八月六日という日を思う ーその1ー
暑いけれど、夜エアコンなしでも寝られるのはうれしい。同じ気温でも、湿度が50%ぐらいしかないと、エアコンがいらないけど、70%近いと耐えられないことや…暑さに段々慣れていくのか、31度でも今日は涼しいと寝られ、昨夜の28度なんか、もはや快適ですらあった。
蝉が泣き、暑さにぼやき、空を見上げ、いつもの日常のはずが、数分後、数秒後に、自分に何が起きるかもわからずに、その時を、身に受けざるをえない状況を作った責任は国として重い。
木曜、金曜と映画館へ行った。
『教育と愛国』
監督 斉加尚代
製作:映画『教育と愛国』製作委員会
『教育と愛国』HP
2017年にMBSで放送された『映像❜17教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~』
テレビが通常生活にない我が家は、それを拝見はしていないが、話題では知っていた。その後、2017年度にギャラクシー賞・大賞を受賞。
2019年に『教育と愛国』をまとめたものを書籍化。
『映像~』の番組内容(大阪の国歌斉唱・沖縄基地問題など)と、取材内容を一冊にまとめたものが今年4月に刊行。
先の『教育と愛国』はまだ未読。『何が記者を殺すのか』は友人に勧められ読了済み。5月公開の時に映画を見損ねたので、今回アンコール上映となり足を運んだ。
一見、関係なさそうに見えるようでいて、政治の流れというものは、見えない線で、でもわかりやすく絡み合っているのだと改めて知った。
そして、多くの人はその真実を知ろうとせず、安易に手軽に目に飛び込んでくる、SNSでの情報、またはそれによって行われる情報拡散で惑わされていることが多い。なぜ、リツイート数で、または著名人だからということで安易に信じるのだろうか。
もちろん、わたしのを読んでも、疑問に思っていい。大事なことは、甘んじるのではなく、目の前に置かれたことに対して、情報を収集し、自分ながらにどう思うかを判断するために、”考える”ことが一番大事なのだから。
わたしの両親の世代でよく耳にするのは
「あの人が言うから間違いない」
「あの人がそう言ってるから、そうなんだと思う」
そう言いながら、信じた上で、なにか間違いが露呈すると、いとも簡単に”非難する”のだ。地位や、在職の立派さで、甘んじるのではなく、その人の本当の真意、人柄・行動で、自信を持って信頼してほしいのに。
ファイナルアカウント 第三帝国最後の証言
まずは昨日みた映画も紹介しよう。
娘の卒論テーマは、自分の生涯研究として気になるテーマのため同行した。
ファイナルアカウント
第三帝国最後の証言
監督・撮影 ルーク・ホランド
配給:パルコ ユニバーサル映画
2020年アメリカ=イギリス
ファイナルアカウント HP
イギリスのドキュメンタリーの監督 ルーク・ホランドは、この映画の完成後の上映を待たずして癌で他界。このドキュメントは彼がこれから生きていく上でも知らなければいけない、自分で成し遂げると決めた渾身の一作だったと想像する。
なぜなら、この製作のきっかけは、彼が10代の時に初めて、母がウィーンからのユダヤ人難民で、祖父母はホロコーストで殺害された事実を知ったからだった。その後2000年代に入ってから、祖父母を殺した人間を探すという目的でプロジェクトが動いたが、すぐに無理だと気づく。
ホランドは2008年の10月から、10年かけて250本のインタビューを集めた。当時、まだ小さい、”ナチスドイツの子どもたち”が晩年になって語った証言たちだ。ホランドの母は、自分が生きながらえたことを恥じ、ルーツを子どもに話せなかったと語る姿から、祖父母がなぜ殺される運命だったかを知る必要があるとカメラを手にする。
これから観る人もいるので、ネタバレはしないが、予告編や田原総一朗氏が語っていることに触れるのは構わないだろう。映画のHPの中で、田原総一朗氏がなぜジャーナリストになったのかを話すので必見。
一見、関係のなさそうな二つの映画には共通点があった。
『教育と愛国』で2012年、当時第一次安倍政権の後で”元内閣総理大臣”という立場で故安倍元総理が参加した大阪府教育基本条例シンポジウムがある。当時のフライヤーはコチラ
そこで、こんな発言をしている。
だから、教育基本法を改正をしたと話している。そして、その3年後の2015年、中学校の教科書採択で大阪市は育鵬社採択が増えた。
2017年の教科書採択などについての朝日新聞記事のリンクはコチラ
この安倍元総理の話す「国を貶められていたら」という意味は一体なんだろう。
沖縄での日本軍による強制集団自決の削除。
従軍慰安婦の削除。
強制連行の削除。
故元安倍総理は、東京裁判についても、アメリカの一方的な勝者によっての断罪だと発言したこともある。
正直恐怖だ。
そして昨日見た『ファイナルアカウント』でも同じ言葉を聞いた。いまでもヒトラーを信じ、崇拝し、自分がSS親衛隊に所属していた純潔認められた血統であることを誇りに思い、ヒトラーは悪くないと断言する老人。
ユダヤ人虐殺については、あれはよくなかったといいつつ、ヒトラーは崇拝するのだ、いまもなお! そして、「ニュルンベルクでの裁判(ニュルンベルク国際軍事裁判)で判決は出たが、ドイツの法廷ではない。だから認めない」と言い切った。
しかし、こういったことを聞くのは初めてではない。1970年代の頃など、SSだった身分を隠し、ふつうに管理職や国の仕事に就いていた人もいた。さらに、当時はホロコーストも信用せず、アメリカのでっちあげと言っていた人もいたのだから。ドキュメントのまたある老人は、ホロコースト自体の事実を認めなかった。他にも驚く発言がたくさんあった。
しかし元親衛隊であることを恥じて、自分のしたことを悔いている老人と若者たちが話す場面がある。そこは『最終解決』を決定したヴァンゼー会議の場所。そこでの若者と老人との会話は憤りそのもの。その若者の発言と、故安倍元総理の先ほどの、”日本人としての誇りが持てない”が妙にリンクする。さらに老人のニュルンベルク裁判の見解と、東京裁判の否定も…。
『ファイナルアカウント』で痛烈に感じたのは、誰もがアイヒマンだということ。ただ命令に従った。ただイエスマンになっただけ。彼らにしてみたら、業務をこなしただけなのだ。
されていた悪行に対して全く気付かなったというもの。気づかないなんてうそぶくなと荒げる者。
しかし、いつも思う。
わたしは1人のユダヤ人の少年を助けるために、家族が皆殺しにされる恐怖と殺害される覚悟を受け入れ、村が焼き放たれることを覚悟し、または村人たちからの恐怖故のつるし上げを覚悟し、信念を通すことができるのだろうか。
結局、家族を助けるために、わたしは見ないふりをしてしまわないだろうか。
ショアに立ち向かうことができるのだろうか。
ホロコーストの映画や、記録、事実を元にした話を読むたびに何度も、なんども自問している。
だからこそ、そんなことが起きる世の中にしてはいけない。
屋根があり、着る服があり、食べるものがあり、家族が笑顔ですごせる。時に喧嘩もあり、違う(たがう)ことがあっても、家族がそれぞれ”ふつう”に暮らせることが一番の幸せなのに。
突然家がなくなる、そこに住めなくなる。想像もしてなかった事態に巻き込まれている全ての人のために心から、平和を祈ります。
ルーク・ホランド監督が伝えたかった言葉を翻訳してくださっている
サイトを最後にリンクします。
Real Sound さんのHPは コチラ
黙祷