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TRPGガイダンス:ドラマチックなストーリーの創造

 TRPGはドラマである。

 かのアレイスター・クロウリー風に言うなら、「すべての男女は星である。すべてのプレイはドラマである」となるだろう。

 したがって、どんなプレイをしようが、あなたのテーブルのプレイは常にドラマチックなのである。

 よってこの話はこれで終わりだ。

 あなたのゲームはどんな風に遊ぼうと、リプレイや動画のようにドラマチックなのである!

 ……いや、ちょっと待て。

 これは何かがおかしい。

 あなたたちがそのように感じられるなら、もちろん何をやろうと正解なのだが、それはそれとして、「よりドラマチックだと感じやすい」プレイテクニックは存在するはずである。

 それを前提として、主にアニメ脚本技術をベースにした技術を開陳する。もしあなたの信じているロジックと食い違う場合は「まあこういう流派もあるのか」で読み流していただきたい。

■ストーリーとナラティブ

 では、まず物語とは何か、それについて語らねばならない。

 TRPGにおける物語は、ふたつに分けられる。

 ストーリーとナラティブである。

 ストーリーとは、GMがあらかじめ設定したシナリオに乗っかった「筋書き」である。

 たとえばこうである。

 冒険者であるPCたちは、〈大星団テオス〉の宇宙人に追われている少女を保護し、〈ネフィリム社〉に引き渡す。だが、PCたちは〈ネフィリム社〉が〈VF団〉と結びついており、少女が非道な人体実験の生贄にされようとしていることを知る。
 怒ったPCたちは〈宿命管理局〉の協力を得て、秘密裏に〈ネフィリム社〉の研究所を救出。少女を助け出す。
 本シナリオは、PCたちが〈ネフィリム社〉の研究所から少女を救出することで終了となる。

 これがストーリーである。

 これがないと、そもそも物語を構築することはできない。たとえば、単なるパズル的なシナリオだったとしても、

 目が覚めたら謎の白い部屋にとじこめられたPCたちは、知恵と勇気で脱出を試みる。果たしてこの罠だらけの部屋から脱出出来るのか!?

 くらいのストーリーは必ずGMが何か設定せねばならないのである。何のストーリーもないところで、PCを動かすことは絶対に出来ないからだ。

 もちろん、「PCがやりたいことをやらせる。ハンドアウトなど書かない。完全にアドリブだ」というスタイルもあるにはあるが、それにしても、「完全にアドリブで惑星オリジンで遊ぶ」くらいのストーリーセッティングは必要になるのである。

 では、ナラティブとは何か?

 ナラティブとは、体験によって構築される物語である。

 たとえば、こんな具合である。

GM:じゃあ〈VF団〉の歩行戦車がレーザー・ライフルでPC①を攻撃するよ。おっと、クリティカルだ。
PC①:まずい! それ喰らったらおだぶつだ!
PC②:しょうがない。ここでPC①に死なれるわけにはいかん。オレが攻撃を特技使って引き受けるよ。
PC①:すまん……! この作戦でおまえにかばってもらうのは、これでもう三回目だな。
PC②:何、良いってことよ。それより、必ずあの娘を助けろよ。
PC①:ああ……任せろ!

 これは純ゲーム的には、単にGMの出したモブがPC①を攻撃して、PC②がそのダメージを肩代わりしただけである。

 しかし、その一連の数字のやりとりが、「過去に2回かばってもらった」「それによって命を助けられた」という経験と結びつき、物語が生まれているのである。

 これがTRPGの醍醐味であることは間違いない。これが、経験とダイス目、ゲームをしていることによって生み出される、あなただけの物語なのである。これを、ナラティブと呼ぶ。

 こうしたナラティブ性は、TRPGそのものが内包しているものであり、TRPGのシステムそのものに、なるべくナラティブを誘発するような形でギミックが仕込まれている理由でもある。

 たとえば、ライフパスやPC間コネクションは、ランダムで生み出されたそれぞれ完結したデータが、情報としてリンクしてナラティブを形成した時に、物語的な快感が生まれることを利用したギミックである。

 ストーリーがGMが用意した内在的な「物語」であるとするなら、ナラティブはルールに乗っ取ってプレイされたプレイ経験を通して、参加者全員が即興で紡ぎ上げ経験する外在的な「物語」なのだ。

