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Theme 5: リモート(全3話 その3)

remote

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密

テーマ5「リモート」の最終回です
「リモート」その1 その2
効率化のためではなく... 「関わり」を避けるための...


3/3 コロナライフでの「オンライン」


 2020年に突然コロナライフが始まり、私はZoomやTeamsなどのweb会議システムというものに初めて出会いました。「オンライン」という言葉も毎日ように耳にするようになり、大学の会議や講義、学外のセミナー、学会発表などもオンラインweb会議システムでおこなわれるようになりました。職場に出向いて仕事をする従来の形態とは異なり、職場の外で働くワークスタイルの総称として「リモートワーク」という言葉が用いられるようになり、自宅からオンラインで仕事をする「在宅勤務」という言葉も普及しました。

 コロナにおけるリモート状況は、コロナの感染拡大防止対策の一環でおこなわれるので、基本的に対面による対人交流を欠いています。私が幼い頃に体験した直接的あるいは近接的な交流のなかのリモートでも、社会人になってから経験した仕事の効率化のためのリモートでもありません。人間関係の原点である直接的あるいは近接的な“関わり”を欠くリモートは、人間関係における現実感を希薄なものにしているように思います。それは、高画質の「快適なベッド」の画像や動画をいくらみても、「快適なベッド」で寝たときに得られる体感は、絶対に得られないのと同じような状況といえるでしょう。
 web会議システムでは、液晶の画面に均等に表示される人間の顔は二次元世界であり、それはまるで、動く顔写真がバーチャル本棚に規則正しく並べられているようです。講義などで参加者がビデオをオフにしていると、対人交流の生命線ともいえる双方向の情緒的交流が絶たれます。このような状況は、発表者にとっては、壁に向かって独りでしゃべる「独演会」のようですし、参加者にとっては、ワンウェイミラーと視聴覚機器を通して対象を観察する「非参加観察法」のようなものかもしれません。

 今回のコロナライフで私たちの生活に浸透した「リモートライフ」は、効率的で便利さを含んでいます。そのためプレ・コロナライフに完全に戻ることは難しいかもしれません。コロナライフにおいても、高校生までは、“直接”的あるいは“近接”的な人間関係をある程度維持しているように思いますが、かなりの大学生は、リモートライフを送っているように思います。キャンパスメンタルヘルスに従事する人間として、大学生におけるリモートライフの“負”の影響を心配しています。


Theme 5 了


私はweb会議システムを使ってのビデオオフで進む交流(?)に
違和感を感じる事があります
それは岡田先生の仰るように
「対人交流の生命線ともいえる双方向の情緒的交流が絶たれる」と
いったことからなのではないかと気づきました
情緒的交流がないくらいの方が話しやすい人、
また話しやすい時も、場合や状況によりあるのかもしれません
(それが人それぞれ異なるのでしょう)

また一方、均等に表示される顔は、その並列な状況も
違和感をおぼえるポイントで、対面での場合、会議においても講義でも
均等に複数人の顔が見れる環境はあまりないと思います。
ここもまた不思議な空間です。
オンライン交流により、得る何かと、失う何かがあるように思えます
時代の変化は 常にそんなものなのでしょうか

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