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【エッセイ】ゆたか

久しぶりに中学時代の友人にあった。

たまたま中学時代の友人Kと2人で地元を歩いていたら、中3の時のクラスメイトYが前からやってきた。
みんな同じ中学校出身、同中、というやつである。たちまちミニ同窓会が始まる。

Yは美術系の大学に進んでいた。昔から絵を描くのが好きで、SNSアカウントにもよく新作が上がっている。
大学三年生というこの時期、我々の会話は自然と進路や就活になる。
私とKはYに、美術系の大学にすすんだということは、絵を描いて食べていきたいのか、と遠回しに聞いた。

Yは、いやそんなことはない、むしろ絵は関係ない仕事に就きたいと言った。
自分は絵を描くのは好きだし、人に絵をあげるのも好きだけれど、それを金に変えるのはイケすかないのだと。

それを聞いてどこか恥ずかしくなった。

私たちの質問は偏見の塊というやつである。政治学科の私に、将来は政治家になるのか、と聞いてるようなものだ。一学年600人弱もいる全ての政治学科生が政治家になれるわけもめざすわけもないことは流石に想像に難くはないのに、美術系に関しては進路はそういう創造力爆発系統だろう、という安易な連想をした自分を恥じた。

横で聞いていたKは、Yに対して、ゆたかだね、と答えた。そういうの、なんていうんだろう、うん、なんというか、ゆたかだね。と同じことを繰り返した。

私は、その、ゆたか、という表現がなんとなく気に食わなかった。抽象度が高い見かけだおしの言い回しでまとめるな、と思った。一方で、その返答が出てくるKがどこか羨ましかった。

Yのスタンスに対してのゆたか、っていう形容は、ゆたかであるようで結局ゆたかじゃないよね。と私はかみつく。
傷つけたいわけではなく、Kならそれにどう返してくるかが純粋に気になった。

あなたのそういうところ、なんていうか、嫌い。
うん、もうさあ、なんていうの、いや。
と、少しおどけたように言うK。

ここでその言い回しを繰り返してくるあたり、Kは私のつっかかりもひっかかりもお見通しだったのかもしれない。

ねえ、中学の時にもそうやって噛みついてきたことあったよね、と笑われた。

記憶にございません。
そう返す私は、遺憾なことに政治家に向いている政治学科の学生なのかもしれない。

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こだち。
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