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言いまつがえ、いえ、言い間違え。 I don’t want miss a thing.
子どもは、耳で聞いたものを覚えて口で発音します。
しかし、その耳も万能ではない。
間違って聞き取り、間違って発音します。
赤ちゃん言葉「しゃ・しゅ・しょ」や「ちゃ・ちゅ・ちょ」などは、本人は、頑張って言おうとしていても、そうなってしまうのだから、もう、ただただ可愛い・・・。
しかし、単なる言い間違えは、ただただ笑いを誘います。
長男が言葉を話し始めたのは、1歳を過ぎたあたり。「はーい!」や「いや。」など、簡単な単語を繰り返し、言葉何だか、何何だかよく分からない宇宙語を壊れたロボットのように独りしゃべりを始め、こちらに聞き取り能力がないと怒り狂うという横暴なC3POのような話者へと化します。
そんな長男が繰り返し言っていた言葉が「トースマ」。
「トーマス」です。何がどうなって"マ"と"ス"がひっくり返ったのかよくわかりません。
彼は、次に歌を覚えました。よく見ていたDVDの『トミカ・プラレール』の歌です。
♪トミカ、トミカ、プラレール。乗り物GOGOオムライス~(*パラダイス)
乗り物パラダイスではなく、乗り物オムライスでした。
さらに、
♪おに~のパンツは言いました(*いいぱんつ)強いぞ~強いぞ~。
君は、幼稚園で何を聞いてきたんだ。
お好み焼き→おこもだき。
小学生二年生なった昨今でも、
しがらき焼きたぬき→しかられ焼きたぬき
観念しろ!→勘弁しろ!
彼は、魔術師のように言い間違え言語を操ります。
次男は、しゃべり始めから割と活舌がよく、赤ちゃん言葉もなく、はっきりとした日本語を話しました。
のせいか、会話が「ですます調」でした。
「とってきたでーす。」
「たのしかったでーす。」
あれ、これ、どこかのキャラクターにいるぞ。
そんなハイソサエティーな家庭でもなんでもないはずなのに、彼一人丁寧なお方でした。(もう今となっては、丁寧の”て”もなくなりましたが)
そんな彼も、
はやぶさ→はぶさや
と長らく話しておりました。
三男は、言いまつがえ絶頂期です。
ばんさい→ざんばい
わゴム→まゴム
ほいいくえん→フォークえん
面白いです。彼らは、自分が間違っていると思ってません。でも、隣で母が噴出しているので何か違和感は、感じているようです。
正してやらねばと思いつつ、可愛さもあってまだもうちょっとこのままでもいいかと悪戯心も出てきます。流石に小学生は正してやらねばと思いますが。
こんな時、ふと昔観た映画、『アルマゲドン』の主題歌を思い出します。
「I Don’t Want to Miss a Thing」
何一つ逃したくはない。
眠りたくない、目を閉じてしまいたくない。笑顔もキスも何一つ逃してしまいたくはないから。
ぐっときます。ダイナミックな曲にハスキーなスティーブン・タイラーさんの声で切実な思いを歌い上げます。
こんな壮大な思いを毎日子どもたちに向けている母ではありませんが、それでも思うんです。
見逃してしまいたくはないと。
子どもたちの一瞬のきらめきのような幼さを、愛しい失敗を、一歩ずつの成長を見逃してしまいたくはないと。
いつかは、誰もが大人になる。子育てしているときは、長く感じても、振り返ってみると幼いときは、ほんのわずかで、言い間違えをしている時などほんの一瞬の日常なのかもしれません。
だから、母ちゃんは、見逃してしまいたくないって思うんだ。たとえそれが、ほんの少しの言い間違えであろうと。