 * * *

 以上が、TRPGにおける「物語」を構成する二大要素、ストーリーとナラティブの本稿における定義(注1)である。

 今回の記事では、ストーリーに絞って解説を行う。ナラティブを生み出すためのギミックはゲーム中に仕込まれており、それは私やあなたがゲームの中で発見するものだからである。

■人間関係

 では、一体ストーリーとは何か。

 TRPGにおいて、ストーリーと認識されるものは、ほとんどの場合人間関係である。

 これは、「ストーリー要素が乏しい(注2)」シナリオが、人格のないモンスターや敵兵と戦うだけのシナリオ、あるいは無味乾燥な謎解きだけで構成されるようなシナリオであることから逆説的に証明可能である。

 我々は、PC同士、あるいはPCとNPCの関係性を通して世界に触れる。これは過去に何度も述べたことである。我々が世界にアクセスする手段は、人間関係なのだ。

 しかし、それが変化しないところに物語は生まれない。

 たとえば、ふたりの恋人がいる。愛し合っている。幸せである。

 これは物語だろうか?

 否である。

 しかし、このふたりのデートスポットが、冒険者たちとドラゴンが激突する現場であったならどうだろうか。

 ファイアボール飛び交い、魔法の剣きらめく激烈な戦場のチマタが、ふたりのデートの背後で行われていたらどうなるだろうか。彼女たちはこれまで通りのデートを続けられるだろうか。

 もちろん否である。

 逃げるのかもしれないし、もしかしたらふたりもまた冒険者で、みずから剣を持ってドラゴンに立ち向かうかもしれない。

 いずれにせよ、ふたりは「単にデートをするカップル」ではありえなくなる。これが変化である。

 次に、逃げるふたりのうち、男のほうが彼女とはぐれてしまったとしよう。彼女はそれを、自分を見捨てたと考えたとしよう。ふたりは再会したとして、同じふたりに戻れるだろうか。

 やはり否である。

 こうして物語が誕生する。

 ドラゴンとの戦いに巻き込まれてしまった普通のカップル、その関係が変化し、別れが訪れようとしている。さてこの先どうなるのだろうか?

 どうなるか、というのはひとまず置いておこう。だが、分かっていることがある。悲恋であり、ハッピーエンドであれ、もう一度人間関係が変化しないと、オチがつかない、ということである。

 わかりやすいのは、もう一度ドラゴンの襲撃が彼女たちの近くで起きる。男は、今度は彼女をかばってみせる。そこで、男の服が破れる。そこには、今ついたのではない古傷がある。彼女は、前回も彼が人知れず自分をかばい、その結果としてはぐれてしまったのだ、と気が付く。なんという愛情!

 こうして戦いを生き延びたふたりは、強く抱きしめ合う。エンドマーク。

 まあ、この話が面白いかどうかはともかくとして、つまり、これが「出来事」と物語の違いなのである。

●ターニングポイント

 よく出来た物語には、マジックワードがある。それは、人間関係は2回変化するべきだ、ということである。

 ここに復讐鬼がいる。彼は父親をある男に殺される。男に復讐を誓う。これが最初の関係である。

 復讐鬼は男に出逢う。しかし、男と復讐鬼はひょんなことから戦車につながれてしまう。ふたりで戦車を動かさなければ生き延びることができない。これが、第一のターニングポイントである。

 復讐鬼と男は一輛の戦車を必死に動かし、そして勝利する。その過程で、復讐鬼は男が、やむにやまれず父親を殺した同情すべき、尊敬すべき人間であることを知る。これが、第二のターニングポイントである。

 つまりここでは、「復讐の対象→やむを得ない協力の相手→同情すべき被害者」へと、復讐鬼から見た男の関係性が変化しているのである。

 先ほどのドラゴンの例ならば「平凡な恋人→愛情を疑い始めた恋人→真の愛を知った恋人」と変化しているのである。

 もちろん、さらに変化することはできる。何であれば大人気の海外ドラマ(注3)のように、「平凡な恋人→愛情を疑い始めた恋人→真の愛を知った恋人→冷め始めた恋人→突然の妊娠発覚→離婚→シングルマザー→劇的な再会を遂げた元夫婦→愛情はないが友情で結ばれた男女の親友→突然の妻の死により残された子供と父」

 くらい続けても構わない。

 だがしかし、こんな内容がTRPGの一話のシナリオに入らないことは自明である。

 したがって、TRPGのシナリオにおいては二度人間関係が変わると、ちょうどよくドラマチックになる、といえる。

 それは何故か?

