Vol.6 どんなときも家族
ぼくの家は4人家族だった。父、母、ぼく、一つ下の妹の4人。中学までは毎年家族でキャンプや野球観戦に行っていた。高校に入ると毎週のようにぼくの野球の応援に来てくれた。多分家族の仲は結構いいと思う。
家族はかけがえのないもの
そんなことわかっている、つもりだった。実家に帰ればいつも父、母、妹がいて、おいしいご飯を作ってくれる。一緒に食卓を囲みながらたわいのない話をする。そんな時間はいつまでたっても続くものだと思っていた。
離れていても家族
地元鹿児島の大学に進学したぼくは、実家と学校の距離が離れていることもあり、一人暮らしを始めた。とはいえ、原付とフェリーを使って最短1時間30分でついてしまう距離だったので、そこまで離れていると感じたことはなかった。一人暮らしを始めて1年後には妹も進学してきて、2人で暮らすようになった。
ぼくと妹が2人で生活していることもあり、父と母は頻繁に遊びに来た。ぼくも妹も家の中の整理があまり得意ではなく、いつも父母は大きなごみ袋をもってやってきた。家族がそろうと部屋の片づけが始まり、終わるとみんなで一緒にご飯を食べに行く。定期的に発生するイベントだった。
ぼくが家族と一番長く会わなかったのはセブ留学の時。約半年間。WiFiの調子も悪く、これまでの人生の中で最も家族と連絡を取らなかった期間ともいえる。そんな時でも母はいつもぼくの心配をしてくれており、連絡がつくときは返信をするようにしていた。
いつまでも心配してくれる母に、「もうこどもじゃないんだから」と思いながらも、母からの連絡がちょっと楽しみだったのはここだけの話だ。
母の病
母が病に伏せたのはセブ留学残り2週間というタイミング。帰国するか悩んだが、母は「大丈夫だからやりきって帰ってきなさい」と言った。異国の地で、家族に対して何もすることのできない自分に憤りを感じた。だが、自分ができることを全力でやる、それが家族に対してできる最大の恩返しということで母への心配を振り切り、残りの期間をセブで過ごした。
帰国後、すぐに母のもとへと向かった。治療がひと段落ついて、少し落ち着いた母に留学をやりきったことを伝えた。笑って「がんばったね」と言ってくれた。1月後にはニュージーランドへの留学が決まっており、それもきちんとやりきってきなさいと言われた。ぼくは次の留学までの期間、できる限り母の近くにいて、話をしたり聞いたりした。
そんな状況になってはじめてぼくは、かつて当たり前のようにあったあの家族4人での日々がかぇがえのないものだったと思い知らされた。
社会人になって
社会人になって上京したぼくはまた家族と離れた。実家の父、実家と病院を行ったり来たりする母、一人暮らしをする妹。家族の物理的距離はすこしはなれた。ただ、母からの連絡は途絶えることなく、いつも近くに家族を感じた。
そのうち妹も上京してきて、鹿児島の父母、東京のぼく、妹となった。妹が上京するとき、父母はぼくに「こまったときは助け合いなさい。たった一人の兄妹なのだから」といった。
家族が近くにいる、それだけでも安心するなにかがあるようだ。
現在
最近は父、妹と連絡を頻繁にとるようになった。東京でバンド活動をしている妹のライブにたまに行くし、父はたまに東京に遊びに来てくれる。競馬好きの父と一緒に東京競馬を見に行くことも楽しみになっている。母からの連絡は2年前に止まってしまった。
今思うこと
家族はかけがえのない存在。うっとおしいと思うことも時にはあるが、それはすべて自分のことを考えてくれているのだなと思う。直接会えなかったとしても現代は様々な手段で連絡を取ることができる。
旅をしながら連絡することだって簡単にできてしまう便利な現代。家族に対して自分のできることは何か常に考えて生きていく。
2020/5/21 こーだい
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