僕はラジオ人間
noteは自分の好きなものを書いて発信するというイメージを持っていたので、初投稿は僕の大好きなラジオの話にしようと決めていた。
しかしながら、最初の記事は自己紹介を書くのがnoteのスタンダードのようだ。では、自己紹介はどんなふうに書こうかと、自分の過去や現在を考えていると、僕を構成するほとんどはラジオだったことに気が付いた。
もちろん、ラジオだけで僕の人生のすべてが説明できるわけではないが、この記事では僕の小学生から現在までの人生に軽く触れながら、ラジオの話を書くことにする。noteでのスタンダードな自己紹介とは違ったものになるだろう。
長く継続している唯一の趣味がラジオだ。
noteも趣味になれば。と思って始めたが、趣味が続かないのが僕の性質なのだ。このnoteも続かないかもしれないし、続くかもしれない。
僕がこれから書く別の記事は、ラジオのことが多くなるとは思う。
その他、興味が湧いたこと、体験したこと、最近の起こったことに対する自分なりの知見、日記なども書くかもしれない。
noteはアカウントごとにテーマを絞って書いているような気がするのだが、恐らく僕が書く記事のジャンルは統一されないだろう。気が向いたときに書くつもりなので、投稿頻度が不定期であることだけは保証できる。
なお、この記事は曖昧な記憶を辿って書いているので、自分に起こった出来事、時系列、ラジオの放送内容などの正確な情報を保証するものではない。
小学生のラジオ
小学生の僕にとって、ラジオは車で聞くものだった。
ドライブ中はラジオを流す父親と、特に拘りがないので、父親が合わせた周波数のまま運転する母親のおかげで、いつも車の中はラジオパーソナリティの声と、音楽で溢れていた。平日の夕方に放送されるJ-WAVEのGROOVE LINEが曖昧な記憶の中で、番組名が唯一残っている。夕方、車に乗っていた頻度が高かったのかもしれない。
「ピストン西沢です」「秀島史香です」と順番に挨拶しているのを何回も聞いた記憶がある。秀島さんの声は、長い艶やかな髪の女性が、スラっとした黒いドレスを着ているような妖艶な雰囲気を感じさせる、本当に良く通る、ハキハキとした声だった。
なにかのコーナーで棒読みを始める秀島さんの声も、小学生ながらに「すごく良い」という感想を持っていた。
もちろんラジオなので顔は見られない。聞こえてくる声から、秀島さんは釈由美子さんのような容姿だと勝手に想像していたが、もう少し大きくなってから彼女の名前を調べて、全然違うことに衝撃を受けた。
この頃はとくにラジオが好きで聞いている、というわけではなかった。車に乗ると流れるもの。そういう認識でしかなかった。
この当時のテレビはめちゃイケが全盛期。数取り団で友達と遊んだ思い出があるから、この頃は熱心にテレビを見ていた気がする。
孤立した中学生はラジオと出会う
中学ではサッカー部に入ったが、部活仲間と上手く付き合えなかったのと、単純にサッカーが下手くそだったので、入部して一年弱、冬の時期に辞めた。
なんとなく部員から裏切者のような扱いを受け、それはクラス全体にも広がっていき、現在の認知件数で取る統計で言えば、虐めに相当するものが始まった。いつの間にか気軽に話せる人はいなくなった気がする。
なんとなく孤立して、学校に行くのが苦しい時期に突入した。一か月以上出席に穴をあけることはなかったものの、休んだり、登校したり、という繰り返しで、二年では半分くらい登校していなかったと思う。
二年のときだ。防災用のラジオを買い与えられた。
アンテナとライトが付いており、電池で使うこともできるが、手回し充電ができて、付属コードでガラパゴスケータイの充電ができるものだ、USBの差込口はない、録音もできない。手のひらサイズの小さなラジオだ。
