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日本人民間人をホロコーストしたことを誇るアメリカ人

日本は1945年1月に白旗をあげて終戦時と同じ条件で和平停戦を申し込みました。

焼夷弾と原爆を開発していたアメリカは日本の国民に痛い思いをさせるまで戦争をやめるわけにはいかないとテーブルにつきませんでした。

1943年、米国ダグウェイ実験場に小さな日本村が作られていました。住むためでなく、ただ焼くために、です。米国は日本の街をどう延焼させれば効率的か、という実験の為、典型的な東京の下町を再現し焼き払い実験を繰り返しました。約2年が経過しており日本への爆撃準備のために大きな資金が使われていました。

米国ダグウェイ実験場での焼夷弾開発

1944年9月18日
ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は、原爆を「日本人」に「繰り返し」投下することで合意しました。

ハイドパーク覚書

アメリカ軍は日本本土攻撃で日本人民間人ホロコースト焼夷弾爆撃を繰り返し、ナチスよりも残虐なことをし続けました。米軍スティムソン陸軍長官の6月6日の日記にはアメリカがヒットラーよりはるかに残忍な行為をしているいう悪評を受けるようにはなりたくないと書いていました。

https://www.youtube.com/watch?v=Tk3d_d5FI44リンク動画より

ナチスが行ったアウシュビッツでおこなったユダヤ人ホロコーストは10日間で約5000人でした。

7月1日から9日までに
アメリカ軍がホロコースト焼夷弾爆撃で虐殺した日本人民間人は1万4千人

7月10日から9日間に
アメリカがホロコースト焼夷弾爆撃で虐殺した日本人の民間人は9000人

アメリカは日本全土をホロコースト焼夷弾を使ってアウシュビッツに変えていきました。東京大空襲は150分で10万人をホロコーストしました。

トルーマン大統領は日記にイギリスのチャーチル首相が裕仁天皇が「平和を求めている」といっているのに原爆投下をすすめたと書いていた。

1945年7月 原爆実験に成功したアメリカは、開発した2種類(ウラン型とプルトニウム型)の原爆を広島(ウラン型)、長崎(プルトニウム型)に落とすことができたので和平のテーブルに着きました。

20億ドルを投資し開発した原爆を民間人に落とし、20億ドルの賭けに勝った喜んだトルーマン大統領とアメリカ人に狂気を感じます。
原爆が多くの命を救ったと言っている人々は悪魔の手下にしか見えないです。

原爆が戦争を終結させたのは事実です。でもアメリカ人が思っているような理由ではありません。

東條首相は、辞世で『一般人がもしも自己に直接なる生活の困難やインフレや食糧の不足等が、米軍が日本に在るが為なりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際はかかる宣伝を為しつつある者があるのである。依って米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。今次戦争の指導者たる英米側の指導者は大きな失敗を犯した。-中略-無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し隣惑して悔悟あるべきである。』と語られています。

罪を感じた人は、次の聖書のみ言葉を読んでください。
あなたがたは驚いて、『どうしてですか。子が親の罪を負わなくていいのですか』と聞き返すだろう。そうだ。負わなくていいのだ。その子が正しく生き、わたしのおきてを守るなら、必ず生きる。罪を犯した本人が死ぬのだ。子は親の罪のために罰せられてはならず、親も子のために罰せられてはならない。正しい者は自分の善行に対する報いを受け、悪者は自分の悪行に対する報いを受ける。-エゼキエル18章19節〜20節-
平安がありますように。

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