Theme 3: 消毒(全3話 その3)
disinfection, 3
医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密
テーマ1「マスク」
テーマ2「検温」
につづき
テーマ3「消毒」の最終回です
「消毒」その1 その2
3/3 コロナライフにおける消毒
日常生活において、ウイルスや細菌などは「空気」「飛沫」「接触」「経口」などのさまざまな経路によって、人間に感染する可能性があります。
コロナライフにおいて、手指のアルコール(エタノール)消毒が普及していますが、建物の出入口で手指のアルコール消毒をしても、人間が触れた机や椅子をアルコール消毒しても、前述の臨床医学的な意味で言えば、すべて「不潔」領域ということになるでしょう。おそらく、すべてを完璧に消毒できるわけではないけれども、しないよりはした方がよいという公衆衛生的な視点から消毒は推奨されているように思います。
人間はウイルスを肉眼視することができないために、基本的に「そこにウイルスが存在し、消毒すればウイルスは消滅する」というイメージをもちながら、手指消毒をおこなっているのでしょう。アルコール消毒によるコロナ感染防止に対する期待は、過度でも過小でも適切ではないように思います。
コロナライフにあって、その人の本質が表れるということを私は経験してきましたが、コロナに感染する不安から強迫的に頻繁に消毒をする人もいれば、消毒してもキリがないので適当にやっている人、面倒だなどの理由であまり消毒をしない人など、いろいろな人がいると思います。
経験的に、潔癖症(不潔恐怖症)の方が不潔への不安を払拭するために手洗いや消毒のみに囚われて、臨床医学的な意味での清潔を強迫的に追求し「全体のバランスを欠いた」行動の結果、日常的な意味での不潔になっていくことは珍しくないように思います。
消毒は、手術前の作業は[手洗い~消毒~ガウンテクニック~手袋装着]などの一連の操作手順で構成されますが、コロナ感染防止対策においては、アルコール消毒に対する現実的な期待に基づいて、日常的な行動様式の全体のバランスを保つことが大切であるように思います。
例えば「手洗いをせずに消毒だけをおこなっている人」「消毒を頻繁におこなって繁華街に出かける人」など、バランスを欠いている場合があるように思います。消毒は、感染に対する生物学的な防衛手段ですが、バランスを欠いた消毒は、感染の不安に対する“こころの防衛”行動なのかもしれません。
(Theme 4: ??? につづく)
コロナライフではじまった「消毒」という毎日の作業
とはいえ
医学的な意味では「不潔」の領域であることに変わりないのですね
こころの防衛として
「しないよりした方がよい(はず)」
もしくは
「しないよりした方がマシ(なはず)」と願い、祈る思いで
似たような行動をしている人は多いかもしれません
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
たくさんの人と一緒であれば、危険の事でも行える
という、昔流行したフレーズをふと思い出しました
現に今でも、横断歩道の赤信号で車が来ていないことを目視確認し
渡りだした歩行者に連れだって渡っていく人の様子は目にします
肉眼で確認できるものと そうでないものの違いは大きいもんですね
そして
集団の中にいる時と、家族での時、そして自分ひとりだけのとき
その時々によって「バランスを欠いた行動」にも変化があるように思えます
バランスを欠きながらも
自分のこころのバランスを整えているのでしょうか。。。