stranger
結局どんな痛みを負ってでも、私はもう一度ひとりになりたいというのが本当のところなんだろう、という気がしてきている。自分の気持ちもわからなくなってしまった今、感情ではなく身体の声に耳を傾けている。感情はいくらでも押し殺し偽れるが、身体が動かなくなったとき、それは自分の表面上の意思ではどうすることもできない。めまい、頭痛、目が霞む、心臓が圧縮されているような痛みで微かな声しか出ない。これでもまだマシになった方だ。それでも薬で増強された躁状態によって外に出て彼を迎えに行くことができる。過去に過剰適応と言われたタチは今も治らず、自分を追い詰め続けることに一役買っている。毎日が狂っている。加速している。夕飯の味もわからない。何かが迫っている。私は何ヶ月かぶりに、彼を部屋に残して地元駅のマックに向かった。一人になりたいといえば必ずと言っていいほど彼の機嫌は悪くなる為、徐々に私の主張は減っていた。機嫌が悪くなると、互いに散々に立てなくなるまで傷つけて痛めつけてから、互いに慰め合って眠り、翌朝には塞がる傷痕、共に暮らし始めてからこの傷痕と声を押し殺してできた痣が日に日に増えて、今では痕跡で前が見えない。
立冬。たしか、今日であった。季節のことばというのは驚くほど毎回律儀に次の季節を連れてくる。そしてのろまな私はいつも季節に置いていかれる。薄手のジャケットではもう寒すぎた。指先まで冷え切ったころ、店に着く。ホットのレモンティーを注文し待っている間、どこかで聞いたリズムに似た曲が流れてくる。記憶のなかの曲を辿る。いまの自分が耳にしても、自分が消耗してゆくことのない音楽、稀有だ、どこで聞いたのだっけか、
席について、紅茶のカップで手を温めながら、過去のプレイリストを辿る。違う、違う、頭に流れているメロディが消えないうちに、
そして見つけた、
今年の5月31日、8:36
出勤前のカフェにいた時間帯だろうか、このときプレイリストに追加されていた曲がそれだった。
ドイツの4人組バンド、Rikas が歌う、
『Strangers』
この曲でした。
長い間躁鬱でろくに音楽も聴けなくなっていた私の耳に、身体に、この曲は優しく流れ込み、軽やかに問いを投げかけた。
繰り返し繰り返し聴きながら、元気だったころの自分の呼吸を思い出していた。
きっとまた移り変わる。
不思議なことだけど。
きっと。
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