喜んで眺めている。
私は、私を一番に優先する
今までの私は、私よりも親を優先させられてきた気持ちがしている。
親に「勉強しなさい」と言われても勉強してこなかったように、
親に「親を優先しなさい」と言われても、優先しなくても本当は良かった。
それを優先してきたのは、私の選択だったんだと思う。
そう認める事が、親を恨んだり責める気持ちから、離れる良いきっかけでもあり、親では無く自分が自分を苦しめたと認める、苦しさも同時にある。
だからこそ、あえて言いたい。
私は、私を一番に優先する!大事にする!
わがままに大事にするんじゃなく、あるがままに優先する!