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アラサーの中にこどもの頃の自分がいる

*画像はみんなのギャラリーからお借りしたものです


もうすぐ午前3時ですが眠れません。

 何かに興奮したり感情が昂ったりしてしまったとき、寝たいのに、寝なきゃいけないのにどうしても眠れないこと、ありませんか?

私もかれこれ3時間くらい眠りに入ろうと努力していたのですが、どうやら無駄なようなので諦めて原因を吐き出して整理してみようと思います。

タイトルでお分かりかと思いますが、今回眠れないほどザワザワしている原因は私の父です。帰省して2ヶ月半、3回目くらいのケンカ…というよりは冷静な、しかし感情的でもある本気のぶつかり合い。気分の良いものではないものの、お互い相手を罵ったり傷つけることを目的とせずに本音(の1/10くらいをさらに5倍に薄めたくらいのものですが)を言えるようになったのは、私も父も多少は昔より丸くなったのかもしれません。

いくらなんでも10倍濃縮の、30年以上たまりに溜まった恨みつらみ…というか、もはや説教に近い攻撃的な本音は、70を迎えて元気の無くなってしまった父に直接ぶつけるにはもはや忍びない。それでも今夜の話し合い()をきっかけに、私の中で轟々と沸き立つ感情はこのままではおさまってくれそうにありません。

つい最近、どこかで「表現は排泄と一緒」という言葉を見たのですが、まさにそんな感じ。ここに書くことで供養させてもらおうと思います。ただ父への説教を吐き出す前に、それまでのイロイロも吐き出しておきましょう。出すならまるっこ全部、いってしまえ。


まず、この未だコロナがおさまらない状況下で、オーストリア在住の私があえて日本に帰国したのは、昨年ステージⅣのがんが見つかり闘病中だった母が、いよいよ終末期との知らせを受けたためでした。8月半ばに腸閉塞を起こして容体が急変し、一旦入院して落ち着くもののものが食べられなくなり、点滴のみであとはいつまでもつか…という状況になってしまいました。

海外在住者は、常に「親や大切な人死に目に会えないかもしれない」という不安を抱えていると思います。実際、ついこの間知り合いの方のお父様がお亡くなりになったけれど、永住権保持の方だったため容易に出国できず、費用面でも日豪両方の隔離の期間を考えても無理すぎる、、ということで帰国かなわずという方がいらっしゃいました。

わたしは、何とかギリギリ間に合いました。関東で14日間の自主隔離を終え(この過程は後でまた別記事にしたいと思います)北海道の実家に帰ってきた時、母は退院してすぐ。起き上がって会話もでき、鼻から胃に入れたチューブのおかげで水分だけは口からの摂取OKとも言われていました。弱っていく母の姿を見るのは辛いけれど、まだ時間はあると。

母は私が帰ってきておよそ1週間で息を引き取りました。最後の方は意識が朦朧としており、せん妄状態になり夜中に何度も宥めたりして、私の知っている母とは違う人を見ているようで震えがくることもありました。通夜、葬儀も済ませ1ヶ月以上経った今でもあまりリアルな実感は湧いていませんが、私にできるだけのことはしたと思います。

母のことは、まだ整理のつかない気持ちもありながら、一応納得できているのです。昨年9月、コロナ前に2週間、一時帰国して友達にも誰にも会わずにずっとそばにいて、じっくり色々な話ができたことが大きいです。もちろん色々と心残りやら、果たせなかった約束やらはありますが、そういうものが一切なく大事な人を送れる方が、きっと珍しいのでしょう。だから、いい。いやよくはないけど、でもいいや。

その後、必然的に父と、ひとつ下の妹と話す機会が増えました。葬儀などの相談はもちろんですが、母との思い出や昔のことなど、今話しておかなかったら次はいつになるかわからないし、もしかしたら今度こそ最後かもしれない。との思いもあり、今までになく真剣に家族と向き合う時間が多くなりました。

「最後かも」とか思うと、不思議と色々話せました。普段はなんか気恥ずかしくて口にしないようなことや、子供の頃のことや、妹が何をどう感じていたか、父は何を思ってアレソレをしたのか、実はこんなコンプレックスがあって…etc。いやあ、やっぱり会話って大事ですね。

正直、うちの家族関係はドライなもんだとずっと思ってきました。シェアハウスの中国人やベトナム人やイタリアスペイン人はマンマと毎日のように電話してましたが、私は2、3ヶ月に一度適当にLINEを入れるくらいで音声通話すら滅多にしませんでした。




子供の頃から私は学校の成績はそれなりに優秀でしたが、家に帰ると「だらしないきちんとできない子」というポジションでした。

学校の先生や友達のお母さんはすっごく褒めてくれますが、家族は私にとって、私のことを怒ってばかりで認めてくれない存在でした。

勉強しろとあまり口うるさく言われたりしませんでしたが、テストや通知表でいい成績を取ってもさらっと「よかったね」「よく頑張ったね」というだけで、そのことが普段の行いの免罪符になったりはしませんでした。

