【代表理事の独り言】本家と分家での血縁的な子育て環境の価値を見つめなおす
弟が当主を務めている私の父方の実家は、隣組や本家・分家の関わり等の昭和初期の概念が色濃く残っている家(とはいえ父親の代でかなり薄くなってはいるが)。そして本家にあたるので、正月には色々な地域の人達が集まってくる。
ただコロナもあり一度中断した事と、更に父親が亡くなって弟が当主になった2年前からは、親戚が中心に集まるだけの会になっている。でも、親戚が集まって話すだけでも面白い。
おばあちゃんが我が子の話のように、親族達の幼少期の話をする。そして、皆でその話を思い出しながら、笑いが起こる。
親族の人達が子どもの頃の、私のじいちゃんや父親の若い時の昔話を沢山してくれる。私達も知らない事ばかりで、話を聞きながら、じいちゃんや父親の見え方が変わる。話している親族の人達も自分自身の親や兄弟の事のように嬉しそうに懐かしみながら話す。
そんな話を聞きながら、血縁的な地域の繋がりの中で、皆で力を合わせて子育てをしていた心地よさを感じた。当たり前な事として、大人達は子ども達を育て合い、子ども達も子ども同士で育て合い、その中で皆が育ちあう場がそこにはあった。
今から昔みたいな血縁的な子育て環境を構築しなおすのは難しいかもしれないけど、「皆で育て合う・育ちあう」ような、かつての血縁的な子育てコミュニティの良い要素を入れた子育てコミュニティは作れるはず!
弊社はそのような、古いけど新しい子育てコミュニティのあり方を追いかけていきたいと思った今日この頃でした。