#027|イライラは何処からくるのか
どうも、コッチーです。
自分を卑下しまくっているうちは全くといっていいほど外的な物事に苛立たないのですが、ある程度元気になってくると、やれ何だ何だと些細なことに苛立ってきたりするものです。
例えば今日電器屋で買い物をしているときにふと目についたスマホの販促POP。「iPhone」と「Android」のどちらもがスマートフォンなのにも関わらず「iPhoneとスマホ」などと意味の分からない区分けをされていたり、iPhoneのカバーを見たいのにパッケージには「iPhone 11」のようなモデル名の表記がなく「iPhone 2022年 秋」とか書いてあったりなどなど。
どれもちっさいことばかりなんですよ。僕自身に大した実害もないし、苛立つ意味がない。むしろエネルギー損失なのでマイナスです。これを自滅と言わずして何と言うのでしょう。
分かっていてもなんか腹立つのは器が小さいからなんでしょうけどね。器の小ささは世界一を自負しています。物質に例えるなら素粒子くらいのサイズです。
ただ全ての苛立ちが間違いかと言われればそうでもない気もします。例えば、夜道を運転しているときに対向車からハイビームを当てられイラッとしたとします。これは目が眩んで事故を起こしてしまいかねないリスクを無差別に掛けられるという実害を被っているので、これは正しい苛立ちなのではないでしょうか。そう、実害がありますから。
それに比べ、変な色のフォグランプをつけてヘッドライトを点けずに走っている車を見かけた時の苛立ちは何でしょうか。「夜道に相手が走行しているのが視認できる」という意味では、ライトは一応点灯させているので視認出来ています。眩しい場合は別ですが、特段眩しい訳でもないパターンがほとんどです。変な色なのはそいつがカッコイイと思ってるからなのだろうし、まずフォグランプの色についてあれこれ言えるような関係性でもありません。親戚じゃあるまいし。羨んでいる訳でもないし。というか変な色で見辛くて困るのは本人です。こちらは実害がないパターン。
気にしなけりゃ良いと自分に言い聞かせているつもりでも、やっぱり苛立ちます。この苛立ちはどこからやってくるのでしょうか。自分に苛立たなくなる日は来るのでしょうか。少しくらい広い器が欲しいものです。この辺のモヤモヤをちょっとずつ深掘りしていこうかななんて思っています。
コッチーでした。