君はいた方がいいよ
【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023】
昨年からの念願が叶った。2023.8.11~12の2日間参戦することができた。
上記記事の友人O、友人Mとラジオ人間Kのアラサー男3人での参戦だ。
様々な感想はあるから全体の感想もどこかで書くかもしれないけれど、あの情景が浮かぶうちに、この感動が醒めてしまわぬうちに、どうにか文章に起こしたいと思っている。
音楽で泣いた経験は数あれど、Base Ball Bearとサンボマスターはどちらとも初めての感覚で泣いた気がする。
Base Ball Bearは自己紹介記事でも書いたけれど、ギターを本格的に始めたきっかけでもあり、自分の音楽嗜好はここから始まったと言っても過言ではない。
自分を構成する要素として大きすぎる、あまりにも青春すぎるバンドだ。
間近で三人を見て、自分のこれまでの人生とか、彼らの武道館ライブでの思い出とか、色んなことを思い返して2、3曲目に披露してくれた「short hair」のサビで涙が出た。
このバンドで泣いた理由を語るのは人生すぎる。
自分がいつか自叙伝とか書くくらい有名になったら書くかもしれない。というわけだから、未来永劫書き起こすつもりはない。
12日のサンボマスターでも涙が出た。
初めて「泣きすぎて歌えない」という経験をした。音楽に感動して涙を流すときは、いつだって声は出ていた。嬉しくて声も乗るくらいだ。
ところが、サンボマスターのライブは違った。みんなで歌うときにまったく音程が取れなくなった。
これからサンボマスターのライブで泣いた記事を書く。
本当に恥ずかしい。けれど、そんな恥なんてどうでもよいことも、サンボマスターは教えてくれたと思う。
今この瞬間だ。僕は感謝を残しておきたかった。
【サンボマスターのライブ】
かなり幸運だったと思うんだけれど、前方入れ替えエリア、つまり最前席の入場券が2日間で三枚当たっていた。
11日はTHE BACK HORN。
12日はサンボマスターとあいみょんというエグさである。
11日のTHE BACK HORNはヤバかった。
セットリストもめちゃくちゃ好みだった。
コバルトブルーなんかもう前奏からもう語彙力がなくなり、隣のOともみくちゃになりながら「ヤバい、ヤバいのきちゃうぞ!」というIQ0の言葉を発し合い、そこから例のイントロである。
基本的に歌うのはマナー違反だけど、もう意識しないと抑えることができなかった。申し訳ないのだけれど、サビ付近では部分部分で叫んでしまった気がする。正直。でもあの空気。多分ある程度はみんな歌っていたし、歌っていいと思うんだ。マイクを向けられたら言わずもがな。
そんなわけで、楽しいライブ、感情の最高潮だった。格好いい音楽を浴びるというのはどうしてこんなにも爽快なのか。
死ぬほど不快な太陽の光と暑さも、その瞬間はどうでもよくなってしまうくらいの音楽の熱量に圧倒される。
しばらく余韻に浸りたかったけれど、OがWANIMA好きで結局そのままグラスステージへ移動した。その後RADWIMPSもしっかり見た。
けれど、この日はTHE BACK HORNだった。最前で見られたというのも、もちろんあるだろうけど、間違いなかった。
世代とはいえ、この格好良さをこのステージで収めてしまうのはもったいないという話を友人とする。たしかにメインでガッツリ見たいバンドだ。
若い世代にはイントロのない曲が時流らしいけど、コバルトブルーのイントロに関しては絶対関係ないだろ。
さて、12日のサンボマスターも最初はそんな感じだった。
セットリストが公式のHPに落ちていたので、参考までに引用しておく。
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」までは、テンションとか、会場の盛り上がりとか、感情の高ぶりがTHE BACK HORNと同じ種類のものだった。いや、まったく違うのだけれど。
この表現だと誤解を招くかもしれないが、どちらも簡素に言えば「楽しい」感情が先行するライブのように思う。
下手に比喩はしない。
最高である。
全員優勝コールも楽しすぎた。
もうどこまで俺たちを高ぶらせてくれるのか「興奮のるつぼ」だ。
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」なんて、もうちゃんと覚えていないくらいに興奮していたと思う。楽しくて仕方がなかった。
