もしツル Scene 5



 絶望とはこういう気持ちを言うのだろうか? 私は渋谷の上空を飛びながら、とりとめなく考えた。雅子は「正体を知られた鶴」とは違った。彼女は人間の妻だったのだ。そして彼女は言った。

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 《わたしの傍に鶴がいることを、夫やご近所のお友達に知られたら困るのよ。もし正体がバレてしまったら、わたしだって大変なことになるのよ。ねえ、分かるでしょう?》

 その言葉を聞いて、私は自分が今どんな状況に置かれているのかということを、嫌というほど思い知らされた。雅子にとって「行き場を失った鶴」は、もはや友達ではなかったのだ。そんな当たり前のことに気がつかない自分が、情けなく惨めだった。
 〈誰も頼れない自分に直面したとき、人間ならどうするのだろうか?  逃げ道もなく進むべき道も見つからないとき、人はどう行動するのだろうか?〉
 〈こんなとき、人は自ら命を絶つのかもしれない……〉と考えた。でも、鶴は人間のように自殺することは無理なのだ。命を絶つこともできないのだから、何としても生き抜かなければならない。カラスに追い出され、雅子にも見捨てられて進退窮まった私は、そう思った。
 すると思いがけなく、私のなかに小さな“意志”のようなものが頭をもたげてきた。

〈やよい、あなたのとるべき道はひとつしかない〉

 その“意志”が、心のなかで囁いてきた。私はそれに深くうなずき、意を決して力いっぱい左に旋回した。

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 昼休みを利用して、僕は新宿の紀伊國屋書店に行って、5冊の本を買った。3冊は日本昔話に関する文庫本、一般向けの解説書、それと昔話の事典。あとの2冊は鳥類図鑑。図鑑はなかなか手ごろなものが見当たらず、小学生向けの図鑑と鳥類愛好家向けの写真集を買った。事典と写真集の値段が高いのは不満だったけれど、他に適当なものがなかったから、あきらめて合計13,000円を支払った。5冊の本を抱えてオフィス近くのファーストフード店に入り、エッグマフィンとフライドポテトを食べながら、写真集の鶴を見た。
 僕は鶴の種類が多いことをはじめて知った。ナベヅル、マナヅル、タンチョウ、アネハヅル……。それぞれの写真を見てみると、すべての種類が白いというわけでもないことが分かった。
 〈この写真の鶴の頭頂は赤いぞ。これがタンチョウか。そういえば、あの鶴の頭も赤かったなあ。つまり“やよい”はタンチョウなんだ〉――僕は頷きながら写真集を閉じた。残りのフライドポテトを食べた手を紙ナプキンで拭いてから、次に、小学生向けの図鑑を開いてみた〔『学研の図鑑 鳥』新訂版, 学習研究社, 1990年〕。

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○ツルのなかまは、ひろい湿地(しっち)や水田(すいでん)にすんでいます。
――〈だから“やよい”はバスルームがお気に入りだったのか〉
○ツルは千年(せんねん)、カメは万(まん)年(ねん)、とむかしから長(なが)生(い)きをする鳥(とり)だといわれていますが、ツルは80年くらいしか生きません。
――〈どうして千年いきると言われてきたのかなあ?〉
○食(た)べ物(もの)は、長(なが)い足(あし)で、水(みず)の中(なか)にはいり、長(なが)いくちばしで、ドジョウなどのさかなや、タニシなどのカイをさがしてたべます。
――〈そういえば“やよい”はドジョウ鍋が大好物だった〉

 小学生向けの図鑑だから、説明文の文字は大きく漢字も少なかったし、それにルビもついていたのですごく読みやすかった。ひととおりの説明を読んで、小学生向けの図鑑も捨てたものじゃないなと感心して頷いた。
 次に、日本昔話に関する3冊の本をリュックサックから取り出し、そのなかの日本昔話集を開いてみた。そこには、鶴以外にも多くの動物が人間の妻となる伝説が載せられていた。
 〈魚女房、狐女房、鯉女房、蛤女房、けっこうたくさんの昔話があるなあ。これをぜんぶ読むのはひと苦労だぞ……〉と思った。僕はいったん文庫本を閉じて、昔話の事典を手に取った。その「鶴女房」の項目には、次のようなことが書かれていた〔『日本昔話事典』縮刷版, 弘文堂, 1994年〕 。

 助けられた鶴が女房となり、機織りをして恩返しをするという異類婚姻譚。日本全国に多く分布しており、現在約110話が報告されている。標準型・謎解き型・難題型がある。大半は標準型で約85話ある。若者(狩人)が傷ついた鶴を助ける。美女が訪ねてきて女房(娘)になる。女は覗いてはならないと言って機を織る。布が高価に売れる。男が機屋を覗くと、鶴が羽根を抜いて反物を織っている。女は正体を見られたことを知って、飛び去る。

 鶴女房として伝えられている昔話がこんなにも多く全国に残っていることにまず驚いた。次に、その約77%が標準型、つまり「正体を知られた女が去っていく」内容だということにびっくりした。このパターンがこれほどの広がりをもっているのは、それなりの理由があるからに違いないと思った。もう1冊の解説書は約300ページの分量があり、昼休み時間にはとても読み切れないので、マンションに帰ってからゆっくり読もうと思い、冷めてしまったコーヒーを一口飲んでから店をでた。


 退社後、渋谷駅近くのベーカリーでバケットを一本買い、リカーショップに立ち寄って赤ワインを仕入れた。マンションに着いたのは7時過ぎだった。
 エレベーターに乗っているあいだ、〈鶴は去って行ったのだろうか? それとも、もしかして元の“やよい”に戻って僕を待ってくれているだろうか?〉などと考えた。僕は〈できることなら人間に戻っていてほしい〉と思った。そうすれば、昨夜のことはなかったことになる。「それがいちばんいい」と、淡い期待をかけて5階の自室の前まで帰って来た。鍵を開けて、ひと呼吸おいてゆっくりと、ドアを開けた。


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 玄関先で、頭頂の赤いスマートな一羽のタンチョウがこちらを見ていた。まるで帰宅する僕を出迎えてくれているようだった。僕は彼女と無言で向き合った。言葉がでてこなかった。
 長いように感じた沈黙のあと、タンチョウが短く鳴いた。それを聞いて、左手で持っていたバケットを思わず落としてしまった。僕の淡い期待も胸の中から飛び出し、バレーボールのようにどこかに転がっていった。



つづく


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