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ラジオは音声メディアのはずだ

ラジオは音声メディアだ。ほぼ常時生放送のメディアだ。音声だけなので情報量は少なく、電波に乗っけることも容易だった。

映像だと容易ではないはずだった。
テレビくらいでしか映像媒体の生放送なんてなかった。高速通信、ストリーミング再生が可能になった現在は映像でもライブ配信が容易になり、ネット上で個人発信の生放送をすることも可能になった。

それにつられるように、ラジオも動き出していた。
僕は有識者ではないので、開祖はどの番組か、いつから始まったのかは知らない。

気が付いたときには、僕がよく聞くオールナイトニッポン二部の放送はLINE LIVEで映像付きの配信を行っていた。
現在はミックスチャンネルで映像と一緒にラジオブースの様子を見ることができる。それに加えて、ライブ配信ではアフタートークなるものも存在し、ラジオでの放送が終わったあとにおまけの動画が見られる。
今年の4月に開始したオールナイトニッポンクロスでも冒頭で毎回「スマホに特化したバーティカルシアターアプリスマッシュで映像付きでラジオを楽しむことができます」と宣伝している。
オールナイトニッポン一部では基本的に映像はないのだが、水曜日を担当している乃木坂46のオールナイトニッポンはSHOW ROOMのライブ映像付きで見られる。
何もニッポン放送だけではない。J-WAVEのGLOOVE LINEでも、ピストン西沢がYouTubeでDJの様子を配信しているときもあった。
主に声優がパーソナリティを担当する、文化放送のインターネット放送「超a&g+」では映像付きのラジオが多く存在する。なんなら映像がない放送でも、聴こうとすると超a&g+のロゴマークが常時動いている画面が表示される。
きっと僕が知らない番組でも、映像付きのラジオは存在しているのだろう。


もうテレビと言っても相違ない。

現にフワちゃんのオールナイトニッポンクロスではスマッシュの宣伝中に「ラジオなのに映像付きで楽しめるほぼテレビとなっております」という文言で始まる。

防災用のラジオで、FMを聴くときにはアンテナを伸ばし、電波を拾って聞いていた昔を思い出してみると、本当に信じられないことだ。利発な人はこの展開を予想していたのだろうが、平凡な僕には考えもつかなかった。

技術の進歩。放送中にパーソナリティの姿も見られるというのは嬉しいし、面白いのかもしれない。
霜降り明星のオールナイトニッポン0が終了し、オールナイトニッポンに移動することが発表されたとき、ツイッターには「ミックスチャンネルが終わるのは寂しい」という声が散見された。
ラジオを聴くのではなく、映像付きの放送を見るというのがスタンダード、常識になって、その映像を見られないのが悲しいというリスナーが現れるところまで、ラジオは進んでしまった。


何も僕は昔からアンテナ伸ばして電波を拾って聞く時代からラジオを愛していたのに「何が映像付きだ」と映像付きのラジオを批判したいわけではない。
と、ここまですらすらと書けたので、潜在意識ではそんなことを思っているのかもしれない。そうだとしたら我ながら老化したなとは思う。

話を戻そう。とりあえず、批判したいわけではないとは上記の通りだが、僕には思うところがある。
ラジオというのは音声のみのメディアだったはずで、だからこそできることがあると思う。映像が付くというのは、ラジオの強みの一つを消してしまうように思うのだ。


現在のラジオとテレビは何が違うのだろう。

生放送という点ではきっとテレビもラジオも映像付きで放送できる。ただ、恐らく映像付きラジオの画質は、テレビには劣っているのだろうと予想する。

カメラの数だろうか?
ラジオでは多くないと思われる。パーソナリティ分を映すカメラだけしか用意できない、と言うよりそれ以上用意する必要がない。テレビでは常に数台用意、定点カメラはもちろん、カメラマンがその都度、面白いカットや見栄えするカットを抜いていく。
ただ、数に関してはテレビと遜色ないときもある。直近では、ぺこぱのオールナイトニッポンクロス。
地下芸人を集めた回で、放送作家が凄いセットを組んでいる様子をツイッターに上げていた。しかしながら、これは特別回であって常時この台数を確保できるわけではないと思う。

出演者やお客さんの存在だろうか?
たしかにラジオの出演者は基本的にパーソナリティのみだ、多くても四人くらいだろう。テレビで四人というのは少ない方ではないだろうか。ネタ番組ならコロナ対策をしつつお客さんも入れる。ラジオにいたっては観覧する人は存在しない。
ただ、三四郎と霜降り明星のオールナイトニッポンをぶち抜き四時間やったときには、それぞれの番組のリスナーが集まって大喜利やらを行っていた記憶がある。
このときリスナーをカメラに映したかどうかはわからないが、やはり特別回でしかできないことだ。

