億り人の無計画金沢旅行で気づいた話
1億円あっても、楽しいことや好きなことがなんにもなくて空っぽな自分に気づいて、ずどーんと落ち込んでいた時
夫と息子に頼って、私は週末の過ごし方を提案してもらうことにした
すると、まさかの午前中に宿泊先を予約して、気のまま旅行に行くことになってしまった
初日はなんとか、気力でカバーしたけれど、昨日
二日目の私は、限りないキャパオーバーの経験で倒れるように寝てしまった
子ども二人は勿論元気で、夫をみるとぱぱっと旅行のあとの片付けをしてくれている
夕方の4時半には自宅についたものの、夕食を作ったあとはお風呂に入って動けなくなってしまった
お手製のしおりを持たずに旅行に行ったのは、恐らく初めてで、段取りが分からないと、楽しめる余裕もなく
初めての土地、石川県の金沢市で心がホッとしたのは、それこそ昨日書いた通り、香林坊の百貨店の駐車場にいた方々に優しくしてもらって、ようやくホッとしたみたいで
そのあと、ノドグロが魚介コーナーに売っているのを見て興奮したりして
いつも通りの自分らしくなっていった気もするけれど
旅2日目は、武家屋敷通りを歩いて(台風の影響で気温32℃)、兼六園についた頃には私の体力はすでにマイナスまっしぐらだった
駐車場から兼六園までの坂道は、ベビーカーを押しながらだと地味につらい
汗だくになりながら、ふと同じような観光客の人を見渡すとゆかたを着て楽しんでるカップルや、外国人観光客は写真をたくさん取りながらビューティフォーと連発している
暑いからこそのかき氷を食べて楽しんでる人もいれば、都会に遊びにいくかのようなハイヒールで坂道をさらっとのぼる若い女の子
旅行を楽しむのは、こんなに体力がいるものなのかと気づいたけれど、時すでに遅し
しかも、前々から薄々と気づいていた嫌なことにも気づいてしまった
どうやら私は、芸術方面にさっぱり興味がないらしい
日本史や世界史でならったような絵画などの美術品、建築の感想は「へぇ~」という感想だけで終わってしまう
そんなはずはないと、20代の頃に日本も国外も自分の中では、これでもかというほど旅をして、自分は芸術に詳しいと思っていたのだけれども
歴史を知っていても、見ても特に感動することなく終わってしまう横で、息子は楽しそうにあれなに、これなに状態で楽しんでいた
建築物を見て、きれいだとか、木の根っこを見てその歴史に興奮している横で、私は「へぇ~」としか思えなかった
お金を標準より少し多く持っているなと自負したとき、私はお金持ちなのだから芸術をわかる女性になろうと努力した
本を読んで学び、実際に訪れて証拠写真を手に入れ、現地でのよくわかりもしない専門書を買って、読んでいる自分を上から眺めると、芸術に詳しいお金持ちの卵だと思っていたようだ
書いていて、恥ずかしい
けれど、恥ずかしい話もしようと思う
なんとなく今までの恥ずかしい話も思い返すと、好きなことがわかるのかもしれない
子どもが生まれてから、そういった場所にあまりいってなかったけれど、無計画旅行ゆえの突然訪問で私は気づいてしまった
芸術さっぱり分からないのに、今までそこに無駄なお金を使ったなと
恐らく私は、世界遺産やそういった類いのものの建築や歴史には興味はないらしい
それを言っては、人間としてどうなのかと思って隠してきたけれど、金沢に行って気づいてしまった
兼六園のような素晴らしいと評価されている場所の記憶よりも鮮明なのは
魚おいしかった、優しい人たちがいた、暑かった、緊張した、都会なのに道がすいていた
てんてけてん
受け入れたくはない自分のこと、好きなことは分かっていないけれど、私はどうやら芸術的感性が死滅している女らしい
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