
ありこのおつかい -絵本- 寄り道をしたばっかりに・・・

いしい ももこ さく
なかがわ そうや え
福音館書店
ありのありこは、お母さんからおばあちゃんちへの届け物をお願いされました。ありこは赤いぼうしをかぶってでかけますが、お母さんから森で寄り道をしないようにと言われます。が、寄り道ってしちゃうんですよね。あっちの花、こっちの草とのろのろ…。すると木にまきついてるつるくさを発見!ひっぱってみるも、それはかまきりのきりおくんの足だった…。ごめんなさいと謝るのに、怒ったきりおは、ありこをぺろり。あしがちぎれそうだったんだから、無理もない。
「いやだあ、いやだあ。あやまったのに たべるなんてーーーーばかあ!」
このあと、おなかのなかで文句を言い続けるありこときりおは、けんかをしながら歩いていきます。
「えぇ!!おなかのなかとけんか?!」と子どもたち。
次にやってきたのがむくどりのむくすけ。ありこがきりおのお腹の中から発している「ばかあ!ばかあ!」を自分に言われたと思ってぷんぷん怒っています。
なに、ぼくがばかだと?おい、ぼくがいつばかなことをした?」とどなりました。
とまあこんな風に、出会う動物にどんどん食べられてしまうわけです。そして想像通り、そのたびに口からでるよくない言葉がひっついていくわけです。ぷぷぷ。
子どもたちは聞いていておかしくておかしくて、あまりの口の悪さと、まぬけな誤解に大笑い。
「また、ばかあ!言ってるよ(笑)」「きりおじゃないのにねぇ」
「でもさ、まるごとたべてるから、きっとあとから助かるんだよ」という子も‥‥。
最後に出て来るのがくまのくまたくん、今日はお誕生日。お母さんがごちそうを用意してくれています。なにも食べちゃだめよ!と言われていたのに食べちゃったくまたくん。家に帰るともちろんごちそうが用意されていました。ここで「なにもたべてこないでね」の約束が守られていないことをこどもたちは思い出し、テーブルのごちそうの絵を前にして神妙な顔をしています。まずい‥‥。と思っているのでしょう。
ところが一転、くまたのお腹から聞こえる悪い言葉を、くまただと思ったお母さんがおしりをぽんぽん。そのあと、それぞれからでてくるおしりをぽんぽんして、それはそれは幸せな結末をむかえるわけですが‥‥。ぽんぽんするあたりから、子どもたちはまた楽しそう。
このあと子どもたちは遊びながら「ばかあ!ばかあ!とんちきめ!わるものぉ!」を口々に言ってました。
これまでの経験で気づいたことをいくつか紹介します。
まず、「まるごとたべてるから、きっとあとから助かるんだよ」という子どもの言葉。ここからわかるのは、その発した子は物語をたくさん聞いてきてるなということ。”まるごと””ごくり””ぺろり”と食べてしまうお話は、後から絶対助かっています。
二つめ、別の子ですが「かえるをのんだととさん」を聞いたことがある子は「おしりからでるんだよ!」と話していました(これはお尻じゃないんだけどね♪)。
この子たちは、朝読みでも8回、この放課後でも11回お話を聞く機会がありました。これまでの経験で、食べられても絶対助かることを知っています。
ある時、文庫に来ている年長の女の子に『ありこのおつかい』を読んであげました。途中神妙な顔をしていて、思えばこの子たちとは違う反応です。ありこが食べられて「ばかあ!ばかあ!」ぐらいまでは面白そうにしていましたが、そのあとの口の悪さよりも、次から次へと食べられる様子に躊躇しているように感じました。「え・・・食べられちゃうの?」という驚きを静かに表現しているような感じが近いでしょうか。
でも、くまたのおかあさんが次々におしりをぽんぽんしたことで、食べられた動物が口から飛び出してくるあたりから目が笑っています。結末はよかった、とにっこりしています。
お母さんは聞き終えて、「どんどん食べられるから怖かったと思います」と静かに話されました。たしかに声にだしては笑っていなかったけれど、怖かったのかな、と考えました。お母さんは娘さんの表情も見えないところに座られていましたが空気で怖がったと感じられたのかもしれません。怖がったのか?そうなのか?この時間のことがずっと頭の中に残っていました。
今回のことで思ったことは、おはなしを聴くことで積まれていく経験は、子どもたちがおはなしをより信頼する機会も作っているのだということ。わたしたちが届けるのは、ただ怖がらせるお話じゃない。ただ笑っておしまいじゃない。ただ悲しませるお話じゃない。必ずめでたしめでたしで終わるもので、そういうものを届けられている。だから安心してお話を聞けるという関係が作られていくのだなと強く感じました。
いま思えば、その女の子はまだ4回目ほどの来室でした。よく聞いてくれる、それと年長さんという、そこに甘んじた自分がその時はまだいたのかもしれません。ただ、感覚として”怖い”わけでなかったと思うのです。またぴたっとくる言葉が見つかったら、続きを書きます。