母から勘当を言い渡された話
この歳になって、自分の実の母親から勘当を言い渡された。
理由は、エホバを認めないこと。
俺の母親はエホバの証人だ。
俺が小学生に入る前に、家に勧誘に来た二人組の話を鵜呑みにして、神がいること、神はエホバという事、エホバは間もなく、エホバの証人以外の世界を滅ぼし尽くすということを教わった。
母は、周りからの反対を他所に、宗教に没頭し、幼い子供たちを、宗教施設に連れて行くようになった。
毎週、平日夜に二回、日曜日に一度、小学生にネクタイを付けされて、王国会館と呼ばれる宗教施設や信者の家に連れていき、徹底的に自分達の宗教思想を押しつけた。
子供心に恐怖を感じた。
もう自分が大人になる前に、ハルマゲドンが起こって、世界は滅ぼされること。
生き残るためには、エホバの証人になるしかないこと。
その前に迫害されること。戦争に行くことを拒んで、殺されるかもしれないと。
目の前が、凄く絶望感に覆われていくことを今でも覚えている。
エホバの証人の子供で居ることは、小学校でも様々な試練がある。
七夕に、騎馬戦に、キャンプファイヤーには参加できない。
疎外感を感じざるを得ない。
小学生にとって、小学校の仲間というのは社会と大切な関わりであるのだけど、それを持つことを否定された。
サタンの支配下にある世界の人と仲良くなることは、サタンと仲良くなる事だと教わった。
誕生日を祝ってもらったのも、小学一年生が最後だった。それからは、誕生日もクリスマスも、子供の日も、何のイベントのない家だった。
代わりのイベントといえば、夏休みになると、炎天下の競輪場で、退屈な話を三日間も聞かされ、酷く苦痛に感じた。
学校で友人を作るよりも、エホバの証人の仲間と仲良くするように言われた。エホバの証人の子供と遊びに行くと、勉強をするよりも褒められた。
中学生になり、母からではなく、エホバの証人の大人の男性が家庭教師のような形で家に来て、聖書の組織の教義を教わった。
俺が聖書やエホバの証人のことを肯定的に話すと、母も周りも凄く喜んだ。
この人たちを、もっと喜ばせたいなと思った。
知らない人の家のインターホンを鳴らして、ものみの塔を配るのは大嫌いだったけど、エホバの証人の一員になって、家族や仲間に受け入れてもらいたいと思うようになった。
「母や友人に受け入れてもらいたい」
そんな普通の思いが、後々大きな過ちとなるとは、この時は想像さえしなかった。
それから、エホバの証人として何年も過ごした。組織の中には、コミュニティがあって、外国に行っても直ぐに仲間ができた。
大学生として、一人暮らしするとき、荷造りから新しい家の荷下ろしまで全てを手伝ってくれた。「また遊びにこいよ」と暖かく見送ってくれた。20歳になる瞬間にはエホバの証人の友人達とカウントダウンをして酒を飲んだ。
久しぶりに誕生日を祝ってもらった気がした。
大学を卒業し、社会人になり、自分の考えが熟成されていくなかで、どうしてもエホバの証人の教えには納得がいかなくなる事が多くなった。
神は愛だというのに、ハルマゲドンで何十億人もの人々を殺すのは納得がいかなかった。
神の民を救うために、罪のない子供達を殺す話をありがたそうに聞く人たちを、少し不気味に思うようになった。
人間は罪深い存在であること、創造主である神に、許しを乞わなければならないことも納得がいかなかった。サタンを作ったのも、人間を作ったのもエホバなのに、何でこちらが許しを乞わなければならないのか。神の立場からしたら、99.99%不良になる不具合製品を設計量産しておいて、自分の過ちを一切認めずに、「製品が悪い」と開き直られてるように感じた。
そういう矛盾だらけの教理を信じ続ける気持ちにもなれず、辞めるきっかけを探すようになった。
エホバの証人を辞めると決意してから、もうしばらく経つ。
色々あった。