枕元にラジオを置いて、眠る前に聞くようになった。Tokyofmで当時の担当、伊武雅刀のJET STREAMを聞きながら眠るというのが始まりだったような気がする。
家は谷のようなところにあり、電波の入りが悪く、FMで聞ける放送局は多くなかった。その内AMも聞けることに気が付いた
AMはFMと違って、周波数をどんなに正確に合わせてもこもったような音がするし、雑音が混じる。その代わり、音が聞こえる放送局は多かった。
父親がチャンネル権を握るテレビと違って、AMラジオでは自由にチャンネルを変えられるのが楽しかったのかもしれない。周波数を適当に変えると韓国語や、稀に英語も聞こえてくる。どこの局かもわからない電波をキャッチして聞くことを、僕は面白がっていた。
家ではニッポン放送が一番クリアに聞こえたので、自然とニッポン放送を聞くようになる。
東MAXがやっている生放送のラジオだった。もう番組名も覚えていないが、0時までの帯番組だったはずだ。
東MAXについてはテレビでたまに見る、大量の万札を持って笑いを取る芸人、というくらいの認識しかなかったが、ラジオを聞き始めると衝撃だった。ラジオから飛び交う下ネタ、万札芸人のイメージとはまったく違った。
特に覚えているのは、リスナーに抽選で生電話をかけ、電話に出られたらグッズかなにかをプレゼントをするというコーナーだ。一人だけ抽選で選ばれるのだが、ある日、女性リスナーに電話をかける回があった。
電話をかけると、出たのはリスナーの父親、怪訝そうな声で空気が緊張したが、何とか企画説明をして父親が納得。
「娘さんはいらっしゃいますか?」という質問に、父親は「今は風呂に入っています」との返答。
空気が変わるラジオ。その後まもなく女性リスナーが風呂から上がってきた。女性リスナーはまさか電話がかかってくるとは思わなかったそうで、可愛い声で少しだけ驚いていた。
東MAXのある質問に、女性リスナーはこう答えた。
「バスタオル一枚です」
布団から飛び上がる。日本中のリスナーが、ゴクリ、と唾を飲んで、そのやりとりを聞いている。その瞬間、僕はラジオとリスナーと一体だった。
東MAXは会話を重ね、プレゼントを贈ると発言。いつもはここで電話を切って終わるコーナーだったが、東MAXはこんなことを言った。
「胸の上を叩いて、音を聞かせて欲しい」
こんな要望が許されていいのか!
女性リスナーも満更でもない様子じゃないか!
グラビアアイドルでもない一般の女の子がそんなことをしていいのか!
やがて「いきますよ」と女の子は言った。一瞬だけ静寂が訪れる。
「ペチペチ」
僕は中学生。多感な時期にこんなにくだらなく、刺激的な音を食い入るように聞いたのを覚えている。ニッポン放送で毎日のように聞く、最初のラジオだった。
周囲が学校へ行こう、水10などのバラエティや、トレンドになっているドラマの話で盛り上がる中、僕はほとんどついていけなかった。
一抹の寂しさはあった。テレビを見ることでそれに混ざることもできたかもしれない。それでも、テレビを無理に見ようとは思わず、僕はラジオを聞いていた。この刺激的な世界は自分だけの秘密のような気がして、人に教える気にもならなかった。
ラジオが流れている時間だけは、僕は日本中のリスナーと同じ存在で、同じ時間を共有し、繋がっている気がしていたのだ。
東MAXの番組の直後に始まるラジオがミューコミという番組だった。
JET STREAMと同じ時間帯だったが、周波数をそのままに、ニッポン放送を流しているときがあった。
吉田尚記アナウンサーが、時にアーティスト、時に声優とアニメや漫画の話をする。ミュージックとコミックスでミューコミという番組だ。
まず音楽に触れた。
テレビで見ていたのはJ-POPが主だったと思う、バンドが出ていたとしても、超有名アーティストばかりだ。
ラジオから流れる音楽はそれではなかった。
