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【連載小説】境界線の白き狩人たち #01


-序-


 そいつは、どちら側の人間でもなかった。

 俺たちを飼う<ジンク>の側でも、俺たちを殺す<スラウバー>の側でもない。人外でもない。もう随分と昔の話―― ジンクの街に連れてこられる前の話だが、俺は一度だけ人外を見たことがあった。ザバロッグの砦を襲った人外は、誰がどう見たって人外で、例外だった。
 だから俺は、どちら側でもないその人間を見たとき、俺のように遠く離れた地から来た別の人間なのだろうと思った。

 その人間は、暴虐の限りを尽くした冬嵐がそろそろ飽きて他所へ行こうか思案しているような、不安定な時季の晴れた日にやって来た。

 俺たち<飼われ人>が久しぶりに廃街の宝探しに動員され、凍傷に怯えながらグズグズの雪を掻き分け、めぼしい廃墟を探索していると、折り悪くスラウバーと出くわした。同じ目的で廃街を訪れたふたつの集団がいつも通り縄張りの境界線を主張しあい、生存競争と称する無益な殺し合いをはじめたので、俺たちのお勤めはそこで終わった。

 その人間は、いつの間にか俺たちのすぐ近くにいた。

 最初に気づいたのは、たぶん俺だった。少し遅れて、死体の下で死んだふりをしていた新入りの飼われ人―― 飼われ人のくせに小太りなヘルゲが、気づいた風な仕草をした。ほかの飼われ人―― ジンクの労働力たる痩せこけた男たちは、あらかた肉の盾にされて撲殺されるか、無駄な抵抗を試みて撲殺されるか、ついでに撲殺されるかしていた。足せば三十人程度のジンクとスラウバーは、誰かの頭蓋骨を叩き割ることに夢中だった。

 雪の白さと同化したその人間は、真っ白な手袋を嵌めた手を握ったり開いたりしながら、怒声と血が飛び交う乱闘の渦に向かってすたすたと歩いていた。

 鍔広の帽子も真っ白で、顔をすっぽりと覆うマスク―― だがジンク側の人間が使うものより明らかに上質で異相のマスク―― も真っ白で、シクイ鳥にも似た不気味な意匠の口元からもうもうと漏れる息も真っ白で、地面を擦るほど丈の長い外套も真っ白で、外套の隙間から覗く靴のつま先も真っ白で、つまり全てが真っ白だった。ずん胴に見える外套のせいで体格は伺い知れないが、背丈は俺と同じ長身だった。

 その真っ白な人間は、殺し合っているジンクとスラウバーを皆殺しにした。

 最初に殺されたのは、スラウバーの賞金首だった。野蛮なスラウバーは例外なく坊主頭で、見分けをつけるのが難しい。マスク姿のジンクよりもまだマシに思えそうなものだが、マスクをしないせいで奴らの顔は歪んでいるから、結局のところ同じくらい判別が難しい。けれど俺は、街のそこかしこに貼られた紙ペラのおかげで賞金首の顔と金額だけはすっかり覚えてしまっていた。三番目に高額だったその吊り目の男は、異常発達した筋肉による暴力を見せつける機会も与えれずに首を刎ね飛ばされた。

 その真っ白な人間は最初のうち、二本の刃物―― 極端に湾曲した奇妙な刃物で大勢を殺した。ジンクの街で大きな刃物を所持できるのは、俺たちをこき使う兵隊よりさらに上の支配層か、屠殺人か、調理人だけで、スラウバーも鉄の棒を振るう腕力だけが自慢の蛮人だから、熟練の刃物使いに敵うはずがなかった。俺は、ガキのころ読んだシュマクスの剣士の姿をその真っ白な人間に重ね合わせていた。

 狂気の渦の濁流に乗った白の剣士は足元の悪さをものともせず、外套を翻しながら踊り子のように立ち回った。どさくさに紛れて右をひと振りすれば首がひとつ飛び、左をひと振りすればまたひとつ首が飛ぶ。左右を同時に振れば、揉み合っているふたつの首が同時に飛んだ。たった十秒かそこらで十数個の首が雪の上に転がったころ、ふたつの集団はようやく乱入者の存在に気づき、一人、また一人と静まり返っていった。