友人もできたし、恋人もできたし、コミュニティを作ったり、結婚して子供もできた。
サタンの支配下と言われているこの世の中に少しずつ馴染む努力をした。
今までは神という名の組織の教理に従っていれば良かったから、ある意味で楽だったけど、自由と責任を手にした。いっぱい失敗もして、自分の基準を少しずつ作り上げた。
だけど、母の事が少し気がかりだった。
組織を否定すると、自分の家族と話せなくなる。
だから、はっきりと辞めるわけではなく、少しずつエホバの証人と距離を置いた。
母の期待通りの道を歩み続けることができなかった。
とても残念がってたから、せめて孫を見せることが、親孝行になると思って、できるだけ孫と関わらせた。
子供達も祖父母に馴染み始めて、宗教というフィルターを通さなくても、親子関係を再構築できるのかなと感じ始めていた。
きっかけは、今年の記念式。
何気なく誘われたときに、「ロシアとウクライナの戦争をどう思う?酷いわよね。聖書の預言の成就だと思わない?」と聞かれた。
エホバの証人は、戦争や疫病が流行ると、ハルマゲドンが起こる兆候だと主張する。実際に聖書には、そんなことが22世紀に起こるとは言っていないのだが。
「とても悲しいことだけど、ハルマゲドンで数十億人が殺されることを考えると、エホバの方が酷いので、とても信じる気持ちにはなれないかな」
と正直な気持ちを答えた。
「エホバは復活させる事ができるから」
と説明されたが、
「治療できるからと言って、人を傷つけてよいの?」と素朴な疑問をぶつけた。
「エホバは偉大な方なので、人間には理解できない。蟻が人間はを理解できないのと一緒だ」と言っていたが、そんな事で納得できるわけはなかった。
「議論にならない。もう宗教的な話は終わりにしよう。親子関係が悪くなるだけだ。宗教の話を抜きに親子関係だけを続けさせて欲しい」
と話したが、母親が納得する素振りもなかった。
この些細な会話が、エホバへの、組織への、母親での反逆と捉えられたようだ。
後日、改めて話をされた。
「エホバを認めない人とは関わりたくない」
耳を疑った。きっと何かの聞き間違えなのかなと。
「息子は死んだものと思う。だから、私のことも死んだものと思ってください」
やはり、俺は勘当を言い渡されているようだ。
「エホバと家族と、どちらが大事なの?」
まだ信じられないので、かすかな希望がないのか、確認するように聞いた。
「それは、もちろんエホバよ」
何の迷いもなく、吐き捨てるような口調だった。
もう、そこに、愛に満ち溢れた母の姿はなかった。寝るまでベットの横で優しく抱きしめてくれる母は、何かに奪われてしまったようだ。ただ、エホバの証人に深く洗脳された、哀れな年老いた女性がいるだけだった。
思い返せば、母はエホバの証人になった時に、多くの反対に遭っていた。
墓参りも、仏壇に手を合わせることもしないと宣言した。
父の実家は驚いたし、悲しんだ。でも、そんな母を優しく受け入れて、関係を続けた。父も、そんな母を守り続けた。
それなのに、俺が自分の考えを持って、自分の決断でエホバの証人を辞めたら、この仕打ちかと。
散々、人に自分の信仰を主張して、受け入れてもらって、自分は一片の異物も受け入れないのかと。エホバの証人の教えは、家庭の内部に深く入り込み、それを内部から破壊するウイルスのようなものなのかもしれない。
「貴方は、エホバの教えを知ったうえで離れたから許せない」と母は言った。
小学生の俺に、断る勇気があれば良かったのだろうか。
母の理不尽さなのか、エホバの証人の理不尽さなのか、それは分からないけど、確かに自分の中で決して切ってはいけない親子の絆を、いとも簡単に切り捨てる人の姿があった。
「私は正しくて、強いものが好きなの」
開き直ったように語った。
母であった人の本音を初めて聞いて、少し笑った。