生きる=誰かのために自分の力を発揮すること
6時過ぎに起床。最近は6時に起きるのもなんだか遅い気がしてきた。
しかし就寝を11時前にすることは、なかなか難しいため
11時就寝→5時台に起床
に取り組んでみようと思う。
昨日、記した通り、今日はスマホを触る時間を削減することができた。
最近の悩みは9時ー17時30分の中での得れることが少ないということだ。
恐らく、自分の仕事の取り組み方の問題であろう(緩んでいる)
なぜ、緩んでいるかと言えば、このコロナ体制に悪い意味で体が順応してしまったからであろう。
明日は、午前中会議→午後は19時まで外回りである。
恐らく体は営業マンモードに戻るはずだ。何か1つでも成長して仕事を終えよう。
日中得れているものが少ないという感覚から、帰宅後は何らかのアイデアを生み出そうとただじゃ1日を終えないように努力をしている。
今日は久しぶりにまた神が降りてきた。ここに記す。生きる意味についてだ。
生きる=呼吸をすること→しばらく、呼吸に集中していると、次第に心臓の音だけが聞こえるようになる→すると『何者かに自分は生かされている』という感覚になる→何者かに自分は生かされている→その何者かにお返しをしたくなる→それが誰かの人のために生きる
この何者かに生かされているという感覚が稲盛 和夫さんのいう、地球という箱の中に人類含めて、全てが存在しているからバランスが保たれており、何か1つでもかけるとそのバランスは崩壊してしまうため、私たちは宇宙の真理の元に生かされているということだそうだ。
そのため、生きるとは何か?
という問いに対しての回答は
誰かのために自分の持てる力を発揮すること
である。
今日の進歩
生きる=誰かのために自分の持てる力を発揮すること
に気づけたこと。
これがCJCの理念に通じる土台になると思う。
これを踏まえて、スッと腹に落ちる理念があるはずだ。
まだまだ思考し続けよう。
悲しいことの100倍良いことがある。