覚えている限りでは、メジャーデビュー間もないBase Ball Bear、デビュー直前のONE OK ROCK、今やビッグバンドだ。フジファブリックやサカナクション、キャプテンストライダムなども出演していたような気がする。
僕はバンドサウンドに魅せられた。父親がギター好きというのもあり、家にあったギターを触り始める。
アニメにも触れる。
吉田尚記アナは生粋のオタクなのだが、決められた曜日には声優の田中理恵さんが出演していた。その曜日は漫画やアニメの話をしていて、声優など、アニメに関わるゲストも毎週のように呼んでいたような覚えがある。それにつられるように深夜アニメの世界を知ることになった。
おおきく振りかぶってという漫画がラジオで紹介され、アニメ化。主題歌を歌っていたのがBase Ball Bear。アニメも面白くて、Base Ball Bearのファンにもなった。完全にミューコミの影響だ。
僕はほどなくミューコミを主に聞くようになった。番組が終わるのは午前1時、毎日寝不足だった。
当時大流行りしていた涼宮ハルヒの憂鬱も、ミューコミを聞き始めなければ出会わなかったと思う。
深夜アニメの世界に片足を突っ込むと、アニメ好きと話が合い始めた。孤立していた僕にとっては、人と普通に話ができるだけで大きな出来事だった。
涼宮ハルヒの憂鬱、劇中歌のGod knowsの超有名リフをギターで練習したが、完全に弾けるほど上手くはなれなかった。それでも友人に聞かせると「すげえ」と言ってくれたのを覚えている。
僕がギターを弾ける、という噂が流れ始め、吹奏楽部のベースに誘われたり、ギターを弾けるようになりたいという同級生が家に来たりすることもあった。友人の輪が広がり、三年になる頃にはほとんど孤立することもなくなった。
テレビに出ていないバンド、深夜アニメ。思い返せばどちらもミューコミから得られたものだった。
高校から現在までのラジオ
当初市内の高校を目指していたのだが、結果的には少し遠くにある市外の高校を選んだ。同じ中学から僕の高校に入学した人は一人もいなかった。
入学して数日後には部活紹介の時間が設けられる。様々な部活が紹介されていたのだが、興味を惹かれる部活はなかった。
その日、下校する際に学校の階段を降りきると、軽音同好会と書かれた画用紙を胸に掲げている人がいた。思わず声をかける。他の部活の関係上同好会になっていること、活動内容などを聞いてから、少し迷って、スタジオ見学に行くことを決めた。初めてのスタジオは爆音で、耳を悪くしそうだな、と思った。
結局、軽音同好会に入ることになる。本格的にギターを始めた。バンドサウンドにハマっていく、ロキノン系に浸かる、ラジオにも露出しないマイナーバンドのCDを聞き始める。
二年の文化祭であのBase Ball Bearをギターボーカルで披露した。三年の頃には形だけではあったが代表にもなった。
高校は近しい価値観を持った人が多いと思う。孤立することもなかったし、同級生と話が合う。ラジオが好きな奴もいたし、音楽が好きな奴がいて、アニメが好きな奴もいた。
iPodを入手し、軽音同好会に入ったことで幅広く音楽を聴くようになって、ラジオから少し離れた時期だったが、まったく聞かないということはなく、やまだひさしのラジアンリミテッドを聞いて、ラジオ好きな友人と話したことも覚えている。
「お前それ聞いてるのか!」
という具合で、ニッチな趣味を共有するのは楽しかったし、嬉しかった。
友人はネタコーナーで
「夜なのに わしが見るのは あおいそら 友蔵、心の一句」
というちびまる子ちゃんをネタにした、くだらなく、しょうもない下品なネタがお気に入りだった。
楽しかった。
同好会、体育祭、文化祭、球技大会、修学旅行、勉強、単純な友人との遊興、彼女ができて、別れて。繊細な青い春をほぼ網羅している。
