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救いのクリスマ……

「メリークリスマス、ダーンくん」
 サンタはガスマスク越しにささやき、枕元にギフトボックス置いた。男児の腐敗はそれほど進んでおらず、表情は安らかに見えた。冬場にもかかわらず窓が少し開いているのは、両親によるせめてもの配慮だったのだろう。サンタは痛む腰をのばし、薄暗い子供部屋を見回す。家具の配置は昨年と変わりないが、どうやらこの一年でフットボールに興味がわいたようだった。
「ボールのほうがよかったかな」
 この家からも、今年は手紙が届かなかった。
「そろそろ、行くよ」
 サンタは無理やり微笑んで、ベッドに背を向けた。子供部屋を出て、一階へ続く階段に向かう。途中、両親の寝室の前を通る。来たときに一度だけ覗いて、ドアは閉めてあった。彼らがとった行動の善悪正誤を考えるつもりはない。

 きっとあの子は、安心して眠ったまま逝けたのだろう。忌々しい病におかされる前に。

 サンタは、それだけを信じていたかった。

 階段を降り、来たときと同じようにリビングを抜ける。窓にこれでもかと打ち付けられた木材をのぞけば、いまこのときも幸せな暮らしが続いているかのような空間。ただそれだけのことが、ありがたいと思えた。凶暴化した人間に荒らされていない家は、ここが最初で最後になった。ロックダウン状態にあったと思われるこの町では、逃げ場のない住居での惨劇が多発していた。夕刻から何軒もまわり、目を背けたくなるような現実に耐えながら袋の中身を減らしてきたが、正気を保つのはそろそろ限界だった。
 廊下に出て右に折れ、玄関へ。ドアノブに手をかけ、力を込めようとした瞬間――背後で音がした。心臓が動悸をうつ。ここの家族構成は? あの子と、父親、母親。それに……祖母。四年前から寝たきりの。
 ゆっくりと上半身をひねる。リビングのドアより向こう、廊下の奥は闇。その黒と混じり合うように老婆が立っていた。いや向かってきた。速い。ちぐはぐな動きだが速い。サンタは静かに息を吸い、携帯していた消防斧を振りかぶる。速さ、距離、リーチ、いま。両手に力を込めて垂直に振りおろす。
「すまない」
だが、ためらいはなかった。

 ふたたびドアノブを握り、強く目をつむる。プレゼントは残らず配りおえた。今日、どの家を出るときにも念じてきた馬鹿馬鹿しい願いを、最後にもう一度だけ心のなかでつぶやく。

 お願いだ。悪い夢ならば、ここで目が覚めてくれ。

 ドアを開け、耳を澄ます。
 ……虚しく静かだった。去年も、おととしも、その前も、ここら一帯のクリスマスイブはたいそう賑やかだった。それがたったの二か月で。重い瞼をゆっくりと持ち上げる。建ち並ぶ家々からも、往来からも、なにひとつ生の営みが感じられない。さきほどから降りはじめた雪が、冷えきった亡骸や文明をすっかり覆い隠していた。
「だよな」
 サンタは自嘲の笑みを片頬に刻んで歩きだす。郵便受けに積もった雪をひと掴みし、アイピースにこびりついた血を拭う。足を一歩前に。爪先は最後の目的地がある方角へ。終わらせるべきことが、まだひとつ残っている。サンタは白い袋と罪を背負いなおし、一歩、一歩、雪を踏みしめていく。長年連れ添ったったトナカイたちの顔が思い浮かび、涙が頬をつたう。人間以外への感染も疑うべきだった。ともに飛び立っていった大勢の同志たちも、大半はすでに死んでいるだろう。基本的な肉体構造は人間と同じなのだ。現地に到着した彼らがもし防毒の必要性に気づいたとしても……。どうしてこんなことに。出発前、サンタの国にもわずかな情報は入っていたが、こんなものは伝染病の流行とは言わない。町の、国の、世界の滅亡だ。

 やっとのことで駅にたどり着いたサンタは、駅前広場に設置された巨大ツリーを見上げた。今年はそれどころではなかったはずだ。気概のある誰かに対して、サンタは心から感謝した。
「……さて」
 白い袋をおろし、まずは周辺の死体をどける。数は多くない。残りの体力と相談し、最低限のフィールドを確保する。呼吸を整えてから手袋をはずす。袋から産業用ダイナマイトを一本取り出す。オーナメントの紐に引っ掛けて吊るし、雷管を挿入する。また一本取り出す。吊るす。挿入する。かじかむ手を擦りながら黙々とくりかえす。最後の五本はダクトテープで胸に縛りつけた。すべてをつないだ電気点火装置は、ツリーが植わる大きな鉢の、土のうえに。点火用のキーはいつでも捻れるように挿しておく。斧は鉢に立てかける。苦労して手に入れた三丁の拳銃は、一丁ずつ使うことにする。二丁と換えの弾倉はズボンに。
「やるだけやってさよならだ」
 深呼吸。イルミネーションの電源を入れる。水平に向けた小型の投光器が放射状に広場の先を照らす。最後に、ラジカセのスイッチを入れる。最大音量のクリスマス・コンピレーションが静寂を破った。一曲目は、オランダではちょっと有名なコメディアンの定番曲だ。呪文のような歌詞と軽やかなメロディが、広場を囲む建物に反響する。

