Theme 4: 自粛(全2話 その1)
voluntary restraint
医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密
「マスク」「検温」「消毒」という医療的なテーマから一転して…
1/2 行動? こころの動き?
コロナライフになり「不要不急の外出自粛」といったフレーズで“自粛”という言葉に触れる機会が増えました。
私の印象では、コロナ以前には、芸能人の不祥事に伴う活動停止などの「反省行動」として“自粛”に触れることが多かったように思います。
“自粛”とは「ある理由のために、自発的にみずからの行動や態度を慎むこと」といえるでしょう。
私はこれまでに自分が所属する組織においてみずからの行動によって処分されたことはないので、「反省行動」としての“自粛”を経験したことはありません。しかしこれまでに、「反省行動としての自粛」をしている方あるいは要請された方への、心理的ケアの経験はあります。
反省行動としての自粛は、法的なものではなく、道義的なものといえるでしょう。「行動としての自粛」は、外から観察可能な行動ですので、外からは観察困難な“こころのなか”を必ずしも反映していないこともあります。たとえば、社会からの厳しい目に対して自粛行動をとった方が「得」だと考える場合もあるでしょう。このような行動としての自粛には、第三者に向けたメッセージがあると思われます。
先に述べましたように、私は、これまで反省行動としての自粛を経験したことはありませんが、“自粛”経験がないわけではありません。私にとっての自粛経験は、自分にとって近しい人や大切な人がさまざまな困難に直面し、苦しんでいるときに、私自身が何らかの快楽や満足に得るのを控えることで、少しでもその人と同じ立場に身を置こうとすることでした。
近しい人や大切な人が苦しんでいるなかで自分だけが楽しむことを、どこか申し訳ないと思うからでしょう。また、近しい人や大切な人が帰らぬ人となったとき、私たちは「喪に服す」ということをします。通夜や葬式などで笑顔を見せないのは、暗黙の自粛行為かもしれません。喪のあいだは派手な生活や行動を“自粛”することもあるでしょう。
このように人が“自粛”する際には、「罪悪感」や「悔やみ」などのこころの動きがあって、「喪」という営みのなかで「失ったものと同一化する」ということが起こっているように思います。そして、そのときに罪悪感や悔やみにこころが耐えられないとき、自粛とは反対の“放縦”な行動を人はとるのではないでしょうか。
(Theme 4:自粛 次回につづく)
「コロナライフ」は「自粛ライフ」といえるほど
外出自粛生活が続きますね
コロナライフに入る前に、好んで外出していた方にとっては
「不要不急の外出自粛」を促され、外出を我慢する行動は
とても辛いものですよね。
たのしみまで”自粛”はしないぞと
旅行気分を味わえるように自宅に居ながらにしてオンラインで
海外の街や観光地を歩けるようなサービスができたり、
出かけなくともお買い物できるお土産物が増えたりと
コロナライフでも時代に添って進んでいくものですね
さて、自粛生活で「こころが耐えられなくなったとき」
皆さんは どんな行動をされますか?