特別に虐待やDVやなにかがあったわけではありません。

私は「時間にルーズ」であり、「気が利かない」「1を聞いて10を知れない」「一度集中したら周りが見えなくなる」「やったらやりっぱなし」「出したら出しっぱなし」「外ではきちんとしているなんて信じられない」子。

家族で出かけるといった時間に準備が完了していないとか。

5分10分の遅刻が多いとか。

使ったコップ、脱いだ靴下をちゃんとあるべき場所に戻せないとか。

漫画やゲームに熱中するとご飯だと呼んでも降りてこないとか。

一体何百回言われたのか覚えていませんが、


上記の傾向、最近よく言われるASPの傾向に当てはまっていると思いませんか。


今現在は、日常生活にそこまで支障がない範囲のため特別診断は受けていませんが、多分そういう傾向のある子供だったのでしょう。実際今でもちょっとしたことを忘れやすいですし、仕事はともかくプライベートでは時間にルーズだし、空気読めない(読めても非合理的だと思ったら従いたくない)とかあるので、日本社会ではサバイバル無理ゲーと思っています。

とにかくそういう子だったので、一緒に暮らす家族からはそりゃもう非難轟々です。他の家族は3人とも、私よりは色々きっちりしていないと許せないタイプなので悪いのは私、いつも怒られるのは私、妹は怒られる私を横目に親の顔色を読んでソツなくすり抜けるといった感じでした。

いやいや実際迷惑かけてたのアンタなんだから、被害者ヅラしてないで反省して直しなさいよ。と思う方がいらっしゃるかもしれません。少なくともうちの家族はそう思ってました。

でもねー、これ本当に、程度と相性の問題ね。一応社会生活は出来るレベルだし。そもそもきっちりしていないと気が済まない人ってのは何でいつもあんなに上から目線なのか。自分が正しくて相手が間違っていると思い込みすぎてやしないか。べつに食べた食器が1、2食分シンクに放置してあったって死なない。水にはつけておかないといかんけど。何で食洗機があるのに少量の食器をいちいち手洗いしなきゃいかんのか、意味がないじゃないか。数円だか数十円だかのガス代を浮かせるために、ボイラーを上げてお湯が出るまで蛇口開けてからじゃないと食洗機かけちゃダメってルール、手間を省く家電を使うのに手間を増やしてどうすんのか、使う気も失せるね?郵便局にいくのが10分遅くなったからって取り返しのつかない事態が起こるわけでもない。空港には絶対2時間前には行くけれど。ちょっとさ、ヒステリックに怒りすぎじゃない?病的じゃない?と、ワタクシは常々思っていたのです。つまりは全然自分悪いとか思ってなかったんですな。今もあんまり思ってないけど。もちろん、深刻な実害が出る場合は別ですが。

今ではそういうきっちりしてないとダメな人は、お互い不快になりたくないので自ら距離を取るようになりましたが、いかんせん子供は親を選べないし、嫌だからって逃げる手段もありません。自分でも何ですぐ他に意識が行っちゃうのか、なんで指示を忘れてしまうのか、「そのうち」と言われていたことを数時間放置しただけで何で怒鳴られるのかもうワケがわかりませんでした。そのうちっていつよ??今すぐとか、○時までにとか具体的に言ってヨヘイヘイって、今なら言えるのですが。

しかしこれだけ言われても治らないということは、しかも自分では結構気をつけてるつもりなのに全然ダメということは、聞いてるようで全然聞いてなかったんですね。自分で納得いってないから。でも意見は聞いてもらえないから無言で聞いてるふりしてすぐ頭から消去。

私なら。私だったら何回も同じように同じ指示しても結果に反映されない場合、違うアプローチを試してみるけどな??靴下入れを玄関脇に持ってくるとかさ。

お前は何でやらないんだ!ではなくて(悪意でやらんワケじゃないのだ)、どうしたらできるだろう?どうやったらできる?と子供と一緒に考えたいと思うけどな。小学生以上の年齢なら。

これは私が昨今の発達障害の特性とかの情報に触れられるから、情報の蓄積があるからそのように考えられるだけで、20年前の親には無理な話だっただろうか。たしかに圧倒的に情報は今よりも少なかったと思うけれど、誰かに相談したり、できなかったんだろうか。

というか、ちゃんと私自身を見て欲しかったのだ。ダメなことも苦手なことも認めて、そう言う欠点も含めて愛して欲しかったのだ。結局それは成人しても叶えられることはなかったから、よし、じゃあいっそ自分で一人二役やってしまおうではないか。

よーしよし、きみはちゃんといい子だよ。何も心配しなくていいよ。大丈夫、大人になっても、意外と何とかなるもんだって。そりゃめんどくさいこともあるけど、案外楽しいよ。そんなダメな部分も含めて、私はきみが大好きだよ。

…と、三十路の自分が小学生くらいの、モヤモヤを言葉にできなくてベソかいてる自分を抱きしめてあげるようなイメージを持てたとき、ふっと気持ちが楽になりました。親にやってもらいたかったことを、自分でやってみた。案外、これいけました。


父にたどり着く前に長くなってしまったので、とりあえず寝ます。また、明日。

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