と、ここまで書いていくと、ラジオはテレビに予算で負けてしまうのだ。映像付きラジオというのは、基本的にテレビより劣ったものになっているように思う。


つらつらと書いてきたが、要するに僕が言いたいのは“ラジオは音声メディアであるべきではないか”ということだ。

直近のスペシャルウィーク。オールナイトニッポンブランドはクロスも一部も二部も、総じてゲストを呼んで聴取率を取りに躍起になっていた。

先述したぺこぱのオールナイトニッポンクロスでは、6名のゲストを呼んで漫才やらトークやらをしていた。僕はリアルタイムで聞いていた。
ぺこぱが肯定漫才でないものをしている。虹の黄昏が暴走している。ウエストランドがかつての漫才衣装で、自らの容姿イジリをしている。スルメはわけがわからないことを終始言っている。

フワちゃんのオールナイトニッポンクロスでは、朝日奈央と青山テルマがゲスト。
初っ端から物真似でスタート、誰が誰だかわからなかったが、聞いていくうちにわかってくる。曲がかかったと思ったら、三人で歌って踊り出す、フワちゃんのトークの中で一番冷静だと思っていた朝日奈央が一番身体張って踊り出す、カメラに背を向け踊る、踊る。
それを見て爆笑するフワちゃんと青山テルマ。毎回ぶっ飛んでいるが、相変わらずのトンデモ回だった。

僕はその二つの番組をradikoで聞いていた。音声のみで充分に面白かった。

いつも僕が聞いている番組のスペシャルウィークで、一見音声のみだと成立しなそうなのはナインティナインのオールナイトニッポン、三四郎のオールナイトニッポン0、オードリーのオールナイトニッポンだろうか。

まず、ナイナイの天下気合一武闘会。
ゲストには森脇健司がリモートゲスト、ブースにはニューヨーク、アイデンティティ。それにナインティナインが加わって、トーナメント方式で闘って優勝を決めるのだが、まず放送が始まっても何をするのか誰もわからないという状況で放送が開始した。

たしか最初が森脇健司だったはずだ。シャドーボクシングを画面の向こうでしていたようだ。次はニューヨークのターン、空手をやっているらしい、激しい衣擦れの音が聞こえる。
理由は分からないが勝者ニューヨーク。

次はアイデンティティ。こちらも空手、そしてかめはめ波。次にナインティナイン。こちらも空手、しかし“型”らしい。空手はここ最近、ラジオ内でずっと話題に上がっていたが、結局何が違うんだかよくわからない。
理由はわからないが勝者ナインティナイン。

決勝戦はどっちも空手。理由はわからないが勝者ニューヨーク。
ウイニングランならぬ、ウイニングショートコント「ハプニングバー」を披露してスペシャルウィークは終了。

ざっと書いてみたが、結局何がしたいんだかわからない。
何を基準に勝者を決めているのかもわからないし、何をしているのか少しわかるようで、まったくわからないような、そんなカオスな放送になっていた。
ナインティナインのオールナイトニッポンスペシャルウィークはほとんど茶番なので、ただニューヨークに「ハプニングバー」を披露させるための展開は予想の範囲内だ。様々な楽しみ方はあると思うが、この結末に至るまでの過程を楽しむのが僕の聞き方だ。

次はオードリーのオールナイトニッポン。こちらはコットンがゲスト。
トークは音声のみで問題なかった。とにかくなんでもできると自負している西村とオードリーとのやりとりは軽妙で面白かった。
その後は終盤のコーナーパートに入る。どちらが先だったかは忘れたのだが、アドリブ原稿読み勝負と、春日との身体を張った勝負があった。

とりあえず、原稿読みの勝負は現役アナウンサーの飯田浩司と元アナウンサー西村の勝負だった。まずニュースの題名だけ伝えられて、そこから原稿なし、アドリブで一分間繋ぐというものだ。勝敗は忘れたが、そのニュースの伝え方の「ありそう」感が凄くて面白かったのを覚えている。これは音声だけで問題ない。

問題は春日との勝負。
おおよその内容はこうだ。二人とも裸になり、ハーモニカを咥え、ボールを投げ合って身体にぶつけ、ハーモニカの音を出してしまった方が負け。
こんなもの映像がないと成立しない。それでも、僕は「ベチッ」とボールが身体に当たって鳴る音や、若林の実況。それら音声に耳を傾けてブースの様子を想像した。結果的に春日がハーモニカの音を出してしまい、西村の勝利だったと思う。

コットンゲスト回は上半身だけ裸のゲームだったと思うのだが、通常回のオードリーのオールナイトニッポンでは全裸になることもあり、もう映像じゃとても放送できないものを、なんなら音声でも際どいものをやっている。