 実際のシーン構造から、これを説明しよう。

●ふたつのターニングポイント

 まず、ふたりの関係性は、オープニングフェイズで説明されなければならない。そうでなければ、そもそもこれがどういうストーリーなのか呑み込むことができない。

 では、次の変化はいつ起きるべきか。それは、PCたちが解決すべき事件が発生するタイミングである。

 これは多くの場合、オープニングフェイズの最後か、ミドルフェイズの冒頭となる。つまり、復讐鬼と殺人者が同じ戦車に乗り込んだり、恋人たちがドラゴンの襲撃に巻き込まれたりするのである。

 そして、最初の事件をくぐり抜けた時に、他のPCたちにもそのシナリオにおけるミッションが提示されなければならない。

 人間関係を変化させたものが、シナリオの目的と無関係であってはならないからである。

 したがって、シナリオの目的が提示された(それはオープニングの最後かミドルの冒頭であろう)時に、人間関係に第一のターニングポイントが訪れるべきなのだ。

 では第二のターニングポイント、最後の決定的な関係性の変化はいつ訪れるべきか?

 これは、クライマックスフェイズに至るためのミドルフェイズ後半の決定的なイベントであるべきである。

 つまり第二ターニングポイントで提示された関係性の変化、それによるドラマの結末をもたらすための最後の障害を打破するための行為が、最後の戦闘であるべきなのだ。

 たとえばそれは復讐鬼が己の感情に決着をつけるため、殺人者とともに最後の強行突破を行うことであるかもしれないし(しかるのちにふたりで対決する)、冒険者たちが、愛を確かめ合った傷だらけのふたりを守るため、手負いのドラゴンに立ち向かうことであるのかもしれない。

 つまり、人間関係の変化のボルテージが、シナリオの構造に同調している必要がある、ということだ。

 多くの物語が

導入→第一ターニングポイント→ミッドポイント→第二ターニングポイント→クライマックス→結末

 という構造である以上、人間関係の変化はターニングポイントに仕込んでおくとドラマと同期させやすい。したがって、ふたつあるのが望ましい、ということである。

●関係性を仕込む

 こうした関係性は、PCとNPCのインラタクティブなものであるから、事前に仕込んでおくのはGMの自己満足だ、という考え方もある。

 確かに、どのように感じるかをGMがプレイヤーに対して押しつけるのは、ハンドアウトで指定したものならともかく、その後のプレイにおいてはアンフェアであるし、また受け入れやすいものでもない(注4)。

 だが、どのような変化を起こすかについては、あらかじめ計算しておくことができる。

 このわかりやすい例が、いわゆる“ツンデレ”と呼ばれる古典的なテンプレートである。

 こうしたキャラクターは、まず、最初にPCと“ツン”の関係で接することになる。

「ふざけないで! 私はリオフレード魔法学院出のエリートなのよ! それがどうして、地球なんて田舎から来たあなたと同格でなければならないの!」
 フィン・フィルメールは開口一番、いかにも私は三千世界最高の魔法使いです、という顔でキミたちを見下して見せた。

 次に、第一ターニングポイントで“ツンデレ”のキャラクターはPCたちに対し、“均衡的なツンデレ”すなわち、原則として“ツン”であるが、好意の“デレ”を見せる。

「信じられないわ、やるじゃないの」
 キミが傷ひとつ受けず、屈強な12体の〈オウガ・ゾンビ〉を沈黙させたことで、フィルメールは少なからず驚いていた。
「……何よ。私の計算では、貴方たちがもっと無能だったってだけよ。これくらい、リオフレードの風紀委員なら誰だって出来るわ。勘違いしないで。私は貴方を、最下級の騎士と認めただけなんですからね!」

 これを仕込むのは簡単である。ミドルフェイズの頭に、PCたちが尊敬されるべき、解決すべき事件を仕込んでおき、次にそれをPCたちが解決すればよいのである。あなたがいつものシナリオでやっていることだ!