 広場は扇形で、ツリーの背後は駅の高い壁に守らている。見据えるべき百八十度の視界をさえぎるものはない。深夜だが光量も確保した。三分と待たずに、右手からさっそく一人目。駅員だった。
「駅だもんな」
 サンタはつぶやき、斧で迎える。弾は節約する。相手の著しい知能低下と狂暴化が、いまは助けになっている。いったい何人を相手にできるだろうか。わからない。今日ここまでに見てきた結果から言えば、長命化する確率は全体の一割よりもずっと低い数字のはずだ。つまり町の人口で計算すると――二人目は寝間着姿の若い女性。しばらく間を置いて、三人目はダーン少年と同じくらいの子供。斧を置き、近づかれる前に両手で拳銃の狙いを定める。己の肉体を機械のように動かす。考えてはいけない。淡々と。休む間もなく四人目、五人目。六人目は犬だった。六匹目。思ったよりペースがはやい。三方の路地から数人が走ってくるのが見える。一瞬、点火装置に目を向ける。
「まだだ。まだ」

 ラジカセが黙ってからは、銃声が代わりを果たしていた。サンタは発情したトナカイのように荒い息を吐きながら、ガスマスクを脱ぎ捨てた。点火装置を掴み、ツリーの鉢に背中をあずけ、へたり込む。何もかもが限界に達していた。手足が小刻みに震えている。膝のうえに乗せた点火装置がカタカタと揺れている。挿しこんでおいたキーを右手の指でつまむ。軽く捻るだけでいい。うつむいている間にも、足音がいくつも近づいてくる。装置を凝視したまま、最後の弾倉をやみくもに使う。べっとりと手についた体液のせいで拳銃が手から離れる。装置を睨みつける。短い呼吸を何度か繰り返してから大きく息を吸う。
「おおおおおおおおおお!」
 人生のなかで一番の絶叫だった。キーをつまむ指先に力を入れる。そして捻――ニワトリが呻くような音がいくつか聞こえた。かわりに足音は聞こえなくなった。キーをつまんだまま顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。中年で面長、ぎょろりとした大きな目。彫りの深い顔立ちだが、どうやら東洋人のようで、その手に握られたカタナが妖しく光っていた。足元には、首なしの感染者がいくつか転がっていた。

「……だれだ?」
 サンタは掠れた声で問うた。八十か国語をあやつるサンタは日本語を選んだ。

「……Chrisma…ザザ」
 男はささやくように口を動かしたが、声を出したのはラジカセだった。電波の悪いラジオ放送のようなノイズ。後半はよく聞き取れなかった。

「クリスマス?」
 サンタは日本語で聞き返した。男とラジカセを交互に見る。

「いいえ……Chrismatsumura…ザザ」
 男がまた口を動かしたが、喋ったのはやはりラジカセだった。ノイズ混じりだが、最初の「いいえ」は間違いなく日本語だった。

「クリス? クリスマ?……まあいい、クリス。なんなんだ、いったい」
 サンタはラジカセについて考えることを諦め、男を見て話すことにした。じっとサンタを見つめていた男がふたたび口を開いた。
「わたしが生を受けたのはここオランダなの。そしてわたしはラジオが好き。だからこうしてあなたの意識に入れた。いい? サンタさん。目を覚まして。これは夢よ。それもとびっきりの悪い夢」
 男の口調は急に早く、はっきりとしたものに変わっていた。夢。サンタは深いため息を吐き、ゆっくりと首を横に振る。
「クリス。助けてもらって悪いが、もうそういうのは勘弁してくれ。こんな……こんな夢があるものか。いいからはやく、安全な場所に逃げるんだ。……安全な場所などないが、いまから爆発するここよりはマシだろう」
喋る気力すら残っていないサンタは、それでも男のために言い切った。
「だめ。これを」
 男が近づいてきて、何かを差し出した。
「これを」
 顔の前にしつこく差し出してくる。受け取るしかないようだった。震える指をキーから慎重に離し、座ったまま受け取る。何世代もむかしの、傷だらけの携帯電話だった。二つ折りを開いてみると、液晶が点灯した。大きな文字で日付が表示される。2021年12月22日。
「古い携帯だな。時計が狂ってるぞ」
 サンタは鼻で笑った。男の頬がふくれた。
「失礼しちゃうわね。アナログのままが優しい場合もあるの。……いい? サンタさん。大事なことを言うわよ。あなたは、まだ生きている。でも危険にさらされている。わたしは日本にいてもそれがわかる。生きているのはあなただけじゃない。あなたの同僚も、子供たちも、トナカイさんも、クリスマスも。だからその電話が鳴ったら必ず出るのよ」
「鳴るって、誰から――」
 サンタが顔を上げると、男の姿は消えていた。
「……幻覚か」
 死ぬ直前に見る幻覚としては最悪の類だ。気を取り直そうにも取り直せない状況だが、遠くに人影がいくつか見える。点火装置のキーを――
「あ?」
 手のなかに、携帯電話があった。

