いまを生きる「羊文学」という宗教
羊文学の音楽が良い・・・というお話し。
「宗教じゃないですよ」という言い回しがある。
自分は怪しいものではないという意味合いで使う。
試しに「宗教とは」・・・を検索してみたら
”神や仏といった超自然的な存在に対しての信仰や、それにかかわる営みを指す言葉です。神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働きのことです。”
とあった。
エンドレスにも思える「不透明感」の中で生きる僕達の生活には不安や苦悩は尽きない。
宗教的なもののニーズって増えるのかもしれない。
ひとときの安らぎを得る「心の拠り所」は誰だって欲しい。
6歳になった息子と、大河ドラマ「どうする家康」を毎週観ている。
今週は、まだ未熟な家康が自分の領地で自国領民の反乱に遭うという内容だった。
重税による耐え難い生活苦。
民はそれを紛らわすために、極楽浄土に至って救われるという一向宗の念仏 ”南無阿弥陀仏” を唱え苦しみを紛らわす。
一向宗が心の拠り所となって、一向一揆が起こる。
家康はそれを機に、自国を支えている領民の立場に寄り添うことを覚えるという脚本だった。
ふと今現在の、既得権益でがんじがらめの日本の状況にも通じるような思いがした。
政界と経済界の癒着など、惨めな亡霊のような構造はとうにメッキが剥がれてしまって、 国民は真剣に怒っている。
「どうする家康」の脚本家である古沢良太氏もそのようなメッセージを込めたのかも? なんて考えてみた。
ところで
そのような文脈とは一線を画す「羊文学」の世界観は全く新しい世代の宗教とも言えなくない。
彼らの音楽は、閉塞した冷たい温度の世界から
等身大のユートピアを目指すよう促している、そんな気がしてくる。
だから毎日聴いている。