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第5回 私たちはこどもホスピスの最初の利用者。残された時間を、子どもらしく、この子らしく過ごせたら
「メリークリスマス!」
2021年12月25日。
横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうちに、開所後初となる利用者が訪れた。
室内は煌びやかに飾り付けられ、クリスマスの衣装を身に纏ったスタッフたちが少女と家族を歓迎する。
やってきたのは、当時5歳の恵麻ちゃんと、その両親の梶原眞澄さん夫婦だ。
行事の中でも特にクリスマスが好きな恵麻ちゃんは、飾り付けられた室内を見渡して満面の笑みを浮かべた。
この日を、横浜でこどもホスピスが開所する日を心待ちにしていたのだ。利用日が決まってからは、パンフレットを握りしめて眠りについた日もあったほど、期待に胸を膨らませていた。
「恵麻が子どもらしく走り回ってキャハキャハ笑っている姿を久しぶりに見ました。この姿がずっと続いてほしい。病気が治らなくてもいいから、この瞬間が一生続いたらいいのにって思いました」
元気いっぱいの愛娘の姿を思い浮かべ、目を細める梶原さん。
現在はこどもホスピスのスタッフとして働く彼女に、恵麻ちゃんと一緒にこどもホスピスで過ごした思い出について伺った。
娘の残された人生を、治療一色にしたくなかった
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「大阪にあるようなこどもホスピスが横浜にもできると聞いて、すぐに問い合わせをしました。いつから利用ができるのか知りたかったんです」
2021年秋、うみとそらのおうち(以下、うみそら)の建物は完成していたものの、新型コロナウイルスの影響を懸念し、利用者の受け入れに踏み切れずにいた。
しかし、梶原さんからの問い合わせを皮切りに事態は動き出す。開所を先送りにすることで、利用したくてもできない子どもがいるかもしれない。利用者の機会を優先する形で、2021年のクリスマスの日に最初の利用者となる梶原さん一家を迎えることになったのだ。
「ホスピス」という言葉には、どうしても死のイメージがつきまとう。しかし梶原さんに迷いはなかった。その理由は、彼女自身の過去にある。
母子家庭で育った梶原さんは、大好きな母と祖母、叔母のことを、ほぼ同時期に病で亡くした経験をもち、その悲しみを背負って生きてきた。
闘病する母たちと接する中で、当時は「どんな医療を受けたいのか」や「どんな最期を望んでいるのか」に思いを馳せる余裕がなく、梶原さんの心には大きな後悔が残った。夫婦にとって待望の第一子である恵麻ちゃんが生まれてからも、その悲しみが消えることはなかったという。
そして、恵麻ちゃんもまた、2歳のときに小児がんの一種である神経芽腫と診断された。
「5年生存率は40〜50パーセント。私たちはその望みにかけて、2年ほど入院生活を続けました。付き添い入院ができない病院だったので、甘えん坊で泣き虫だった2歳の娘を一人にしてしまう不安は大きかったです。でも、恵麻は入院生活を通してしっかり者に育ち、年下の子を気遣うなど病棟の学級委員長のように振る舞うこともあったようです。朝になって私たちが面会に行くと、笑顔で迎えてくれて。彼女なりに頑張っていたのだと思います」
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抗がん剤治療を続けたものの思うような効果は得られず、梶原さんは恵麻ちゃんに残された時間を考えるようになった。
「当時、恵麻の世界は病室の狭いベッドの中や病院の屋上だけでした。普通の子どもならこんな生活はしない。七五三も普通にやるし、抗がん剤で髪の毛が抜けることもない。恵麻が子どもらしい時間を過ごすことができたらいいのに。もしも長く生きられないのであれば、娘の残りの人生を治療一色にしたくない。私は、あの後悔を繰り返したくなかったんです」
病気の子どもが、子どもらしく過ごせる方法はないのだろうか。必死に情報収集をする中で、梶原さん夫婦は横浜市にこどもホスピスが新設されることを知った。すぐにでも利用したい。その一心でホームページの問い合わせフォームからメッセージを送ると、すぐに返事が返ってきたそうだ。
叶えてあげたい願いごと
「うみそらに来たら、絶対にやってみたいことがあったんですよ」
最初の利用日に向けて、梶原さん一家とスタッフは細やかな打ち合わせを重ねた。梶原さんたちがどうしてもやりたかったこと。それは、家族3人で大きなお風呂に入ること。
うみそらの2階には大きな家族風呂がある。以前、家族で温泉旅行に出掛けたことがあり、恵麻ちゃんは“みんなで入る大きなお風呂”をたいそう気に入ったそうだ。またみんなで一緒に大きなお風呂に入りたい。その願いを、うみそらで叶えることができた。
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「うみそらで過ごす時間は、とても幸せなひとときでした。家では私と夫だけが恵麻に向き合っているのが当たり前でしたが、ここでは多くの大人が恵麻と一緒に遊び、可愛がってくれている。私たちはお茶を飲みながらその様子を見守っていて、なんて贅沢な時間なんだろうって。恵麻にとってスタッフたちはみんなお友達であり、私たち夫婦にとっても家族のような存在でした」