 白の剣士は、驚くべきことに銃を持っていた。刃物の代わりに外套の中から引き抜かれた二挺の銃―― 銃身を切り詰めた装飾的な散弾銃―― は古めかしくもよく磨き込まれ、泥や錆びや曇りは一点も無く、陽の光を反射してぴかぴかに光っていた。

 銃を見た集団はほんの一瞬ギョッとした態度を見せたあと、ゲタゲタと一斉に笑った。銃口を向けられていた二人のスラウバーが不細工で下品な笑みを浮かべ、脅しと罵りの言葉を吐き、鉄棒を振りかぶって襲いかかった。二挺が同時に火を吹き、二人の頭が同時に爆ぜた。振り上げていた逞しい腕も、ほとんど千切れてダラリと垂れた。その後ろにいた一人もとばっちりで目と鼻を潰され悲鳴をあげた。ジンクも、スラウバーも、飼われ人も、周りから馬鹿呼ばわりされる俺ですらも、かつてこの世を支配した ”銃” の存在はよく知っている。だが、その場にいた全員がたかをくくっていた。弾なんて入っているはずがない。万が一入っていたとしても、まともに弾を飛ばせる銃であるはずがない。この一帯でよく使われたコケ脅し。ジンクもスラウバーもとうの昔に棄てた手口。

 だから、轟音とともに雪上に赤黒い華が咲いた瞬間、全員が凍りついたように動かなくなった。俺もまさかの結果に面食らって小便を漏らした。

 そこからはあっという間だった。白の銃剣士は素早く動いたかと思えばピタリと止まる。その瞬間にはもう狙いが定まっている。二挺同時に引き金を引いてまた動き出し、またピタリと止まり、また引き金を引く。鼓膜を破るような音が廃街に響くたび、必ず誰かと誰かの頭が吹き飛んだ。白の銃剣士は混乱の中心で滑らかに回転し、滑らかに回避し、どういう仕組みか想像もつかない方法で弾を込め、運動と静止を繰り返す。一方的に狩られる側になった最後の数人が、銃口に背を向け死に物狂いで走り出した。白の銃剣士は懐に手を伸ばすと小さな刃物をいっぺんに何枚も投げ、そいつらをいっぺんに殺した。

 その場で白い息を吐いているのは、棒立ちの俺と、今にも逃げ出しそうな小太りのヘルゲと、白の銃剣士だけになった。白の銃剣士は、いくら血を浴びても真っ白のままだった。外套を濡らしていた一番新しい返り血も、すぐに赤から白へと変わっていった。変わったというよりも、まるで血を欲する外套が赤い体液を吸い尽くしたように見えた。

「な、なんなんだ。あんた」

 我ながら間抜けな質問だった。

 白の銃剣士が、ゆっくりと俺を見た。10ヤードほどの距離があり、お互いマスクで表情は伺えないが、刺すような視線を眉間のあたりに感じた。指先が壊死しそうな寒さだというのに、背骨の溝に沿って汗が流れ落ちた。

「俺も、殺すのか?」

 俺はまた間抜けな質問をした。俺が俺のバカさ加減にうんざりしていると、白の銃剣士がはじめて喋った。
「どうやらお前じゃないようだ」
 マスクを通して、くぐもった声が耳に届いた。しわがれた、年のいった女の声だった。白の銃剣士は俺の横方向へと視線を移し、降ろしていた右手の銃をふたたび持ち上げた。その銃口とマスクの丸い両眼は、ヘルゲに向けられていた。
「お前。越境者だな」
 白の銃剣士が言った。俺がヘルゲの方へ振り向こうとした瞬間、銃声が響き、散弾が俺の鼻頭と頬を掠めた。焼けるような痛みに悶えながらヘルゲを見ると、小太りの上半身とまだ顔に馴染んでいないマスクが穴だらけになっていた。

「なニモ、して…… なイノニ」

 千切れかかった喉でどうやって発声したのか、ヘルゲが絞り出すように言った。そしてヘルゲの穴という穴からごぼごぼと赤色の肉が溢れ出し、あっという間に穴を塞いだかと思えば肉はさらに勢いを増して噴き出し、ぶくぶく膨れ上がり、重力に負けて垂れ、流れ、全身を覆い、やがて巨大な肉の山へと変わり果ててしまった。肉塊はそれでもモゴモゴと何かを呟き、あべこべの目をギョロギョロと巡らせながら、触手のようなものを振り回しはじめた。

