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剣闘士

「若さだ。永遠の、若さ」
「永遠の若さ?」

 皇帝席の青年が聞き返すと、アリーナの男は深く頷いた。

「そうだ。永遠の若さ」

 太い声がヘルムの奥から発せられ、円形闘技場に集まった四万の観衆に届く。思いもよらぬ剣闘士の願いに場内が騒がしくなると、皇帝は右手ひとつでそれを静めた。

「フン……」

 思わず前のめりになっていた若き皇帝はふんぞり返り、頬杖をつきながら不満をあらわにする。

「……興醒めさせおって。”百戦錬磨” を目前にした闘士の願いとは思えん。死ぬのが怖いか」
「ああ。怖い。……老いてこの剣を! この盾を! 握れなくなることが怖い!」
 剣闘士は力強く言い切った。そして隆々と漲る筋肉を誇らしげに示し、右手のグラディウスをバックラーにガン、ガンと叩きつける。
「剣闘士の俺が! 求めるのは! 不老であって不死ではない! 俺は闘い続ける……。百戦錬磨は通過点! 五百! 千! 五千! 万!」

 ポカンと口を開けていた皇帝の表情が、みるみるうちに緩んでいく。

「……フフッ。フハハ。ハッハッハ! そういうことか! 面白い。よく言ったぞ! 聞いたか諸君! この男は富や地位を求めず! 剣闘士として生き続け…… 剣闘士として闘い続けることを望んでいるッ!」
 皇帝は腹の底から笑いながら立ち上がり、両手を大きく広げて観客席を見回した。
「「ウオオオオーッ!!」」
 観衆の大喝采で空気が震え、八万の足踏みで闘技場が揺れる。捕虜や奴隷の苦痛と死を見て楽しむ残酷なローマ人たちも、今日ばかりは噂の剣闘士の偉業達成を熱望していた。
 皇帝はたいそう満足げに頷き、隣に座る母親の表情を窺う。”神の巫女” の名を持つ母親は、息子の視線を真っすぐ受け止め微笑んだ。

「――よかろう! しかと聞き届けた! 今日の闘いに見事勝利し! 前人未踏の百戦錬磨を成したならば! その願いを叶えよう!」
「「ウオオオオーッ!!」」

 皇帝が仰々しく合図すると、アーチのひとつがゴリゴリと音を立てはじめた。剣闘士がくぐるものより遥かに大きく、遥かに堅牢なアーチが、五年ぶりに開いてゆく。皇帝は残忍な笑みを浮かべ、金色の歯を剥き、闇深い半円形の出入口を凝視する。

「「ウオォワァァァーッ!!」」
 怪物が姿を現わすと、熱狂の声に畏怖や驚きの悲鳴が入り混じった。一部の観衆の脳裏に、五年前や九年前の惨たらしい結末が甦る。それでも彼らは信じている。無敗の怪物を斃せる人間がこの世にいるとするならば、この闘士をおいて他にないと。

 その怪物は、怪物らしからぬ静かな一歩でアリーナの土を踏み、しなやかに歩き、楕円の中央で剣闘士と相対した。剣闘士は臆せず巨体を見上げる。顔は人間のそれだが、腐ったような息と体臭が鼻をつく。常人の胴回りほどもある太い両腕に視線を走らせれば、左右の手には二本の巨大な木製剣。歴戦の猛者の希望と頭蓋を打ち砕いてきたその凶器は、血を吸って黒く変色している。
 グラディウスを握る右腕の筋肉が隆起する。
 闘気に反応した怪物の呼吸が荒ぶる。

 ――銅鑼の音が闘技場に響いた。

◆◇◆◇◆

 一陣の風が吹き抜け、遥か昔の記憶に浸っていた男を ”今” へと呼び戻す。
 今は世界遺産と呼ばれ、観光名所となり果てた闘技場の観客席。
 闘技会の消滅とともにローマから姿を消した男は、およそ十六世紀ぶりに円形闘技場を訪れていた。いつも自分が見上げていた場所に初めて立ってみても、特別な感情が湧いてくることはなかった。

 ふと視線を横に向けると、一人の東洋人が観客席に座っていた。その男はアリーナを見下ろしながら、まるで目に見えない隣人と会話するかのように独り言を発している。
 剣闘士がその様子を不思議そうに眺めていると、気づいた東洋人が鋭い視線を返してきた。

「旅行ですか」

 先に口を開いたのは剣闘士だった。他人となるべく距離を置いてきた自分が世間話とは…… 剣闘士は己の不注意な行動に驚く一方で、目の前の男にどこか親近感を覚えていた。
 東洋人は小さく微笑むと立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。剣闘士はいつもの癖で相手を観察する。右手には、何かバインダーのようなものを持っている。やや小柄だが、よく鍛えた肉体の使い方を熟知している動作。格闘家か、軍人か。あの時代にここで出逢っていれば、いい闘いができたかもしれない……。
「ええ。来てみたかったんですよ、一度ここに」
 東洋人はそう言って剣闘士の隣に並び立ち、広大な闘技場ぐるりと眺めまわす。
「何か、思い入れが?」
「……ええ。私、剣闘士なんです」
 東洋人の答えに、剣闘士は目を丸くした。
「剣闘士? 君が?」
「そうです。私は…… とある女性たちに自分の剣闘魂を重ねている剣闘士、とでも言いますか。ちょっと難しいですかね? 相手を殺すわけじゃありませんよ」
 不思議と冗談を言っているようには思えなかった。東洋人は真剣な眼差しで話を続ける。
「想像してみてください……。熱狂的な声が渦巻くアリーナ。与えられた装備を身に纏い、鍛え上げた肉体と技で勝負し、観衆を魅了する存在。そしてそこには当然ながら過酷な競争がある。……どうです? ローマの剣闘士の事を言っているように聞こえるかもしれませんが、私は私の剣闘について話しています。私は彼女たちと共に、剣闘の世界を生きている」

 剣闘士は、瞬きひとつせずに東洋人を見つめていた。
 淡々と、だが熱く語られた言葉に聞き入っていた剣闘士は、心の奥底で燻っていた闘士の炎が再燃するのを感じた。

「……その、君が言う剣闘とは、具体的に何を指すのだろうか?」

 剣闘士が問うと東洋人はしばらく考え込み、何かを閃いたような顔で答えた。
「あなた、暇ですか? 十日くらい自由になれます?」
「え? ええ。時間はいくらでもあります。それこそ永遠と言えるくらいに」
「そうですか。では、今から荷物をまとめて日本に行きましょう」
「日本?」
「行ったことあります?」
「え、いや…… 行ったことはない、な」
 剣闘士が最後に日本を訪れたのは、刀と刀で生死を決していた時代。
「そうですか。ま、安心してください。私は何度か行っていますし、日本語も大丈夫。なにより丁度このあと、日本にも寄る予定でした」
「なぜ日本に? 剣闘といえばここローマでしょう」

 東洋の剣闘士は、不敵に笑ってキッパリと言った。

「アイカツの本場はね、日本なんですよ」


―【完】―


◆これは何ですか?
akuzume=サン主催の『剣闘文学トーナメント』の締め切り日を間違えていたワシが、作品を供養するために投稿したものです。

※最終日を「4月3日」と思い込んでいたワシは、このツイートを読んで失禁した。

トーナメント概要と、きちんと期限内にエントリーされた作品紹介ページ(兼・闘技場)は以下!

以上です。

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ジョン久作
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