ところが、自分は初めてのモードに入っていく。
新曲だ。
「Future is Yours」である。
なんとなくラジオで一回聞いた気がするくらいで、ほとんど初めて聞く感じだった。
これがとんでもなくいい曲、というか自分にぶっ刺さりまくり曲だった。
とくにこの部分が駄目だった。
涙腺が仕事をしない。ただでさえ汗で流れていくのに、貴重な水分と塩分を更に流していく。
曲中か曲前か忘れたけれど、山口さんのこんな言葉たちもあって、もう涙が止まらないのだ。
「未来は君のもの」なんて良い言葉だけれど、シンプル過ぎて出尽くしているだろう。
けれど、この言葉たちがちゃんとリスナー、客に届くかどうかは別だ。
歌というか、もう語りと合わせて、山口隆(青年期からの愛とリスペクトを込めて、ここでは一度呼び捨てで呼ばせてほしい)がみんな、いや僕に語り掛けて、届けてくれるのである。
この流れで「できっこないをやらなくちゃ」
もう駄目だった。
この直後、みんなで合唱するはずのところ「諦めないでどんなときも、君ならできるんだどんなことも」が歌えないのである。
「あきらめ……」と歌い出して、音程が上手く取れず、もうまともに歌えないことを悟り、顔をタオルで覆い、顔を伏せてしまった。
感謝の気持ちで涙を流し、感極まり、嗚咽になって歌えないのだ。
隣の友人Oがそんな僕を見て、爆笑しながら肩を抱いてくれたのがありがたかった。
その後もずっと山口さんは僕に言うのである。
その包容力と肯定にまた泣くのだ。
それでも僕は泣かないよう笑顔を作るのだ。そのうち、本当に自然に口角は上がっていた。僕は泣きながら笑っていた。
なんて多幸感なのだろう。
僕はずっと泣きながら笑うという稀有な経験をし続けた。
ラストの花束も本当にいい曲だった。
僕たちは花のように咲き誇る人だった。流れが完璧だった。
目に温度を感じてはいたけれど、僕はもう笑っていた。
最高だ。全員優勝だった。
サンボマスターには楽しさで満たすライブを基本的には期待していた。
それ以上を期待していないと言うか、絶対にその期待以上を返してくれるから大満足するはずだった。
けれど、僕はとんでもない高揚と多幸感で満たされてライブを終えることになった。
大満足とかそう言うレベルじゃない。これからずっと生きていく活力をもらった気がする。
本当にありがとう、ただそれだけだった。
【君はいた方がいいよ】
サンボマスターで好きな曲は? と問われれば、きっと三者三様の答えが返ってくるだろう。
一気に名前を世に知らしめた「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」
「できっこないをやらなくちゃ」
ファンの中で評価の高い(気がする)自分も個人的に好きな「そのぬくもりに用がある」
「光のロック」「青春狂騒曲」一転バラード「ラブソング」そしてサンボマスター名義ではないが「I love you & I need you ふくしま」だってライブ映像をどこかで見てボロボロ泣けた。
挙げていけばキリがないだろう。
結局自分も一番なんて到底決められないのだけれど、好きな曲の中に「I Love You」という曲がある。
いつ頃だったかは定かでない、けれどその曲がラジオから流れているのを聞いて知り、聞き込んで好きになったような気がする。
電車男は毎週見ていたのもあって、既にサンボマスターは好きなバンドだった。
どういうラジオ番組かは覚えていないのだけれど「山口が初めて歌詞を真剣に書いた」とゲストの有識者っぽい男性が語っていたのをセットで覚えている。
今はその言葉に対しても懐疑的だし、あまりにも記憶が前のことすぎて正確性は定かではないけれど、当時は素直にそれを「そうなんだ」と思って、ipodに音源を入れて聞きまくり、熱心にその歌詞に耳を傾けていた。
その中で、一際印象に残る歌詞があった。
二番最初でわざわざ楽器を止めて歌う、もう一つはラスサビ前のところだ。
印象に残るのも自然だとは思う。この言葉の肯定感に今回も救われることになった。
今の認知件数で言えばいじめに相当するものに遭っていた。
自己紹介の記事で少しだけ記載はしたけれど、詳細はそんなに語るつもりはない。
YouTubeとかで「紙 虐め」で検索すれば出て来る動画がある。