 俺はまた小便を漏らし、腰を抜かして頭までおかしくなりかけたが、顔の痛みが正気を保たせてくれた。正気でいるために絶叫していた俺の横を、白い影が駆け抜けた。
 白の銃剣士は触手を刃物で斬り払いながらあっという間にヘルゲ―― ヘルゲだった異形に接近し、何かを握り締めた右手を肉塊の中に突っ込んで、信じられない跳躍力で離脱した。直後、銃よりも遥かに大きな音と白い閃光が爆発的に生じ、衝撃で吹き飛ばされた俺は肉片をしこたま浴びながら雪の上に倒れた。

 人間だと思っていたヘルゲは、人外だった。ザバロッグの砦で見たあの人外とは随分と容姿が異なるが、誰がどう見ても人間でないことは間違いなかった。ザバロッグの人外―― 兄貴と妹を喰ったあの人外も―― もとはヘルゲのように人間を装っていたのだろうか。それとも、人間の成れの果てが人外なのだろうか。そして、人外をたった一人でいとも簡単に殺した白い銃剣士は、いったい何者なのだろうか。俺は仰向けに倒れたまま、短い時間でいくつものことを考えた。

 ひとつも答えの出せない俺が「うー」と間抜けに呻いて上半身を起こすと、立ち去ろうとする銃剣士の背中が見えた。どういうわけか、真っ白だった帽子も、外套も、すべてがボロ布のように薄汚れた鼠色に変わっていた。

「剣士さん!」

 大声で呼び止めたが、鼠色の銃剣士は歩調を変えなかった。

「俺は役に立つぞ! 剣士さん!」

 その一言で鼠色の銃剣士は立ち止まり、ゆっくりと半身だけ振り向いた。

「剣士じゃない」
 冷たい、突き放すような口調だったが、そこで引き下がるわけにはいかなかった。
「え? じゃ、じゃあ…… 狩人さんでいいか? あんた、人外を狩っているんだろう? 越境者って?」
 鼠色の狩人は無言のままで、今にも立ち去ってしまいそうに思えた。いっぺんに質問を浴びせた過ちに気付いた俺は、深呼吸してからよろよろと立ち上がり、どうにか落ち着いて話そうと努めた。

「俺…… 俺はよ、遥か遠いルトハンってとこの生まれなんだが、この先の街で飼われて長い。俺みたいなのがあちこちから連れてこられて、人外の噂はいくつも聞いてるんだ」
 本当のことを言ったが、半分は嘘みたいなものだった。古い話も多い。聞いたら笑ってしまうような噂話も混じっている。だがこの時は、とにかく使える人間に思わせる必要があった。

 鼠色の狩人が、次の言葉を促したように見えた。

「だから…… 俺を連れていってくれないか。腕っぷしに自信は無いが、俺には情報がある。しぶとく生き延びてきた俺だからこその情報だ。狩人さんには、次の当てがあるのか? もし無いなら従者として雇ってくれよ。このまま街に戻ったら生き残りのジンクどもに処分されるに決まってる。一人で逃げたってのたれ死んじまう。もちろん報酬なんていらない。な? 食う寝るさえできりゃ文句は言わねぇ。俺みたいな人間はそれすら難しいんだ。必ず役に立つから。な? 頼むよ狩人さん」

 永遠とも思えるような、無言の時間。

 固唾を飲んで返事を待っていると、鼠色の狩人が完全にこちらを向いた。

「エイプリル」
「え?」
「名前。二度と剣士や狩人などと呼ぶんじゃない。必ず厄介事を招く」
 エイプリルは踵を返し、登場した時と同じようにすたすたと歩きはじめた。
「あ…… ああ! わかったよエイプリル。俺はフールだ。すまない、名前は尋ねるより先に名乗れって話だよな。俺の名前はフール。よろしく頼むよエイプリル! エイプリルさんって呼んだほうがいいか!? なあ、ちょっと待ってくれよ!」
 俺は大声で言いながら、急いで死体の山を漁りはじめた。

 ――これが俺とエイプリルの、出逢いの話。


<続かない>

4月1日ということで。
連載スタートすっぞ風味の、
掌編習作でした。

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