今でも高校の友人とは定期的に会っている。ついこの間、結婚式で弾き語りの余興をしたくらい仲の良い友人が多い。
大学は私立の理系に進んだ。教員免許を取得するため授業は普通の学生より多くなり、そもそも理系はレポートも勉強することも多い。
その上、理科教育のボランティア活動をする、変わったサークルにも入った。加えて塾講師のバイトも始めたので、小学校、中学、高校の勉強も同時並行、受験時より勉強していたと思う。
よく勉強し、よく遊んだ。とにかく暇がなかったので、ラジオから一番離れた時期かもしれない。それでも、気が向いたとき、勉強が深夜に差し掛かったときにはラジオを聞いていた。
サークルの仲間、同級生、アルバイト仲間と様々な趣味、価値観を持った友人ができた。遊び、勉強、サークル、アルバイトと忙しなく動いたが、その充実ぶりは凄まじく、高校とはベクトルの違う青春モラトリアムを謳歌していた。
最初に就いた職は深夜まで働く仕事で、仕事終わりにオールナイトニッポンをよく聞くようになった気がする。
結局、様々な要因があって転職するのだが、転職先は朝から仕事だったので深夜ラジオをリアルタイムで聞くことは少なくなった。それでも、帰宅時の電車内では、現在ピストン西沢が一人でパーソナリティを務めているGROOVE LINE を聞いていた。小学生のときに車で流れていたラジオが、未だに同じような時間に放送されていて、大人になった僕が聞いているというのはなんだか感慨深い。
ラジオが僕になかったら
ラジオを聞き始めなかったらどんな人生を辿っていただろうか。
中学のとき孤立から抜け出せただろうか、気軽に話せる友人ができただろうか。
高校に進学できていただろうか。高校に進学していたとして、ラジオも音楽も深夜アニメもギターも何もない状態で、友人ができていただろうか。
ラジオと出会わなければ、Base Ball Bearとも出会うこともなく、軽音同好会に入ることもなかった。バンドサウンドにどっぷり浸かり、マイナーなバンドを好きになって、文化祭で披露することもない。深夜アニメに出会うこともなく、アニメ好きの友人と話をすることもない。
もちろん、ラジオがすべてではないとは思う。しかしながら、あの多感で繊細な青い日々を過ごせたのは、充実した大学生活を送れたのは、間違いなくラジオのおかげでもあったと思う。
中学のとき、孤立する僕を救ってくれ、深夜ラジオの世界に導いてくれたミューコミは何度も名前が変わっていたが、最終的にはミューコミプラスとなっていて、今年の三月に終了した。
日曜深夜にまた名前を変え放送しているが、0時から1時まで平日に放送していたミューコミは終わってしまったのだ。メールもツイートも読まれた、思い入れのあるラジオが終わってしまうのは、寂しくもある。
僕のNOW ON AIR
現在も、僕はラジオと共にある。
ミューコミの時間帯に放送されているのは四月から放送されているオールナイトニッポンの新ブランド、オールナイトニッポンX(クロス)だ。
特に水曜日を担当するフワちゃんのオールナイトニッポンXは革新的な面白さがある。
「予測不能の4次元ラジオ」と銘打っているこのラジオはまさにその通りで、今までのラジオ番組における常識を打ち破っていく。
ラジオリスナー歴が長い僕にとっては、あり得ないことが起こる放送が面白過ぎるのだ。
オールナイトニッポンは午前1時から3時までの2時間番組だ。
深い時間なのでリアルタイムですべての曜日を聞くわけではないのだが、金曜日を担当している霜降り明星のオールナイトニッポンは、ほぼ毎週リアルタイムで聞いている。
彼らと同世代というのもあってだとは思うが、トークもネタメールもとにかく面白い。フワちゃんのラジオが革新的なラジオというならば、深夜ラジオの王道的な面白さがある。現在、僕が最も面白いと思っている深夜ラジオだ。