 RIIING RIIIIIIING!

 心臓が飛び出しそうになった。反射的に投げ捨てようとしたが、思いとどまる。二つ折りを開き、耳にあてる。

 ……もしもし。

 そう言おうとしたが、とつぜん、喉に何かが詰まったような苦しさを自覚した。声が出ない。息ができない。口に片手を突っ込んでみても何もない。喉のなかで大蛇が暴れているかのようなおぞましさ。息が、意識が。死ぬ。爆破、爆破を――

「大丈夫」
 取り落とした携帯電話から、男の声が聞こえた。

 自分の口のまわりをまさぐっていた両手が、何かを掴んだ。死力を尽くして異物を喉から引き抜く。
「カハッ! カハッ!」
 えずき、むせ、涙で視界がにじむ。握っているのは、触手のような何かだった。胃のあたりまで届きそうな長さ。ぬらぬらとしているのは食道の粘液か、この触手の体液か。
「キー」
 不気味な鳴き声にハッとし、触手の主を見る。蛸でいうなら頭や胴体にあたる位置に、剥き出しの脳味噌があった。人間のものと同程度。脳から伸びる触手は一本だけ。そう、喉に入っていた――
「この……!」
 サンタは怒り任せに立ち上がると、触手を振って脳味噌を床に叩きつけた。その床には、見覚えがあった。
「うそ、だ」
 サンタの国の、指令センターだった。ガラスの向こうにはソリのハンガー。間違いない。室内を見回す。ぐったりと椅子にもたれる同志たち。ソリの運行を管理するオペレーターだ。どの口にも触手、脳。触手と脳。触手と――
「おおおおおおおおあああ!」
 人生のなかで一番の絶叫だった。同志に駆け寄り、触手を抜き、脳を潰す。
「戻ってこい! おい! 戻ってこい!」
 頬を張って、次の同志へ。
「戻ってこい! こっちに戻ってこい!」
「お前も戻ってこい! おい聞こえるか!」
 サンタが助けた同志が、別の同志を。その同志が、また別の同志を助けていく。サンタはそのようすを確かめながら、横目で時計を見た。壁一面に掛けられた無数の時計。その中央、いちばん大きな時計が示す世界標準時は。

 2021年12月22日。

「メリークリスマス、ダーンくん」
 サンタはささやき、枕元にギフトボックス置く。手紙に書かれていたゲーム機だ。きっと喜んでくれるだろう。サンタは痛む腰をのばし、薄暗い子供部屋を見回す。家具の配置は、昨年と大きく変わっていた。だが、両親に愛されていることがよくわかるいい部屋には変わりなかった。
「そろそろ、行くよ」
 サンタは心の底から微笑んで、ベッドに背を向けた。窓を開けて外へ。温かい空気が逃げてしまう前に窓をそっと閉め、宙にとめていたソリに飛び乗った。
「よし! 今年の仕事は終わりだ。おまえたちも国に帰ったらご馳走だぞ!」
 労いの言葉をかけながら手綱を操ると、トナカイたちは嬉しそうに鳴いてスピードを上げていく。
「……おっと。その前に、忘れちゃいけない。少し遠いがもうひとっ走り頼む。礼を言いたいんだ。直接な」


【完】


■これはなんですか?
もとは、企画『パルプアドベントカレンダー2020』の2本目として23日くらいに思いつき、うおおおおと書きはじめたものでした。……しかし間に合わないし、なんか暗い話になってるし、ハッピーエンド予定とはいえウーン……ということで、書きかけで断念、埋葬した作品です。

墓から甦ったきっかけは、パルプ野郎、しゅげんじゃ=サンのエールでした(アザマス!)。後半部分は、大幅な路線変更からのちょっとヒドイ畳み具合ですが、「書き上げることがイチバン大事……」と教わっているので、まあ、そこは……
※なお、クリスは実在の人物とは関係ありません(目を逸らす)

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