家人が時折、喫茶店のヘルプに伺うようになり、珈琲を憶えてきたようであるから、過日に便乗して私も教わりながら珈琲なるものを淹れてみた。湯を三回に分けて注ぐことで、苦みと酸味とそれから何であったか。何かが整えられるということである。茶の湯ならぬ珈琲の湯を愛でた休日の平凡な朝であった。
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