第4回 楽しい思い出も消えない悲しみも、ずっと分かち合える。こどもホスピスだからできる「グリーフケア」とは
病気だからできないことがたくさんある。
でも、ここに来ることで何か一つでも楽しいことができないだろうか。
なんとかして子どもらしい時間を過ごさせてあげたい。
家族たちはみんな、そんな思いを抱いてここを訪れます。
それぞれの闘病生活があって、治療を経て元気になる子もいれば、亡くなってしまう子もいる。
「いつでも来てね。ずっとつながっているよ」
そう言えるのが、こどもホスピスの強みなんじゃないかな。
変化する悲しみの形
今回取材に応じてくれたのは、横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうちにて事務局員を務める杉山真紀さん。利用者の対応をはじめとする通常の業務に加え、杉山さんはグリーフケアの事業も担当している。グリーフケアとは、身近な人を亡くした遺族を対象とする悲しみのケアのことだ。
杉山さん自身もまた、10年前に子どもを病気で亡くした経験をもつ。
杉山さんの次男の航平くんが「小児脳幹部グリオーマ」と診断されたのは、一家が関西から神奈川県に引っ越してまだ間もない頃だった。当時、航平くんは4歳。転居したばかりでまわりに頼れる人が少ない状況の中、小学生の長男を含め、家族4人での闘病生活がスタートした。
「引っ越してきたばかりだったので、子どもたちと遊びに行ったことがないスポットがまだまだたくさんあって……。病気が発覚してすぐに、泣きながらディズニーランドに行きました。それから、八景島シーパラダイスやズーラシア。週末には新幹線に乗って関西の実家に帰省したり。親の自己満足かもしれないけど、行きたい場所には積極的に足を運び、家族の楽しい思い出をたくさん作ろうと一生懸命でした」
航平くんは病気と闘いながらも、子どもらしく遊び、成長する姿を杉山さんたちに見せてくれた。治療中でも身長はぐんぐん伸びたし、右半身が麻痺したら左半身でできることに挑戦した。
「子どもが病気になるって悲しいイメージがあるけど、本人は大人の心配など気にせずに、いつも通り思い切り遊びたがるものなんですよね」と航平くんの姿を思い出して笑う杉山さん。
残された時間を、なるべく家族一緒に。少しでも楽しいものに。思い出をひとつひとつ積み重ねていた先に、別れは突然訪れた。
2013年10月の明け方、航平くんは両親と兄に見守られながら、病院のベッドで息を引き取った。診断からおよそ10ヶ月目のことだ。
「私たちは残された時間でできるだけのことをしてきたので、大きな後悔はしていません。それでも、この悲しみは私が死ぬまでずっと消えることはないでしょう。もう亡くなってから10年近い時間が経ったので、当時のように泣き続けることはないけれど、私はあのときからずっと、目には見えないハンデキャップのようなものを抱えて生きているような気がします。自分の気持ちを誰にも打ち明け難い、分かち合えない、そんな感覚があるんです」
悲しみの形は時間とともに変化する。杉山さんの今の悲しみは、まわりの人が航平くんのことを知らないことだ。命日にたくさん届いていた花も、時間の経過に伴いだんだんと少なくなっていった。
航平くんが亡くなった後に杉山家には長女が誕生したが、彼女に二番目のお兄ちゃんがいたことを同級生や幼稚園のママたちは誰も知らない。
「私が自ら打ち明けない限り、航平という子がいたことが知られることはありません。仕方のないことだ、そういうものなんだってわかっています。だから、まわりの人が航平のことを知らないことや忘れてしまうことに対して怒りが湧くことはないです。ただ、あの子の存在が時間とともにだんだん薄らいでしまうようで……今はそれが悲しいんです」
グリーフケアの在り方を考える
杉山さんはこどもホスピスのスタッフとして働きながら、グリーフケアの在り方について考え続けてきた。
航平くんが亡くなった後には、同じ病気の子をもつ親が集う患者会にも参加したという。その会が当時の杉山さんにとって大きな救いとなった経験から、子どもを亡くした親たちが交流できる「グリーフカフェ」を開催した。しかし、グリーフケアの正解の形がわからず、立ち止まってしまったこともあったようだ。
うみとそらのおうちの利用者やスタッフたちと関わりながら、杉山さんが見出した一つの答えは「グリーフケアは亡くなる前の元気なときから始まっている」ということである。
「お子さんが亡くなってから、継続してうみそらを利用する家族もいます。この場所で元気に遊んでいたお子さんの姿をスタッフたちが覚えているので、生前の楽しい思い出をみんなで分かち合うことができるんです。だから、ここを訪れること自体が遺族にとってはグリーフケアになっているようです。もちろん、家族やお子さんごとに必要としているケアの形は異なります。スタッフとの関わりを経て悲しみが癒えていく人もいれば、遺族同士の語らいが必要な人もいる。時間の経過と共に必要なことが変わっていく場合も多いです。正解はわからないので、私たちは地域のこどもホスピスという立場から、様々な選択肢を用意してもいいのかなと思っています」
そして、グリーフケアの対象は親だけではない。杉山さんは、闘病の時間を共に歩んだ長男についても思いを馳せる。
「子どもの病気や死は、きょうだいにも大きな影響を与えます。きょうだいの子たちは親が悲しむ姿を見て、幼いなりにきっと何かを感じ、考えていると思います。うちの長男も『なんで航平が病気になっちゃったんだ!』と憤りを露わにしていました。『そうだよね、なんでだろうね、悲しいよね』。私たちは気持ちを分かち合いながら、親子で一緒に悲しみから回復していく経験をしました」
航平くんの兄は現在大学生。弟のことを口に出すことは少なくなったが、その存在はずっと彼の記憶の中に残っているようだ。闘病中の子どもだけではなく、闘病の時間を共に過ごすきょうだいの心情も置き去りにしてはならない。
いつか、遠い未来のことかもしれないけど
「こどもホスピスは、何年経ってもその子の思い出を語らうことができる場所なんです。生きた証の一つともいえます。家族にとってそういう大切な場所があることが、実はちょっとだけ羨ましいなと感じるときもあります。航平が生きているときにこどもホスピスがあったら、今もたくさんの人があの子の元気な姿を覚えていてくれたかもしれない。亡くなった我が子の姿をいつまでもみんなが覚えていてくれるって、きっと、家族にとってはかけがえのないことですよね」
こどもホスピスは、子どもたちが目一杯今を楽しみ、安心して過ごすための場所だ。病気であっても、子どもたちは遊び、学び、笑い、成長を続ける。
まだまだこどもホスピスの存在は社会の中で広く認知されていないし、設立に向けた課題も多い。
それでもいつか、こどもホスピスが社会の中で当たり前に位置付けられる存在になったらいいと杉山さんは願う。
「遠い未来のことかもしれないけど、こどもホスピスのことや、こどもホスピスを利用する子どもたちのことを誰もが当たり前に知っている社会になるといいなと思っています。“こどもホスピスは悲しい場所ではなく、子どもたちが笑顔になれる場所”というイメージが当事者以外にも広まってほしいですね。子どもたちが笑顔になると、みんな笑顔になるでしょう?ここって、そういう場所なんです」
(取材・撮影/佐藤愛美)