ラジオを通して霜降り明星のファンになり、人生で初めて芸人に深く興味を持ち始めた。お笑い番組を見る機会が増え、様々な芸人のことを知るようになった。霜降りが出ているテレビ番組もすべてではないが、それなりの頻度で見るようになった。
それでも、僕は芸人というよりはラジオパーソナリティとしての二人が好きなのだ。
テレビ番組でウケていたらファンとして嬉しいのはもちろんある。ただ、目も当てられないくらい滑っていても、二人にとってはたまったものじゃないだろうが、その裏側を話すラジオも本当に面白い。
薄情なのかもしれないが、僕にとってはウケたとしても、滑ったとしても、ラジオが面白ければそれでいいのだ。
この二つのラジオは、そのうち個別で記事にしたいと思っている。
お気付きだと思うが、ニッポン放送が僕の主戦場である。
しかし、僕は無類のラジオ好きだ。ニッポン放送だけではなく、違う局だって聞いている。
鬼越トマホーク曰く「何をやっているかわからない」という文化放送は、アニメなどのサブカルに特化していて、もちろん芸人ラジオもあるのだが、ゴールデンタイムのパーソナリティは、ほとんどが声優だ。
今は歳を取ってしまって、アニメや漫画を見ることは少なくなっているのだが、笑いを届ける番組が多い中、いくつかの声優ラジオは癒しを届けるという要素があると思う。心身ともに疲れていて、笑う気にもなれないときには、声優ラジオを聞くことも稀にある。
FMではJ-WAVEを聞くことが多い。
お洒落な音楽、トレンド、ニュース、特に地域に根付いたニュースが聞けるのはFMラジオの魅力だと思っている。
FMラジオは身を入れて聞くのではなく、聞き流すのがちょうどいい。お洒落な音楽やイージーリスニング、時折ニュースを聞いて、パーソナリティの声に耳を傾けながら、書き物をしたり、読書をしたりするのが僕の聞き方だ。
主戦場のニッポン放送では芸人だけではなく、オールナイトニッポンで言えば菅田将暉、星野源、乃木坂46も聞いている。
菅田将暉が主演した「コントが始まる」を見たのもラジオきっかけだし、星野源の「くだらないの中に」は弾き語りができるくらいには好きだ。乃木坂46は友人に誘われライブに行ったこともある。
結局、音楽やミュージシャン、アニメ、芸人、俳優もアイドルも、ラジオから入っている。
ラジオ人間
今もテレビよりラジオが好きだ。
radikoは便利過ぎる。
スマホやパソコンがあれば無料で聞くことができるし、周波数を合わせる必要もなく、電波が入りにくい放送局だろうが、雑音もなくクリアに聞ける。タイムフリー機能で一週間以内ならいつでも聞けて、深夜ラジオを聞くために夜更かしをする必要もなくなった。
そんなradikoの欠点をあえて挙げるならば、リアルタイムで聞いていると少しだけタイムラグが発生するところだ。
僕は、中学生のときにリアルタイムで聞いていたラジオで、リスナーと一体感を覚えたあの感覚を味わいたくなるときがある。
質の悪いスピーカーから流れる「ザザザ」という砂嵐のような雑音と、パーソナリティのこもった声が交じり合った、あの音が恋しくなるときがある。
そんなときは今も役割をはたしてくれる災害用ラジオで周波数を合わせ、雑音と共に聞いている。
気軽に話せる友人がいなくなったときも、学校に行くことが苦しいときも、青春を謳歌したときも、彼女と別れたときも、転職に不安を抱えているときも、ラジオだけはいつも傍にいてくれた。
ラジオは心地よい時間を彩ってくれる。情報を運んでくれる、癒してくれる、楽しませてくれる、笑わせてくれる。
パーソナリティの言葉に、僕自身の価値観が変わっていく。流れる音楽で心は踊り、僕の嗜好は広がっていく。
たまに思うことがある。
ラジオから流れる音は僕の細胞を作り出し、身体を形成する一部になって、それはやがて全身に染みわたって、人間の形を形成していく。
僕の身体はラジオそのものでできている、ラジオ人間。