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突然、自曲が愛せなくなった
曲作りスランプを克服しようとしている話。
自曲は大好きだった
これまでは自曲を聴き返すのが大好きだった。
自曲を聴き返して「ああーー、やっぱり自分の子がいちばん!」と悦に入っていた。
気に入った曲を集めて、iPhoneにプレイリストを作った。
ファーストアルバムを作るときは、どの曲を入れるか迷うほどだった。
とにかく「自曲大好きっ子」だったのだ。
自曲が好きになれなくなった
深夜の2時間DTMを中心に、相変わらず月に数曲は作っていた。
作っているときはとても楽しい。音を重ねていくのは快感だ。
悪くない曲が作れたし「いいね」ももらえる。自己承認欲求も満足している。
ただ、自曲の題名を見ても、どんな曲調か思い出せなくなってきた。
まるで「薬屋のひとりごと」に出てくるモノクルメガネの親父みたいだ。
彼は、人の顔を見ても顔立ちがわからず将棋の駒のようにしか見えない。
それと同じように、自曲のメロディが名前から思い出せなくなった。
聴き返しても、「おおーそうだ、こんな曲だった」と思い出すけど、どこか凡庸で印象が薄い。
自曲の何がつまらないのか
ということで、最近の自曲を分析してみた。
手グセが多い
キーボードに慣れてきたせいか、少しは両手で遊ぶことができるようになってきた。弾くのは楽しい。
でもちゃんとした訓練をしていないので、いきおい手慣れたフレーズばかりになる。限られた手グセでは、どうしても似たような曲ばかりになってしまう。
音を並べただけの曲
きれいな音色を見つけたら、弾いていると楽しくてしようがない。
音色に頼っている状態というか。
良い音色だと自然とメロディが出てくると言われているけど、そうしたメロディは手グセの域を超えない。 ただ綺麗な音色のメロディを並べただけに感じる。
「とりあえず」感がぬぐえない
初心者は「まず曲を作り切ることが大事」。
ということで深夜の2時間DTMを中心に、6年で450曲。
たしかに「曲を作り切る」ことは出来るようになったが、良くない癖がついたのかもしれない。
X(Twitter)の制限からくる、2分20秒以内で小さくまとめてしまう癖
あまり愛着を感じないお題でも、小技でうまくまとめてしまう癖
「とりあえず」作れるようになってしまったので、たしかに雑な曲が多くなった感はある。
昔の自曲はどうか
もしかしたら、いつのまにか曲作りの腕が落ちてきたのかもしれない。
それなら、以前に作った自曲は大丈夫なはずだ。
むかしから気に入っていた曲はどうだろうか? 聴けるだろうか?
たしかに題名を見ると、どんな曲はよく思い出せる。
でもあまり聴き返そうという気になれない。
わかった。
自曲の粗が見えるようになったわけじゃない。
要するに「聴き飽きた」のだ。
スランプの正体
そもそも自分は何のために曲を作っているのだろう?
もちろん「自分のため」だ。
曲を作らないでいると、体の中に何かが溜まってくる。
定期的に外に出さないとおかしくなる。
今も、とりあえず曲を作ることで、この生理的欲求は満たされている。
今でも「クリエイターとしての自分」は満足している。
でも「リスナーとしての自分」は満足していない。
量産している自分の曲を聴くのに、飽きてきた。
もういいよ。こだきんPの曲は。
そして飽きている状態そのものも、嫌になっている。
立場交代
よし原因はわかった。
要するに、「リスナーとしての自分」を飽きさせない、魅力的な曲を作ればよいのだ。
「こういう曲を作りたい」ではなく「こんな自曲を聴きたい」への立場交代。
うーむ… これは難しい。
曲作りのキャリアよりも、リスナーのキャリアの方がはるかに長い。
最近はApple Musicのサブスクも得て、聴く範囲を更に広げている。
自分で言うのも何だが、耳は肥えている。
さあ、自分。 どんな曲が聴きたい?