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恵麻ちゃんの体調に変化が現れたのは2022年5月頃だった。これまでは月に2〜3回の頻度でうみそらを利用していたが、疼痛コントロールがうまくいかず、病院から外出することが難しくなってしまった。
「疼痛ケアのために医療用麻薬の点滴を使っていると、原則として病院から外出ができません。しかし、普段から私たちの話を聞いてうみそらのことを知っていた医師の方が、病院のルールを変えるために動いてくれたんです。恵麻と私たちにとってうみそらが大切な場所だということを理解してくれて、その先生には本当に感謝しています。一月半ほど待って病院のルールが変わり、恵麻は医療用麻薬の点滴を体に繋いだまま、うみそらに遊びに来ることができました」
7月になり、恵麻ちゃんはうみそらで生まれて初めての花火を楽しんだ。パチパチと光を散らす花火をうっとりと見つめる恵麻ちゃん。帰り道でも「またやりたい」と言うほど、花火が気に入ったようだ。
娘に残された時間がもう長くないと感じていた梶原さん夫婦は「絶対にまた恵麻に花火を見せてあげたい」と心に決めた。うみそらのスタッフたちは病院の主治医とも連携を図り、緊急時に備えた。
7月30日、うみそらでは小さな花火大会が催され、恵麻ちゃんは再び花火をすることができた。他の利用者と一緒に手持ち花火を楽しみながら、色とりどりの光を瞳に映し、「きれい」と繰り返す。
「あの可愛い声と可愛い瞳は、恵麻の人生の輝きそのものだったと感じています」
恵麻ちゃんの体調に異変が見られたのは翌日のことだった。病院へ入院すれば、もう家には戻れないかもしれない。梶原さんたちは自宅で過ごすことを決めた。
そして、8月1日の明け方、恵麻ちゃんは両親に見守られながら息を引き取った。
まさかあの日が最後の利用になるとは思っていなかったけれど、最後に花火を見せてあげることができてよかった、と当時のことを思い出して梶原さんは柔らかい表情になる。
私の生き方を変えてくれた場所
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2024年現在、恵麻ちゃんが亡くなって2年以上の月日が経った。現在、梶原さんはうみそらのスタッフとして働いている。闘病生活を経験し、子どもを看取った当事者ではあるものの、病気の子どもと共に生きる家族の痛みを本当の意味で「わかる」ことはできない。しかし、できる限り寄り添いたい。梶原さんはそう心に据えて、利用者と日々向き合っている。
「昨年の命日に、ボランティアの方に教わりながら仏壇のお鈴を乗せる台座を縫ったんです。恵麻のことを考えながら何かに没頭すると、ああ、私は恵麻のママだったんだなあと思い出すことができました。私にとってはこの時間が大切ですが、ほかの遺族の方には違う形の癒しがあるかもしれません。同じ経験をしたとしても、必要なことや大切にしていることは一人ひとり違うのだと思います」
梶原さんの夫である将道さんもまた、娘のことを思いながら続けていることがある。毎年10月、横浜マラソンにうみそらのランナーとして出場しているのだ。
「まだ恵麻が生きていた頃、夫がうみそらのチャリティランナーとして走ることになり、スタッフたちと一緒に練習をしていたんです。そのときに恵麻が『パパのことをゴールで待ってるね』と約束してくれたんですが、マラソンの開催日を迎える前に恵麻は亡くなってしまいました。以来、夫は恵麻との約束を守って毎年走り続けています。恵麻がゴールで待ってくれているので」
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闘病中も、今も、そしてきっとこれからも、うみそらは梶原さんたちにとってかけがえのない場所だ。
部屋の真ん中にある恵麻ちゃんお気に入りのブランコ。みんなで遊びながら入った家族風呂。クッキングを楽しんだ明るいキッチン。本当の家族のように迎えてくれたスタッフ。うみそらはいつも、恵麻ちゃんの可愛い笑顔と元気な声を思い出させてくれる。
「恵麻を看取ったときに、清々しさというか、ちゃんと送ってあげられたという達成感がありました。もちろん悲しかったけど、母たちを送ったときとは違い『やりきった、この子はちゃんと頑張り抜いた』と思えたのは、ここで過ごした数ヶ月間があったからだと思います。こどもホスピスは、私の生き方を大きく変えてくれた場所です」
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梶原眞澄さん
「横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうち」の最初の利用者家族。2022年8月に、娘の恵麻ちゃんを亡くした。現在は認定NPO法人横浜こどもホスピスプロジェクトの事務スタッフとして、うみとそらのおうちに勤務している。
(取材・撮影/佐藤愛美)
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