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価値の変容。 お金・味・時間・場所

自分は何の対価にこのお金を払っているのか…
それは結構自覚ができてなかったりする。

息子を育てる生活も長くなると親として色々考えもする。子供の心も体の成長も親が提供してあげる環境次第だ。
人間は食べたものからできている。
"「動的平衡」 著者 : 福岡伸一 "
を読んでみて心から考えた。
親としてメンタルやフィジカルを伸ばせるインプットをできているのか。とりわけ食事の栄養素には敏感になった。
タンパク質やビタミンを摂り入れるか、だけでなく、それを吸収する小腸の環境をどう作っていくのか。
この書によると、人間のインプット器官=入口  は小腸に尽きる。体を作るだけでなくメンタルの地盤を整えるためにも実は非常に重要な役割を果たしている。
そんなこんなに考えを巡らせるうち、食べ物は体を構成するための栄養源であって、細かい要素なんてどうでも良いと感じるようになった。何かしら買い物をするときも食材が栄養素の元にしか見えてないという何とも言えない価値観の変容を体感している。

そんなわけで
自分が大人目線で美味しい!と感じる食文化やお酒や空間の居心地とか、ひっくるめた価値基準はすっかりどこかにいってしまって、息子が笑顔で心から美味しい!と喜んでくれる食事が何よりも自分にとっての美味しいにもなってきている。

我が家の財務は「夫婦でお財布一緒系」であって「経済感覚に優れた妻」とは意見が合わなくなっている。
サイゼやマックとかダイソーでばかり買い物をする僕は貧乏くさくて本物の価値がわからないということになっている。
だけど「自分ファースト」になれない「相手ファースト」な共感ベースの僕にとっては、栄養素を満たした食事をしてくれて、たまにマックなんかで嬉しそうに満点笑顔の姿を見ることの方がはるかに幸せになった。
色々考えて作った食事を惜しそうに丁寧に最後の最後まで食べてくれたりするとキュンとする。
※母親か!っというツッコミどころ。

そしてもうひとつ
都会では自分一人になってリラックスできる場所がない…本当にない。
だからこそマックやサイゼを「自分だけになれる空間」として利用していて、チープなメシという文脈ではなく一人で占領できるテーブルと時間に対価を払っている。そこには本格的な味よりも価値のあるパフォーマンスが確かにあるのだ。

そんなこんなで、同じものを見ていても自分と他人とは永遠に交わらないパラレルワールドで
一人ひとりが自分のあるじなのだ。

他人に期待せずブレないメンタルが欲しい。


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