見出し画像

新聞は偉そうに嘘をつく を読んで

高山正之 さんの著書は、びっくりさせられることが多い。

今回も題名からは想像もつかなかった情報がのっていたので文字起こしをしていきたいと思います。文字起こし範囲はP.82~85です。

「風船爆弾作戦」から学べること

昭和十九年、米国は戦場で日本軍と戦うことを止めて直接日本本土を爆撃して女子供を殺す「サンドクリ ーク」戦法に切り替えた。サンドクリークとはコロラドのシャイアン族の居留地の名。南北戦争さなかの一ハ六四年、その辺で金の鉱脈が見つかった。白人は色めき立つがそこに居留するシャイアンはあのカスター将軍の第七騎兵隊を全滅させた勇猛な部族だ。
でも金鉱は欲しい。白人はシャイアンの男たちが狩りに出るのを待って居留地を襲い五百人の女子供を皆殺しにした。「四歳の女児が白旗を持って出てきた。白人は躊躇なく撃ち殺し頭の皮を剝いだ」 (案内人口バート・ベントの証言 )。
女 子供を殺せばシャイアンのタネは途絶える。モーゼの昔からの民族淘汰の形だ。
米国はそれを日本にやろうとしている。日本は B 29による本土爆撃阻止のため、基地となる中国大陸の飛行場を一斉に潰しに出た。世に言う大陸打通作戦だ。米軍は四川省成都まで後退した。そこから東京までは三千三百キロもあり、往復を考えれば B 29には遠すぎた。ならば太平洋側に拠点を作ろうとサイパンを落とし、硫黄島も取りにかかった。硫黄島はサイパンから出る B 29を直掩する戦闘機の出擊基地となる。そこを守る栗林忠道中将は米軍の「五日間で落とす」予定を一か月以上も抵抗して引き延ばした。
「我々が一日でも頑張ればそれだけ日本の子供が生き延びられる」と栗林は綴っている。硫黄島から飛来した米戦闘機は実際、サンドクリークと同じに女子供を狙い撃った。石原慎太郎も機銃掃射を喰らっている。
殺戮は東京大空襲、広島原爆へと拡大していくが、日本もこのころ一矢を報いる試みに着手した。 と言っても B 29並みの渡洋爆撃機を作る資材もない。何とかなりそうなのは蒟蒻玉と和紙だけだった。
で、和紙を蒟蒻糊で貼り合わせ、直径十メートルの気球を作った。これを水素で膨らませ爆弾を吊り下げた風船爆弾が出来上がった。それで米本土を爆撃できることを気象学者の大石和三郎が予言していた。あの時代、対流圈の上は無風とされていたが、大石はそこに秒速六十メートルのジェット気流が東に流れているのを発見した。米国人は馬鹿だから知らなかった。かくて一万発近い風船爆弾が大空に放たれ、一割が米大陸に届いた。ただ風船が運べるのはせいぜい三十キロの爆弾か焼夷弾。 B 29のばらまく ートン爆弾と比べたら玩具みたいだったが、それでもオレゴンで数人が死傷したとか山火事が起きたとか長崎型原爆を作るハンフォード原子炉の高圧線に絡まって停電を起こし、原爆製造が大幅に遅れたとかの成果はあった。
それ以上に頭上から音もなく爆弾が降ってくるという恐怖が米国民を相当震え上がらせた。
炭疽菌爆弾説も出た。彼らがこの手の爆弾を作ったら当然積んだだろう生物兵器を日本人もやっているはずだと妄想し、勝手に震え上がっていた。
実際、心理効果はあったようで、進駐してきた G H Qのスタッフが近くの日劇が上げたアドバルーンを見て震え上がり、即座に下ろさせている。この風船爆弾について半藤一利が文藝春秋誌で伊東四朗と対談していた。中でオレゴンでの人的被害に触れて「アメリカの民間人が六人も死んだ」と日本軍の非人道性をやたら声高に非難していた。米軍は民間人どころか女子供を狙い撃って挙げ句、無宰の市民の上に原爆まで落として何十万も殺した。そっちは構わないのか。彼の著書は「日本の好戦集団が戦争を起こした」という日本原罪論で綴られ、悪い米国は常に正義の判事役で登場する。本人は自分が正義の米国人のつもりになっていて、例えば、昭和天皇を「クソがつくほど律儀」と言って憚らない。風船爆弾にはいろいろ示唆がある。貧しくとも、物量の米国人を十分恐怖させたし、ジエット気流を使った知恵もいい。炭疽菌を積まなかった高潔さも誇らしい。
半藤一利は今、上皇に続いて今上天皇にもご進講をしているとか。侮日話ばかりでは陛下も退屈される。風船爆弾と原爆の違いを話してみたら。(二〇一九年十月十日号 )

左翼の人が時々つぶやいているのを目にする風船爆弾。
日本本土をホロコーストしていたアメリカに仕返ししたくなった当時の人の気持ちが痛いほどわかるのだが、左翼の方の言い分はアメリカの無差別爆撃の擁護のために風船爆弾を使っていることに日本人ではないのではと思ってしまうが自分の息子も風船爆弾をその様に使って話してきた(>_<)。

いいなと思ったら応援しよう!