満州事変とは
グーグル検索によると
満州事変とは、1931 年 9 月 18 日に奉天郊外の柳条湖で、関東軍(満鉄を守備する日本陸軍)が 南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破した柳条湖事件に始まり、関東軍による満州全土の占領、そし て 1933 年 5 月 31 日の塘沽協定成立までを指す。
このように世界に流されているプロパガンダ。
さて、当時の満州での報道はどうだったのかその真相を追っていた
『しばやん』さんのホームページを見るとよくわかる記事内容となっていました。
張作霖が乗っていた京奉線は支那の管理下の鉄道線であったので関東軍の管理下ではなかったので日本側に責任があろうはずもなかったのです。
ミトロヒン氏は、ソ連崩壊直後の1992年、ソ連からイギリスに亡命した元KGB職員。彼は、イギリスの諜報機関MI6の助けを借りながらイギリスに亡命する時に、実に「6つの大きなコンテナ」に詰め込んだ機密文書を、MI6に手渡した。このミトロヒン文書によると関東軍が爆破したとされている柳条湖の南満州鉄道の爆破はソ連軍の工作で使用された火薬もソ連製だったことが明らかにされている。
満州事変では、敗走する支那兵は、日本人、朝鮮人に暴虐なる行為を、行っただけでなく、支那人にも略奪強姦を行い、彼らの通過した土地では12、3歳以上の女性で、強姦されなかった者はほとんどいなかったとの報告があります。
また別の報告書では、
支那公安局員及悪地主は書簡田畑に出てある鮮男の留守の間に乗し老幼者婦女子等を「暴挙官兵来襲するをもって保護すべし」云々の布告を出したし恐怖に襲われ集まり来れるこれらの老幼婦女子を室内に密閉し置き敗走し来れる官兵を招致して惨殺せしむ。臨月の妊婦を輪姦したるのち、生ける〇腹を割き胎児を取り出し面白半分にその子を銃剣にて突き殺し、後生入念にも婦人を撲殺せることすらあり。
とあり、通州事件、済南事件等とやっていることはおなじで非常に残虐な中国兵であったことがわかります。
1931年(昭和6年)11月4日満州事変の原因
昭和5年 1930年の南満州鉄道の被害状況
当時の満州の治安は悪く、1928年6月5日の新聞には張作霖氏が載っている列車が爆破されている報道があります。
この時の張作霖氏は軽傷と言っていた。
中国はこの時も日本軍の陰謀とプロパガンダし、日本と支那の関係は険悪となっていきます。
満州をおさえていた軽傷だったはずの張作霖氏は昏睡状態に。