イージーライダー
イージーライダーを見なければいけない気がする。
気がするだけで気は重い。
古い映画を見ようとする時はいつだって気が重いのだ。
梅雨空のような曇天。
人はいつだってチョッパーに乗って真っ直ぐな道を走らなければならない。
そういつだってだ。
なぜか聞かれれば意味は答えられないけどまあそいういものなのだからしょうがない。
バイクになんとなく跨り出してはや20年、チョッパーぽいヤツに乗ったのは友人のJAZZが最初で最後だがまあその当時から少し勘付いていた。
ただほら膝すりとかそーいうのに憧れがあって認められなかった。
膝は擦れないしバイクでコーナーが近付くのは大嫌いなのに。
白状すればろくにバイクに乗ってはいないんだ。
でも庭先で腐りながらバイクはいつだってウチにいた。
正しくはない。
正しくはないが必要なんだよ。
だからオジサンはただひたすら真っ直ぐな国道辺りを意味もなくバイクに乗らなけりゃいけない。
きっとその意味はイージーライダーが教えてくれるハズなんだ。
行き先は破滅じゃなく海がいい。
そこで意味もなく釣り竿なんかを垂れて雑魚でも釣ってそして日常に戻る。
その時に必要なのはやっと走っているようなチョッパーと抜けるような青空だ。
ああ、イージーライダーを見なければ、やっぱりすごく気は重いんだけども。