 そして最後に第二ターニングポイントで、本当にデレる。つまり、PCたちに心を開くのである。

「認めるわ。あなたは最良の騎士よ。そして、今私がここで勝利するには、あなたが必要なの」
 泥にまみれた顔を上げて、フィルメールはキミたちを見た。
「さあ、〈絶対武器〉を手に取って! そして敵本営を強襲するのよ! 作戦は私が立てる! あなたも、私を信じて!」

 これが、PCがどのようなロールプレイをした場合でも当てられる“ツンデレ”の基本である。

 TRPGにおいて、PCたちは基本的に障害を突破してクライマックスに向かう。だが、それはゲーム内のキャラクターたちには分からない。だから、その活躍を通して人間関係を変化させるのが、もっともインラクティブに実感しやすいのだ。

 よくある失敗するツンデレは、最初から「べ、別にあなたのことなんか好きじゃないんだからね」と、第一ターニングポイントの状態で登場し、しかもそこから変化しないキャラクターである。

 そのキャラクターは“よくあるツンデレのテンプレ”であって、そこに変化はない。よいモノマネにはなれても、物語を生み出さないのである。

 変化を恐れてはならない。変化すべきなのである。そして、もっとも大事なことは、実際にセッションをしてみたらまったく予想も付かないところで変化するし、そのほうが面白い、ということである。

 だが、変化の種があったほうが、よりナラティブ性の高い変化が起こしやすくなる。そう、ストーリーとナラティブは両輪なのだ。

■プレイヤー側のストーリー

 こうした“変化”は、プレイヤーの側がキャラクターの人格を構築する時に仕込んでおくことができる。

 先ほどの“ツンデレ”もそうだし、“傷ついた古参兵”“戦場ボケした元ゲリラ”“一見軽薄なナンパ野郎”など、いくらでも応用が利く。

 PCの場合意識しておくといいのは、


・第一ターニングポイント前の印象を悪くしすぎない
 これは、セッションをボイコットしている、と思われないためである。


・第一ターニングポイントで、他のPCとは協力する
 好意的な方向に変化しておかないと、いわゆるパーティ(注5)が結成できない。

 この二点である。

 そして、第一・第二ターニングポイントでどう変化したいか、可能ならどういうセリフを言いたいか考えておくのだ。その落としどころが先に見えていれば、そこに向かってドラマを積んでいくことは難しくない。

 もちろん、もっとも重要なのは仕込んでおいたアイデアに固執しないことである。実際のプレイで、「いやいやこういうロールプレイになる予定だから」と他の参加者を困らせるようでは本末転倒である。

■さいごに

 いずれにせよ、正解はあくまで、面白いプレイ、という結果にのみある。それ以上でも以下でもない。あなたがたが楽しめればそれでよいのだ。よいセッションを!

注1:あなたがプレイしている個々のタイトルにおいて別の定義がなされている場合は、そのルールブックの記述を優先すること。筆者にはあなたの愛するタイトルを攻撃する意図はない――あくまで、このガイダンスにおける定義をしているだけだ。

注2:ストーリー的な盛り上がり(ドラマ性と言ってもよい)が乏しいことが、即座にロールプレイ要素が乏しい、とはならない。ランダムダンジョンにひたすら潜り続けるハック&スラッシュでも、GMとプレイヤーによっては十分ロールプレイを盛り上げることができるし、そこにナラティブを見いだすこともできる。

注3:特定のタイトルではない。

注4:『ファー・ローズ・トゥ・ロード』のようにPCの心の動きを世界のほうが規定するTRPGにおいては別である。最近では『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のシナリオ集『地獄の戦場アヴェルヌス』に優れたシナリオギミックが見られた。一読を推奨する。

注5:PC同士に対立が見られ、クライマックスまでPCが協力関係を構築しないことを想定するシナリオは『天羅万象』『シノビガミ』『深淵』などに見られる。こうしたゲームの場合でも、第一ターニングポイントで他のプレイヤーからの好意くらいは勝ち得ておくと、セッションがスムーズに進みやすい。

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