はじめて多数派に立ち向かったときのはなし
幼稚園の年長さんのときだったと思う。私の中で強く印象に残っている出来事がある。
幼稚園の先生が、遠足だか保護者懇談会だか運動会だか、そこはよく覚えていないが、仮に遠足としておこう。とにかくイベントの日にちをみんなに伝えた。
「みんな、〇日はおかあさんにお弁当作ってもらってきてねー。」
あれ?と思った。
せんせい、このまえ、えんそくは✗日っていっていなかった?
「ううん、遠足は○日だよ。じゃあ帰りの会の準備を、、」
ちがうよ?せんせい、このまえとなりのふじぐみのせんせいとはなしてたもん。✗日っていってたよ。
「だからー、○日だってば、、」
「せんせいがまちがうわけないじゃん。○日だよ」
「そーだよー」
「こだまちゃんなんで○日だとおもったの?」
だって、だって・・・
クラスのみんなが先生の味方だった。絶対に○日だと言いはるのは私だけだった。
あんまりにも折れないので、先生も面倒になったのか()隣のクラスの先輩先生に日にちを確認しに行ってくれた。
「あら、遠足は✗日よ。なんで?さっき言ったでしょ。」
クラス中の目がこちらに向いた。
「こだまちゃんすごいね!」
「どうしておぼえてたの?」
いや、たまたま・・・
「うそつきっていってごめん。」
うん、もういいよ。
「こだまちゃん、ごめんねー。というわけで、遠足は✗日でーす」
若干気まずい空気は漂ったが、その後は何事もなかったかのようにみんな帰り支度をしていた。
別段ひどいことをされたわけでもなんでもなかったが、その時たしかに私は少数意見を貫き通す怖さと、快感を同時に味わった。
大げさかもしれないが、一人で多数派に立ち向かい勝利した初めての経験だった。この体験はその後の小学生期から思春期にかけて、「多数派に従っていれば安泰」という日本社会あるあるを強く疑うきっかけになった。
多数派も間違えること。
多数派にいる人は自分のほうが正しいと思って疑わないこと。
幼稚園児だ。先生も含めたみんなに疑いの目を向けられるのはこわかった。
それでも自分の正しいと思ったことをつらぬくといいことがある。自分が間違っていたら、そのときに謝って正せばいいんだ。
じんせいでだいじなことに5さいできづけたことにかんしゃする。