教育の動画として、保護者が折り目のない綺麗な紙を持って来て「この紙に悪口を言いなさい」と子どもに言う。
子どもがそれに従って悪口を言うと保護者は紙をくしゃくしゃにする。次に「この紙に謝りなさい」と指示して子どもが謝る。
そして保護者は謝罪の言葉を受けて紙を広げ直して問うのだ。
「この紙は元通りになった?」子どもは「NO」と言う。だから悪口は言ってはいけない。というのである。
この動画は虐めというものをよーく再現していると思う。
酷いことをされたり、酷い言葉を投げかけられた人の傷というのは基本的には元にもどらない。
紙を広げ直しても、そもそもくしゃくしゃだし、仮にピンと戻れたとしても形状記憶をしたせいで、簡単に折れやすくなってしまう。普通では気にしない言葉や言動でも感じやすくなってしまうというか。
それが実感としてある人とない人で、多分色んな物事の感じ方は変わってくる。
そのくらい小さな、一時的ないじめだとしてもそういうことが起こる。
何か落ち込んでいるときに「私なんてこの世界にとっていらないもの」「自分が消えても何もない」「自分一人くらい何も問題はない」「社会は、世界は一人くらいいなくても問題なく回る」「だから消えていい」「ああ、死にたい」「消えたい」ふと、そういうことを思ってしまうのだ。
「でも怖くて死にきれない」
「なんでこんな弱くて無価値な死体のような人間が
まだ生きているのだろう?」
僕は素人が音楽を考察や評価してネット上に掲載するのは基本的には無粋だと思っている。
受け取ったものを、そのまま自分の感じたことを、自分だけで受け止めて消化すればよいと基本的には思っているからだ。でも映画とか小説は考察したいし公開したい。
でもきっと、「I Love You」は異性に歌うようなラブソングではないだろう。
生きづらさや、辛さを抱える人たちに歌ってくれている。
とても大きな愛を、歌っているのだと思う。
サンボマスターをずっと追っていたわけではないからわからないけれど、この「君はいた方がいいよ」という歌詞は多分ここが初出じゃないだろうか。それ以降はちょくちょく登場しているような気がするけれど。
前述の通り、新曲「Future is Yours」でも「君はいた方がいいよ」とガッツリ繰り返している。
自分は言葉に敏感でない自覚があるけれど、「君はいた方がいいよ」という言葉がどれだけ優しい言葉かはなんとなく分かる。
例えば
「支えてやるから」
「死ぬな」
「君がいないと寂しい」
「死んじゃダメだ」
「生きてりゃ、いつかきっといいことがある」
どれも励ましの言葉で、それで勇気づけられるシーンもきっとあるはずだと思う。
けれど「君はいた方がいい」という言葉はとことん寄り添ってくれているように感じる。
強要しない、ただ「君はいた方がいいよ」と言ってくれる。何もなくても、何もせずとも、君はいるだけでいい。どこまでも優しい歌詞、言葉だと思うのだ。
【生きる】
正直、初めてのフェスは過酷すぎた。
暑すぎるし日焼けというかマジの火傷だし、人間が外へ出てはいけない環境でありながらずっと外にいるし、めっちゃ歩くし、物価はえげつない高いし、大きいステージ、特にトリとかのステージはかなり人ごみで苦しいし、実物はよく見えないし。
なんなら暑さでイラついて疲れていたのか、二日目の夕方くらいからコミュニケーションが上手く取れずにMと若干ピリついた。
喧嘩まではいってなかったと自分は思っているが、自分が意地を張ってしまう場面もあって、すまなかったなと思う。
みんなへのアドバイスとして、フェス会場では大きな声でコミュニケーションを取り、確認を全員に逐一した方がよいと思うよ。
話を戻す。
それでも、あんなに勇気をくれるなら。また生きようと思う活力をくれるなら。生きる希望をくれるなら。こんな有意義なお金と時間の使い方はないと思った。
昔、僕は本当に未来が何も見えなかった。道は目の前で閉ざされていて、一寸先は闇、というか崖だった。
歩く先に何もないと思っていた。希望が何も見いだせなかった。
今だって、先の道が明確に見えているとは言えないかもしれない。
ときには孤独や不安に押しつぶされ、希望のない、消えてしまいたい夜があるかもしれない。
それでも。
悲しいときや苦しいときに、あの日の言葉を思い出してまた生きようと思う。
根拠はないけれど、今はなぜか、幸せになれる気がする。
本当にありがとうサンボマスター。
生きててよかった。