クオリティの高い曲が聴きたい
実は、数少ないが自分でも聴き返したくなる曲がある。
・ 空想世界コンピ参加曲:「Quantum Alliance」
・ アレンジ祭参加曲:(未発表曲)
・ ファーストアルバム収録曲: 「水のきざはし」、「ブラウ・ユーヴェリーア」
・ 2時間DTM(お題「カラスをイメージした曲」):「八咫烏の語った話」
八咫烏の曲を除いて、手間と時間をじっくりかけた曲ばかり。
…認めざるを得ない。
要するに、2時間クオリティの自曲はもう聴きたくないのだ。
ちなみに、「八咫烏の語った話」はいわゆる『降ってきた』奇跡的な曲なので、とても珍しい。こういうのは降ってくるのを待つしか無い。
今の好みに合った曲が聴きたい
リスナーとしての自分は、少し趣向が変わってきた。
シンフォニック系プログレッシブ・ロックや、民族音楽的トラッドフォークについては、中学時代からの強いこだわりもあって、それ風の曲をいくつか作ってきた。
けど、もういいや。そんな自曲は少し飽きてきた。
パット・メセニー風味も、雑に作った自曲は聴き飽きた。やるならもっと本気でやれ。>自分。
いま興味を持っているのは、映画音楽のサウンドトラックだ。
久石譲やジョン・ウィリアムズ以外に、気になる人が何人もいる。
そんな風な自曲をぜひ聴きたい。
さてどうするか
本業がクソ忙しいので、なんせDTM時間が足りない。
貴重なDTM時間ができた時に、どんな風に臨もうか。
スタンスを考えよう。
「いまこの瞬間、何が聴きたいか」を自分に問う
たったいま、どんな曲を聴いてどんな気分になりたいか、思い浮かべる。
自分に出す質問は、こんな感じ。
・神秘的な気分になりたいか
・スリリングな気分になりたいか
・壮大な気分になりたいか
・ミステリアスな気分になりたいか
そんな風に「リスナーとしての自分」に問う。
リスナーの立場で答えられなければ、その時はDAWを開いて遊ぶだけにしよう。
無理を感じたら何もしないで寝よう。
丁寧に作る
「リスナーとしての自分」が納得するためには、丁寧に作らなければならない。
もう2時間クオリティでは、満足できない。
まず2時間では曲全体の構成がまとめきれない。とっちらかる。
一つの物語として成立するように構成を練る。
メロディもハーモニーもアレンジも試行錯誤が必要だ。
何度も聴き返しては、納得のいくものに変えていく。
音作りも時間がかかる。
とくに、アーティキュレーションを工夫する必要があるので(そうしないとリスナーとしての自分が納得しない)それを活かせる音作りを丁寧に行う。
雑に作ると、後から手直しが多くなる。きちんと手間をかけて雑に終わらせない。
ミックスにも、もちろん時間がかかる。
ただこれについては良いツールもあるし、自分なりに小技がついてきたので、それほど心配はしなくていい。
曲として納得がいくものが出来てきたら、あとは割り切って作業すればいい。
「深夜の2時間DTM」リアタイ参加について
・ 本業がクソ忙しいので、なんせDTM時間が足りない。
・ いきおい、「せっかくだから…」と2時間DTMリアルタイム参加する。
・ 少々響かないお題でも無理して取り組む
・ 雑に作るので、愛せない自曲ができる。
このループはやめよう。
「どうしても参加したい!」という「響くお題」が出て、たまたま意欲あふれる曲想が出た時。
そんな時は、とりあえずWIPを作ろう。
そのまま出してもいいし、次の日に持ち越して2時間以上使って作ってもいい。
2時間以上かかったら、「ごめん、6時間かかっちゃった」と言えばいい。
とにかく無理して作らない。
聴きたかった曲を作ってみた
そんなスタンスでとりかかってみた、先日の2時間DTM。
お題は「ゲーム音楽:中ボス戦闘曲」。
ゲームをしない人なので、開き直って「聴きたい曲」を作ってみる。
実は、坂本龍一が名曲「東風」をYMOとはだいぶ違うアレンジで演奏するライブがある。
エレクトリックとアコースティックの混ざった不思議なリズムセクション。
それを使ったサウンドトラック風の曲を聴いてみたい。
わりと明確なイメージを得たので、作ってみた。
その時はリアルタイム参加だったが、やっぱり2時間クオリティなのでモヤモヤした。
くっそ忙しい本業の一週間を挟んで再挑戦。
曲のメリハリをつけて、構成をいじって、ミックスをしなおして。
6時間くらい追加で作り込んだ。
結果がこちらの曲。
他の人がどう思おうとかまわない。
少なくとも自分にとっては、満点ではないけど及第点。
曲作り、当分まだスランプは続きそうだが、一筋の光明が見えてきた。
長文、お読みいただき、どうもありがとうございました。