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Theme 1: マスク(全7話 その3と4)

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るエッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密

最初のテーマ「マスク話」をまだまだ続きます!
前回 その1と2はこちら

3/7 隠すためのマスク

コロナ以前から、冬になるとインフルエンザの感染防止のために、春になると花粉症対策のために、マスクをつける姿を町中で見かけていました。10年ほど前からでしょうか、外出時や仕事中にいつもマスクをしている人たちが増えていったように思います。

 本来の衛生上の理由が特にないにもかかわらず、顔を隠すために着用するマスクは〈伊達マスク〉と呼ばれます。米国で暮らしている私の家族によれば、マスクをして店に入ると不審人物に思われるということで、普段はマスクをすることはないようです。
 〈伊達マスク〉をしている人のなかには、何か疚(ヤマ)しいことをしている人や、顔を晒すことで周囲に影響を与える人など、顔を隠す必要のある人もいるのかもしれませんが、日本では、欧米に比べて、顔を隠したいと思う人が多いように思うのです。欧米の女性は日本の女性に比べてあまり化粧をしないといわれます。日本の女性が化粧をするのは素顔を隠すという意味が大きいように思います。
 その意味で〈伊達マスク〉は「仮面」であり、日本人に特有の現象なのかもしれません。〈伊達マスク〉をしている人によれば、マスクをつけると人目を気にしなくてもよいので、マスクをやめられなくなるようです。“マスク依存症”という言葉もあるようですが、マスクを外すことができない場合には、顔露出恐怖などの病理があるのかもしれません。

★〈伊達マスク〉の由来は、実際はつける必要がないのに装身具として身につけるという意味での「伊達眼鏡」にあると思われます。ただ「伊達」の意味は、何かをひけらかすこと、人目を引くふるまいをすること、見栄を張って洒落ることであり、実際には隠すと反対の意味です。

4/7 見せるためのマスク

コロナライフにおいて、当初のマスク不足の時期を経て、素材・目的・色・サイズ・ブランドなど、さまざまなマスクが開発され、商品化されています。
 長期化する“避密”ライフにあって、人びとは「自分らしい」マスクを選び、マスクを通じて自分をアピールするようになったのでしょう。もはやマスクは単なる感染防止アイテムではなく、〈伊達マスク〉のように顔を隠すものではなく、個性を表現するファッションアイテムへと変わっていったように思います。ときどき、女性の下着を彷彿とさせるランジェリーマスクなどを見かけることもあります。コロナライフにおける人間の本能と創意工夫への熱意を感じました。
 このようなマスクの流れのなかで私も、自分の青春時代のアイデンティティであったVANやBrookes Brothersが売り出した布製マスクを購入しようと思ったこともありました。しかし感染防止対策という本来の目的と医療職としての現実から自由になることができず、今でも、定番の白かブルーの不織布マスクを身につけています。私にとってマスクは、白衣と同様に「聖なる医療アイテム」の一つであるように思えるのです。

(Thema 1: マスク つづく)


マスクを着ける目的はさまざまなんですね
ある人は「隠すためのマスク」 またある人は「見せるためのマスク」
今の状況下「コロナ感染対策」が大きな目的で理由であることは
”承知の事実” ではありますが 
もっと深い人の内側の思いは、少しずつ違いがあるのでしょうね
現にわたしの身近な人でも、こんな風なことを...

人と会うとき、出かけるときに「マスク」を着けている方が【楽】になった
「マスク」をはずすと少し不安を感じる
それは「コロナ感染」の不安ではなく
対人における不安だと、きっぱりと。。。

人の心に及ぼす影響でしょうか

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