僕が直近で思い出せる限りでも霜降り明星のオールナイトニッポンで、思いっきりせいやが陰部を出した回が放送された。テレビの生放送でやったら大問題、笑福亭鶴瓶師匠の再来だ。
いや、彼は実際画面越しに出してしまったこともあるのだが。

オールナイトニッポンには水曜日を除いて映像がない。映像なしに、想像で楽しむしかない。考えてみると、テレビでやったら大問題なことをできるラジオの良さはそこにある気がするのだ。

自己紹介の記事でも触れたのだが、僕が最初にラジオを認識したのはJ-WAVEのGLOOVE LINEだった。ピストン西沢と秀島史香の顔は知らなかった。僕は想像でその二人の顔を作り上げていた。
どうも最近は情報過多で困る、想像の余地がない。パーソナリティの顔もradikoで聞こうとすると、しっかり顔写真が貼ってあるわけだ。

想像するのはなんとなく脳に良い気がするとか、そういう根拠のない話をしたいわけではない。
僕が音声のみで聞くことが良いと思う理由はそこではなく、リスナーの想像に任せることで、テレビでは絶対できないことで楽しめるという点だ。

実際僕はこの想像すること自体に楽しみを感じていたのだと今になって思う。
中学生のとき、僕にとって刺激的な話題が質の悪いスピーカーから流れた瞬間、食い入るように耳を澄まして、想像を膨らませていたあの感覚は未だに思い出せる。
映像付きのラジオというのは、そのリスナーの想像に任せて、テレビでは不可能なことをする、音声のみという強みを消してしまう

たしかマヂカルラブリーが木曜二部を担当した最初のスペシャルウィークだったと思うのだが、マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0の野田ゲー回を聞いた。
実況にフリーのアナウンサーを呼んだのだが、この人の実況が的確すぎてまず面白いのと、デッカチャンのブロック崩しというゲームで安置を見つけてしまった村上の図を実況するアナウンサーと、それに対する野田クリスタルの反応が面白過ぎた。僕は完全に音声だけで笑っていた。

そんなわけで、想像だけで面白い。
繰り返すようだが、音声だけで楽しませてくれるのはラジオの強み。音声だけというのが、ラジオの本質だとも思うのだ。


こんなことを書いてきた反面、時代に順応しつつある自分もいる。

実際、マヂカルラブリー野田ゲー回は映像があればそれはそれで面白かったと思う。ゲーム実況は本来ならば画面を見なければ何もわからない、成立しない。映像付きで見ればよかったな、という微量の後悔がある。

また、ハガキ職人が集結した霜降り明星のオールナイトニッポン0最終回は、リスナーの顔見たさにミックスチャンネルで視聴した。僕の同年代から少し下くらいの人たちが聞いているんだな、と思ったし、ハガキ職人たちはやっぱりユーモアに富んだ人が多かった。
感想はそんな具合だ。別にリスナーの顔を見なくてもよいわけで、この回は映像がなくてもよかったとは思うけれど、ポケットいっぱいの秘密のコーナーはあんな風にやっているんだ、と分かったのはよかったかもしれない。

この前の三四郎のオールナイトニッポン0はスペシャルウィークにきんに君回を持って来た。何も生まれない二時間、聞く地獄。
一部時代は音声のみだった。今年は前情報できんに君が一度出演を断ったという事実があり、それと因果関係があるかどうかは分からないがとにかく怖くなって、ミックスチャンネルで見ることにした。
映像付きだろうが地獄だった。

上記以外にも映像付きのラジオを見た覚えはある、僕がここまで書いていることと矛盾した行動をしている。

僕は「昔はよかった」と懐古するだけして、流れゆく時代に文句を言うだけのロートルなのかもしれない。
僕がしっかり時代に順応できるのならば、そのうちラジオは映像で楽しむものだ、という認識に変わっていくのかもしれない。


今のところ、僕は音声メディアとしてのラジオが好きなのだと思う。今は電波を拾わないにしろ、radikoを使って音声のみの放送を楽しんでいる。ミックスチャンネルでアフタートークを追っていたときもあったが、基本的に見なくなっていった。

この記事の正しいタイトルは「ラジオは音声メディアから進化する」なのかもしれないけれど、しばらく僕はこのまま、音声メディアとしてラジオを楽しむつもりだ。


今日もラジオは流れてくれる。

あぁ、そういえば、音声のみで流れるラジオの分かりやすい強みを忘れていた。
ラジオは視覚を必要としないから、何か作業しながらでも聞くことができるのだ。昼下がり、FMラジオでもかけることにしようか。

心地よいパーソナリティの声、気になる話題は傾聴して、お洒落な音楽には身を委ねようと思う。


※上記芸能人の方々は敬称略だったり、敬称付きだったり。

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