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救うべくは子ども 守るべくも子ども


2017年4月17日、自分の33歳の誕生日の数日前だったその日は忘れられない。


深夜の大学病院で主任教授に、「お子さん、腎臓を片方摘出しなければいけないかもしれない」と突然言われ、世界が暗転した。

私の他に付き添っていた夫や私の両親は絶句して言葉もないなか、
「何とかならないのか」「他の方法で救えないのか」「臓器とるなんてやめてほしい」
1人で必死に食い下がった。


だって、冗談じゃない。なんで私の子なの。どうして、くそったれがたくさんいる中で、どうしてどうしてこれから未来を生きていく子どもが、こんな目に遭うの。まだ1歳なんだ。どうしてよ。


その時、自分の足元には、この世にある暗闇が広がって見えて、
一歩足を踏み外せば、二度と戻って来られない、そういう場所に今自分は立っているんだなと混乱して発狂しそうな気持ちの片隅で、冷静にそんなことを考えていた。



息子は、たくさんの奇跡が重なって、腎臓をとらずにすんだ。
今も定期的に大学病院には通っているが、電車が大好きな子鉄に成長し、元気に幼稚園に通っている。


あの時から、ずっとずっと許せないでいることがある。
理由や法則はないんだろうが、不条理に理不尽に、子どもを傷つけるこの世界の何かに対して。
子どもはやめてよ。子どもだけは、傷つけたり、追い詰めたり、人生を生きていく上での枷をかけたり、重荷を背負わせたりしないでよ。ふざけるなよ、神様。



小児科病棟に入院のケアで通っていたとき、
そこには息子とは比べものにならないほど重篤で、
これからこの子たち、どうやって生きていくの、いや、生きていけるの?
と思う子どもたちがたくさん入院していた。
日々、そうした光景を目の当たりにする度、少しずつ怒りの感情が積み重なり、
ある気持ちが芽生えてきた。


私は、医療従事者として、子どもたちを専門的にケアしたり救うことは出来ないけれど、
息子はじめ、すべての子どもたちが生きやすい社会を、生涯をかけてつくろう。
子どもたちが暗闇に落ちてしまわないように、私の意志に共感してくれる仲間達と力を合わせて、子どもたちを守り育てられる場所をつくろう。



起業を思い立った最初の気持ちだ。


つづく


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