銀の網
利三は警察に通報しないまま、残りの弁当を配り終えた。
営業所に戻る途中、河川敷で原付を停める。
『高齢者専門宅配弁当 サブちゃん』のロゴが貼られた後部ボックスを開けて、相田久子に届けるはずだった鰤の照り煮弁当を取り出す。
梅雨入りも近い平日の昼。一直線の遊歩道に人影はない。
ベンチに腰掛け、手を合わせる。
「いただきます」
利三も70手前の高齢者だが、ムース食を口にするのは初めてだった。胡麻豆腐みたいな見た目の鰤を口に含むと、プリンの食感がした。味は鰤。
さっと平らげて、昔のように缶コーヒーを呷る。
生活安全課を勤め上げてから9年。錆びついた頭が回りはじめる。
相田久子、75歳、独居。
いつもチャイムを押す前から玄関にいて、笑顔で迎えてくれた。
昨日までは。
210号室のドアから顔を覗かせたのは、中年の男。身長190、青のツナギ。感染防止の白マスクに鋭い目。男は引越し業者を名乗り、久子は新居にいる、本人に伝えますと一方的に喋ってドアを閉めた。
配食という仕事は、見守りを兼ねている。手渡しにこだわり、雑談を欠かさぬことで、体調の変化や些細な違和感を見逃さない。
久子はまだ達者で、取り消しの電話を忘れたことはない。引越しも初耳。裏を取ろうにも久子は固定電話、ケアマネジャーもいない。刑事課のツテを使ってもし誤認なら、方々に迷惑をかける。
よし、と腰を上げる。
まずはオーナーの三郎に相談。謎の多い変わり者だが、仕事ぶりは信頼できる。
▽
営業所に戻ると、盛付スタッフの明美が大袈裟に敬礼した。
「巡査部長、ご苦労様であります」
「サブさんは?」
「配食中。ねえ聞いてよ、さっきモッ君から電話があって」
元木は先週バイト採用された青年だ。利三は回収してきた容器を片づけながら、続きを促す。
「配食先が引っ越し中で、本人は居ないって。珍しくない?」
背筋がぞくりとした。
元木から詳しく聞き取る必要がある。
だがその日、元木は戻ってこなかった。
【続く】
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